第50話 デーモン
エーレンフェルト一家とリリアがグランベル領主屋敷に到着した夜、せっかくだからと宴会を開いた。
食卓には、焼き色のついた大きな肉や、湯気を立てるスープ、色鮮やかな野菜料理が隙間なく並んでいる。
父さんとギルベルトさんは、レイフォルト伯爵家から贈られた高級酒を開け、さっきから何度も酒杯をぶつけ合っていた。
「いやあ、いい酒だな!」
「だろ!? もう1杯いけ!」
2人とも、かなりテンションが高い。
母さんとフィオナさんも料理を作り終え、珍しく一緒に酒を飲んでいる。
母さんがお酒を飲んでいるところなんて、初めて見た。
大丈夫なの?
酔った勢いで、そこら中を凍らせたりしないよね?
アンドリューも母さんから酒を注いでもらい、恐縮しながら口をつけている。
なんだかんだ、俺の両親は面倒見が良いんだよな。
俺たちも果実ジュースを飲みながら、久しぶりに全員が揃った豪華な食卓を楽しんでいた。
皿に残った肉を平らげたジークが、満足そうに息を吐く。
「今回、グランベル領に来て大正解だったな。これほど濃厚な鍛練の日々になるとは、想像していなかった」
マリウスも大きく頷いた。
「ああ、ロウエン殿は教え方が上手いべ。俺も自分の弱点に集中して取り組めたから、成長しているって実感があるべさ」
マリウスはパンをちぎりながら、アイリスへ顔を向けた。
「アイリスたちは、この1週間何してたんだべか?」
「エーレンフェルト領にいた時も似たようなものよ。午前中は父上と剣術、午後からは母上と魔法の鍛練」
アイリスの隣に座っているリリアも頷く。
「私は午前中こそ家族と過ごしていましたが、午後からは師匠の所で魔法の鍛練をしていました」
「リリアの師匠って、どんな人なの?」
俺が聞くと、リリアは口元に手を当てて笑った。
「すごく面白い人ですよ。普段は分厚い眼鏡をかけているのですが、眼鏡を外すと、とても美人なんです。本人はまったく気にしていませんけど」
エルナが興味深そうに身を乗り出す。
「リリアは、自分の闇魔法を受け入れられるようになったん?」
「闇魔法は一般にあまり知られていないので、人前で使うことにはまだ少し抵抗があります。でも、誰かの役に立てるなら、それで十分だと思えるようになりました」
以前のリリアなら、闇魔法について聞かれただけで表情を曇らせていたはずだ。
今は穏やかに笑っている。
「そこまで割り切れるようになったなら、魔法の技術もどんどん上がりそうだね」
「フフッ……私なんか、まだまだですよ」
そう言いながら笑えるようになったことが、俺には何より嬉しかった。
これも、リリアの師匠のおかげなのかもしれない。
エルナが果実ジュースを一口飲み、今度は俺を見る。
「魔法の技術といえば、セインも2週間前と比べたら、目に見えて成長してるやんか」
「いやいや、エルナの方が明らかに早いよ。さすが魔法では学年1位だなって思う。俺はエルナを目標にしてるところもあるんだ」
「セインにそないなこと言われたら、照れるやん!」
エルナが笑いながら、俺の肩を何度も叩いた。
その瞬間、隣からジュースの入った杯を置く音がした。
「ふーん……」
アイリスが杯を見つめたまま、俺にだけ聞こえる声で呟く。
「私がいない間に、ずいぶんお楽しみだったんだね……」
背中に嫌な汗が一気に噴き出した。
「そ、そんなことないけど。鍛練を頑張っていただけだぞ」
「そう」
短い。
怖い。
アンドリューが空いた皿を下げ、新しい料理を食卓へ置いた。
香ばしい匂いとともに、肉から立ち上る湯気が母さんの前を横切る。
それを見たエルナが、突然目を輝かせた。
「クレア様がきた! ああ、クレア様……こんな幸せな食卓は、ここにしかあらへん!」
エルナ、料理を持ってきたのは母さんじゃなくてアンドリューだぞ。
ほら、母さんも酒杯を持ったままドン引きしてるじゃないか。
母さんをドン引きさせられるのは、エルナにしかできない芸当だ。
リリアは、まだ不機嫌そうなアイリスの耳元へ顔を寄せた。
「ほらね、アイリス。エルナさんが見ているのはクレアさんだけです。正確には、クレアさんの魔法ですけど」
