第48話 ロウエン流
母さんとの魔法の鍛練は、エルナが失神したことで中断された。
俺はそのまま、ロウエン爺とジーク、マリウスの元へ向かった。
2人とも泥だらけで、腕や頬には擦り傷までできている。それでも、その目は爛々と輝いていた。
俺が着いた時は、マリウスとロウエン爺が立ち合っていた。
マリウスは刃を潰した鉄製の短剣を2本構え、素早く後ろへ跳ぶ。
ロウエン爺が間合いを詰めると、振り下ろされた剣を右の短剣で受け流し、左の短剣で牽制する。そのまま横へ回り込み、再び距離を取ろうとした。
だが、ロウエン爺はマリウスの逃げ道を先回りするように足を運び、身体をぶつけて体勢を崩した。
「うわっ!?」
次の瞬間、マリウスは地面に転がされ、首筋に刃を潰した鉄剣を突きつけられていた。
それが一度ではない。
2度、3度、4度。
マリウスは立ち上がるたびに距離を取ろうとするが、そのたびに追いつかれ、転ばされ、首筋に剣を突きつけられる。
ロウエン爺は珍しくため息をついた。
「マリウス様、あなたは重傷ですな……」
マリウスが跳ね起きる。
「な、何が重傷なんだべか!?」
ロウエン爺は顎に手を当てた。
「マリウス様は目が非常に良い。身体能力もかなり高い。その点はアイリス様に似ております。ですが、その短剣からは、敵を仕留める意思がまるで感じられませぬ」
ロウエン爺は、少し離れた場所に立て掛けられている長弓へ目を向けた。
「あなたの本命の武器は、あの長弓でしょう?」
「ああ、その通りだべ」
「今まで、あの弓で敵を射るために、常に距離を取ることを考えて戦っていた。その2本の短剣も、攻撃を受け流し、逃げるためだけに使っていた。違いますかな?」
マリウスは俯いた。
「その通りだべ。だからアイリスのように近接戦闘が強くなりたくて、ここに来たんだべ」
「アイリス様とも立ち合われましたか。手も足も出なかったでしょう?」
マリウスが悔しそうに唇を噛む。
「当たり前の話ですな。アイリス様は相手を仕留めるために前へ出る。マリウス様の短剣は、相手から逃げるためにしか動いておりませぬ」
マリウスは何か言い返そうとして、口を開いた。
だが、言葉は出なかった。
ロウエン爺は、さらに厳しい声で続ける。
「マリウス様は先ほど、冒険者になりたいとおっしゃいましたな。ですが、私が仲間なら、今のあなたを信用して背中を預けることはできません」
マリウスが目を見開いた。
「何でだ!? 俺が弱いからか!?」
「いいえ。マリウス様は強い。ですが、戦場で何を仕留めるのかが見えませぬ」
ロウエン爺は長弓を指差した。
「長弓は遠くから敵を狙える優れた武器です。しかし、魔法士の攻撃魔法ほどの火力はない。大型の魔物を相手にすれば、急所を射抜いても仕留めきれぬことがあるでしょう」
マリウスの顔から、少しずつ血の気が引いていく。
「しかも、あなたは後方で守られながら大火力を放つ魔法士ではない。自分で敵との距離を測り、近づかれたなら、その短剣で対処しなければならない」
ロウエン爺の声が、低くなった。
「長弓でも仕留めきれない。短剣でも仕留められない。それでは、戦場でマリウス様は何ができるのですか?」
マリウスは膝から崩れ落ちた。
地面についた両手が、悔しそうに土を掴む。
「じゃあ、俺はどうすればいいんだべか……?」
ロウエン爺はあっさり答えた。
「簡単ですよ。あなたは弓に絶対の自信があるのでしょう? ならば、短剣にも絶対の自信を持てばよいのです。短剣を逃げるための武器ではなく、近づいてきた敵を仕留めるための武器に変えなされ」
マリウスが顔を上げる。
「仕留めるための武器……」
「例えば、あなたの後ろにエルナ嬢がいると考えてみなされ。敵に間合いを詰められ、あなたが退けばエルナ嬢が死ぬ。ならば、逃げ道など探している暇はないでしょう?」
マリウスの手が、2本の短剣を握り締めた。
「自分が、目の前の敵を仕留めるしかない……」
「その通りです。その意識で常に前の敵へ向かえば、あなたの速さと目の良さは脅威になる。若様やアイリス様にも匹敵するか、それ以上のものを持っていると思いますよ」
俺も話を聞いて、ようやく合点がいった。
アイリスとマリウスの立ち合いを見た時、アイリスが打たれる姿を少しも想像できなかった。
速さや技量が足りなかったからじゃない。
マリウスの短剣には、打ち込まれたら終わると思わせる怖さがなかったんだ。
