第49話 クレア語通訳者
夏休みに入って2週間。グランベル領へ戻ってから、1週間が経った。
午前中はロウエン爺との鍛練。
午後は母さんとの魔法鍛練。
1日の流れが決まっていた。
ジーク、マリウス、エルナは余った時間まで鍛練に使っているようだ。
みんなストイックに自分を追い込んでいる。
この夏休みは合宿と言っていいほどだ。
俺も仲間と一緒に鍛練できるおかげで、毎日がかなり充実していた。
夏休みに入った直後と比べ、目に見えるほどではなくても、成長している実感はある。
レイフォルト伯爵家からの贈答品のおかげで食卓も毎日豪華になり、栄養面でも申し分なかった。
だが、最近は午前中の鍛練に関しては、俺とジークとマリウスの3人ともロウエン爺に転がされる毎日だ。
3人の課題は初日に提示された。
ジークは盾の扱いの幅を広げ、変則的な動きへの対応力をつけること。
マリウスは短剣を逃げるための武器から、接近した敵を確実に仕留めるための武器へ変えること。
俺は敵の誘いに乗らず、本当の隙か罠かを瞬時に見極めること。
ロウエン爺は俺たち3人とそれぞれ立ち合い、良くなった点と、次に改善すべき点を毎回教えてくれる。
てかロウエン爺の体力ヤバいでしょ!
その日の鍛練が終わった直後、エーレンフェルト家の馬車が到着した。
アイリスとリリアは馬車から降りてきて、泥だらけの俺たちを見ていた。
リリアが口元に手を当てて笑った。
「この2週間でずいぶん仲良くなったみたいですね。3人とも泥だらけで、仲間意識が芽生えていそうです」
アイリスが首をかしげた。
「そうかな? ただ、ロウエン爺にボロボロにやられたようにしか見えないんだけど」
リリアが笑顔で言った。
「男の子3人が同じようにボロボロにやられても、また立ち向かうなんて青春そのものじゃないでしょうか。かなり尊いですよ」
アイリスが呆れたように言った。
「ただのリリアの好みじゃない。でも私も明日から泥だらけになるのは嫌だな……」
リリアは考えながら言った。
「アイリスが泥だらけになっても、いつもの鋭い目つきで向かっていく姿を想像したら胸がキュンキュンします」
俺とアイリス、リリア、エルナは昼飯を食べてから屋敷の広大な庭の真ん中に向かった。
そこにはアンドリューお手製の標的台が設置されている。
すでに庭には母さんとアンドリュー、フィオナさんが到着していた。
母さんが口を開いた。
「みんな集まったね! じゃあセインとエルナはいつも通りに標的台で練習だよ。アイリスちゃんとリリアちゃんはフィオナに見てもらいな」
母さんは続ける。
「ただ練習するんじゃなくて、今日の目標を具体的に立てな! 必ずやりとげる強い気持ちが大事なんだ! 一日一日無駄にすんじゃないよ!!」
4人の声が揃う。
「はい!」
俺とエルナは標的台に向かい、魔法を形成する。
俺は氷槍を4本形成した。
以前よりは安定している。
1本目、2本目、3本目までは、ほぼ崩れない。
問題は4本目だ。
形は作れる。
射出もできる。
だが、母さんの氷槍を見た後だと、自分の氷槍がどうにも頼りなく見えてしまう。
隣では、エルナが火球を5つ形成していた。
エルナもグランベル領へ来てからの1週間で、5つ目の火球がかなり安定してきている。
ただ、本人はまったく満足していないようで、眉間にしわを寄せながら火球を睨んでいた。
母さんは俺とエルナの間を歩き、腕を組んだ。
「セイン、4本目がまだ甘いね」
「うん。形は作れるようになったけど、射出すると少し崩れる」
「そこはね、最初にグッとやりすぎなんだよ」
母さんは俺の氷槍を指差す。
「もっとスーッと流して、最後だけキュッと締めな。途中でギュウギュウ押し込むから、槍の腹が膨らむんだよ」
……。
俺は無言でアンドリューを見た。
隣のエルナも、同じタイミングで無言でアンドリューを見た。
エルナも、この1週間で分かっている。
母さんの感覚的な説明は、母さん本人にはものすごく明確らしい。
だが、俺たちには分からない。
そして、それを理解できる唯一の人間がアンドリューだった。
アンドリューは、すでに諦めたような顔で一歩前に出た。
「奥方様のおっしゃる“スーッ”とは、魔力を一点に押し込まず、氷槍の軸全体に均等に流すという意味です。“最後だけキュッ”は、射出直前に先端と外郭の魔力密度を高め、形状を固定することだと思われます」
「なるほど」
俺とエルナの声が揃った。
母さんの眉がピクリと動いた。
「あんたたち、何で毎回アンドリューを見るんだい? 教えてるのはあたいだよ。ちゃんと私を見な!」
「う、うん。見てるよ」
「見てます! クレア様を常に見ています!」
エルナ、それはそれで怖い。
母さんは少し不満そうに鼻を鳴らした。
「ならいいけどね。エルナ、5つ目も安定してきたね。ちょっと射出してみな」
エルナは言われた通りに火球を射出した。4つは丸い形を保ったまま標的へぶつかったが、5つ目だけは直前で形が歪み、炎を散らしながら命中した。
「5つ目は最初の形が安定しているけど、射出したら少し形が崩れるから、キュッとさせながらビュンって射出するんだよ」
俺とエルナは、また無言でアンドリューを見そうになった。
だが、母さんがものすごく鋭い目でこっちを見ている。
俺たちは慌てて前を向いた。
絶対見ちゃダメだ!