「そ、そんなこと……分かっていたわよ」
アイリスは顔を赤くして俯いた。
リリアが嬉しそうに抱きつく。
「本当ですか? でも、嫉妬しているアイリスもかわいくて尊いです」
「嫉妬してない!」
アイリスの声に笑いが起こる。
父さんとギルベルトさんの酒杯がぶつかり、澄んだ音が響いた。
楽しい宴会だった。
だからこそ、ギルベルトさんが酒杯を置いて声を落とした瞬間、食卓の空気が変わったことが分かった。
「おい、アノルド。聞いたか?」
さっきまで笑っていた父さんの顔から、酔いが少し引いた。
「何をだ?」
「魔物が活性化している原因だ。王国は、だいぶ絞り込んでいるらしいぞ」
父さんの身体が前へ傾く。
「何だと? 詳しく話せ」
「魔物の活性化は、デーモンの仕業だと見ているらしい」
デーモン。
聞いたことのない名前だった。
父さんも眉間にしわを寄せる。
「デーモンってなんだ?」
「知らねえよな。俺も初めて聞いた」
ギルベルトさんは、酒杯の縁を指でなぞりながら続けた。
「どこから来たのかも分からねえ。魔物を活性化させ、その魔物が人間を襲うことで生まれた負の感情を食っている……そんな話だ」
さっきまで聞こえていた皿や食器の音が、いつの間にか止まっていた。
母さんとフィオナさんも、険しい表情で話を聞いている。
「負の感情を食う?」
父さんが怪訝そうに聞き返した。
「それは比喩か? そもそも、そいつは魔物なのか?」
「俺に聞くな。人づてに聞いただけだ」
ギルベルトさんは困ったように頭をかいた。
「ただ、デーモンは魔物とは別の存在らしい。魔物を従えているわけでもねえ。そいつが現れた地域では、魔物が異常に活性化して、人間を襲う確率が跳ね上がるそうだ」
「魔物ではない。だが、魔物を活性化させる。そして、人間の負の感情を食う……」
父さんが腕を組み、低く呟いた。
話を聞いても、姿すら想像できない。
だからこそ、妙に気味が悪かった。
ギルベルトさんが、さらに声を潜める。
「王国はデーモンを討伐するため、契約しているS級冒険者3組へ正式な討伐依頼を出したらしいぞ」
父さんが目を見開いた。
「S級を3組同時に? あいつらも行くのか?」
「ああ。あいつらも今はS級冒険者だからな。依頼を受けたらしい」
母さんとフィオナさんの表情が、さらに険しくなった。
2人とも知っている相手なのか?
「父さんたちは、S級冒険者と知り合いなの?」
思わず聞くと、母さんの鋭い目が飛んできた。
「セイン。大人の話に口を挟むんじゃないよ」
「はい……」
父さんはもう俺を見ず、ギルベルトさんへ尋ねた。
「しかし、S級3組となると、依頼料も相当なものだろ」
「デーモンの居場所を特定できていないから、前金と成功報酬に分かれているらしい。前金はそれほど多くねえが、成功報酬は天文学的な金額だそうだ」
「そんな条件で、3組とも受けたのか?」
「かなり乗り気らしいぞ。何しろS級が3組だ。見つけさえすれば、すぐに討伐されるだろうよ」
父さんの肩から力が抜け、置いたままだった酒杯を持ち上げた。
「そうか。なら、早く解決してほしいな。魔物の活性化が収まれば、騎士団や魔法士団も帰してやれる。アンドリューも、家に帰りたいだろ?」
突然話を振られたアンドリューが、反射的に何度も頷く。
母さんの酒杯が、コトリと机に置かれた。
「アンドリュー?」
アンドリューの動きが止まる。
「い、いえ……グランベル領での日々も、大変充実しております」
額に汗を浮かべながら、慎重に言葉を選んでいる。
父さんとギルベルトさんが吹き出し、食卓に笑い声が戻った。
酒が注がれ、料理の皿が行き交い、リリアは顔を赤くしたアイリスをまたからかい始める。
宴会は、何事もなかったかのように続いていった。
それでも俺は、さっきまでと同じ気持ちでは笑えなかった。
魔物を活性化させ、人間の負の感情を食う存在。
姿も、居場所も、何者なのかさえ分からない。
デーモン。
その名前だけが、胸の奥へ落ちた黒い染みのように、いつまでも消えずに残っていた。