弓で止められなかった敵を、短剣で仕留める。
その力を身につけた時、マリウスの戦い方は初めて完成する。
次はジークの番だ。
ロウエン爺がジークに向き直る。
「ジーク様の剣は、騎士団の剣術ですな。そもそも騎士団の剣術は集団戦に特化しております。隊列を組んで戦えば強い反面、私のように型にない動きをする個人への対応には、経験が必要になります」
ロウエン爺はそこで一度頷いた。
「ですが、ジーク様は変則的な動きにもだいぶ慣れていらっしゃる。若様とたくさん立ち合われたことが分かりますな」
ジークが真剣な顔で頷く。
「セインとは何度も立ち合いました。だが、ロウエン殿の動きはまた違います。見えているのに、間に合わない」
「それでよろしい。ジーク様には守る力があります。しかし、守ることを考えるあまり、相手を崩す意識が少し弱い」
ロウエン爺はジークの盾を指差した。
「盾は受けるだけのものではありませぬ。相手の目を隠し、体勢をずらし、足を止め、こちらの剣を通すための武器でもあります」
ジークが盾へ目を落とす。
「盾で、崩す……」
「そうです。シールドバッシュだけではありません。少し盾を貸してくだされ」
ロウエン爺はジークから盾を借りると、左腕に構えた。
「打ち込んでくだされ」
ジークが刃を潰した鉄剣を振り下ろす。
ロウエン爺は剣を受ける瞬間、盾の角度をわずかに変えた。
金属が擦れる音とともに、ジークの剣が外側へ流される。
空いた胴へ半歩踏み込み、前蹴りを叩き込む寸前で足を止めた。
続いて、今度は盾を大きく突き出し、ジークの視界を塞ぐ。
ジークが盾の向こうにある剣を警戒した瞬間、その下から伸びたロウエン爺の足が、ジークの足首を払った。
「うわっ!?」
ジークが何をされたかも分からないまま地面に転がる。
次の瞬間には、ロウエン爺の刃を潰した鉄剣が首筋に突きつけられていた。
ジークは目を丸くする。
「お、俺は今、何をされたんだ!?」
「足払いですよ。ジーク様は型を守ろうとするあまり、型の外から来る足技や不意打ちへの反応が一瞬遅れますな。盾で相手を崩す方法と一緒に、さまざまな動きを身体へ叩き込む。ジーク様の鍛練方針は決まりですな」
ジークは転がされたまま、しばらく空を見上げていた。
そして、ゆっくり起き上がる。
「……面白い。盾を受けるためだけに使っていたつもりはなかったが、俺はまだ全然使えていなかったんだな」
その目は、悔しさよりも喜びが勝っていた。
ロウエン爺が俺を見る。
「若様は、見ているだけでよろしいですかな?」
俺は立ち上がり、刃を潰した鉄剣を構えた。
母さんの氷槍が、まだ頭から離れない。
撃つ。作る。撃つ。作る。
あの間のなさを、剣でも作りたかった。
「お願いします!」
地面を蹴り、ロウエン爺へ踏み込む。
母さんの氷槍を思い出すたび、胸の奥が熱くなる。
足が軽い。剣を振り抜いても、すぐに次の一歩が出た。
剣を振る。
受けられる。
すぐに足を入れる。
かわされる。
体勢を戻しきる前に腰を捻り、さらに剣をつなげる。
ロウエン爺は俺の攻撃を一つ一つ見切り、最小限の動きで対応していた。
「若様、この半年間でさらに成長なさいましたな。剣速、力強さ、剣の正確さ、間の取り方、攻撃のタイミング。すべてに成長が見えます」
褒められても、止まらない。
右から斬り込み、受けられた剣を押し込む。ロウエン爺の足が、半歩後ろへ下がった。
初めて下がらせた。
さらに一歩踏み込むと、ロウエン爺の剣先がわずかに下がり、肩の力が抜けたように見えた。
いける。
今なら押し切れる。
俺は迷わず地面を蹴った。
その瞬間、ロウエン爺の姿が視界から消えた。
「えっ――」
踏み込んだ足が止まらない。
剣は空を斬り、身体だけが前へ流れる。
首筋に冷たい鉄が触れた。
「動ける者は、このように少し誘っただけで、思い通りに動いてくれる。若様、敵の罠にご注意くだされ」
声のした方へ、目だけを向ける。
ロウエン爺が、俺の真後ろに立っていた。
息が止まった。
後ろへ下がったのも、剣先を落としたのも、全部わざとだった。
俺は隙を見つけたんじゃない。
隙を見せられて、そこへ飛び込まされたんだ。
動ける身体。
それは、強さだ。
でも同時に、動けるからこそ、敵に動かされる危うさもある。
俺は今日、初めてそれを思い知った。
首筋から鉄剣が離れる。
俺は振り返り、刃を潰した鉄剣を握り直した。
まだ終わりたくなかった。