俺は浮かべていた氷槍を標的へ撃ち込み、もう一度4本の氷槍を形成する。
魔力を一点に押し込まない。
軸全体に流す。
先端と外郭だけ、射出前に締める。
母さんの言葉で言うなら、スーッからのキュッだ。
4本目の氷槍が、いつもより少しだけ真っ直ぐ伸びた。
「今のだよ!」
母さんの声が飛ぶ。
「でも、まだ遅い! 作ってから撃つんじゃない! 作りながら撃つんだよ! こう、シュッ、スッ、ドンだ!」
分からない。
全然分からない。
俺とエルナは耐えきれず、同時にアンドリューを見た。
母さんの目がさらに細くなる。
「セイン?」
「ご、ごめん」
アンドリューは冷や汗を流しながら、ものすごく小さな声で言った。
「“作りながら撃つ”とは、魔法形成と射出準備を完全に分けず、形成の終盤から射出方向への魔力の流れを作るという意味かと……。つまり、完成してから飛ばすのではなく、完成する直前から飛ばす準備に入る、ということです」
「なるほど……!」
俺は思わず声を漏らした。
エルナも目を輝かせている。
「すごい……アンドリューさん、クレア様語の解読精度が半端ないで……!」
「エルナ嬢、それは褒め言葉なのでしょうか……?」
「もちろんや! うちもその境地に行きたい!」
「行かない方がいいと思います……」
母さんが不機嫌そうに言う。
「アンドリュー……」
「ハ、ハヒぃーー!! 奥方様のご指導は完璧でございます! 私は未熟な若様方の理解を補助しているだけでございます!」
アンドリュー、完全に生存本能で言葉を選んでいる。
その横では、フィオナさんがアイリスとリリアを見ていた。
「アイリス、光を強く出すだけでは駄目よ。治癒魔法は相手に必要な分だけ届かせるもの。もっと細く、優しく、でも切らさないように」
「はい、母上」
アイリスは白い光を手のひらに集め、ゆっくりと維持している。
リリアはその隣で、藍色の魔力を静かに広げていた。
「リリアちゃんは安定していますね。無理に広げすぎず、その範囲で維持しましょう」
「はい、フィオナさん」
アイリスはちらりとこちらを見て、ため息をついた。
「セイン、まだアンドリューさんに頼ってるの?」
「頼ってるんじゃない。翻訳してもらってるんだ」
「同じでしょ」
その通りかもしれない。
母さんが手を叩いた。
「ほら、止まるんじゃないよ! セインは4本目をあと10回! エルナは5つ目の火球を崩さずに射出! アイリスちゃんとリリアちゃんも休まない! 今日の目標、やり切るよ!」
「はい!」
全員の声が揃った。
俺はもう一度、氷槍を形成する。
スーッ。
キュッ。
シュッ、スッ、ドン。
母さんの擬音は、やっぱり意味不明だ。
でも、アンドリューの通訳を挟んで考えると、確かに少しだけ掴めるものがある。
4本目の氷槍が、標的台へ向かって飛んだ。
まだ母さんの氷槍には遠い。
遠すぎる。
それでも、昨日よりは少しだけ真っ直ぐだった。
「今の、良かったで。セイン、昨日よりかなり形が残ってた」
隣でエルナが嬉しそうに言った。
「エルナの5つ目も、さっきより崩れてなかったよ」
「ほんま? やっぱりクレア様の指導はすごいな!」
「そこはアンドリューさんの通訳も大きいけどね」
「それはそうやな!」
俺とエルナは、思わず同じタイミングでアンドリューを見た。
アンドリューは遠い目をしていた。
その時、少し離れた場所でアイリスの肩がぴくりと動いた。
「……へえ」
小さな声だった。
けれど、その声だけで、なぜか背筋が少し冷えた。




