第47話 伝説の氷魔法
屋敷の広大な庭で、ロウエン爺がジークとマリウスに、ロウエン流の真髄を語り始めた。
俺も混ざろうとしたところで、母さんに呼び止められる。
「セイン、今日はこっちだよ。森に行くよ」
母さんの後ろには、アンドリューとエルナがついてきていた。
「え? もう魔法を教えるの?」
母さんは真面目な顔で頷いた。
「ああ。レイフォルト伯爵家は、グランベル騎士爵家にとって恩人だったらしいからね。筋は通したい。早い方がいいだろう?」
俺たち4人は屋敷を出て、森の中へ入った。
しばらく歩いたところで、母さんが立ち止まる。
「アンドリュー、この辺りで一番でかい木を探しな」
「ハ、ハヒぃーー!!」
アンドリューは直立不動で答えると、辺りを歩き回った。
やがて、1本の大木を指差す。
「この木が、この辺りでは一番大きいと思われます!」
屋敷の近くにあるとは思えないほど太い木だった。
大人が数人で手を回しても、幹を囲みきれないだろう。普通の剣や槍でどうにかできる木ではない。
母さんは大木を見上げ、満足そうに頷いた。
「うん。なかなかよさげだね。エルナ! 目ん玉見開いて、しっかり焼き付けな!! いくよ!!」
「はい!!」
エルナが、これでもかというほど目を見開く。
母さんは大木へ向き直り、腹の底から声を上げた。
「ハアアアーーー!!」
肌を撫でていた風が、一瞬で冷たくなった。
吐いた息が白く染まり、母さんの周囲へ白い光が集まっていく。
次の瞬間、10数本の氷槍が母さんを取り囲んだ。
俺の氷槍とは、何もかもが違う。
大きさは3倍以上。どの氷槍も形を崩さず、先端は針のように鋭い。透き通った氷の中には、気泡一つ見当たらなかった。
1本目が放たれた。
ドン!!
大木の幹が震え、遅れて2本、3本と別々の角度から突き刺さる。
ドゴッ!! バキッ!!
一定の間隔ではない。
2本が同時に飛んだかと思えば、別の1本は空中に留まり、向きを変えてから撃ち込まれる。
まるで、一本一本が別の意思を持っているようだった。
しかも、氷槍が放たれて空いた場所には、次の白い光が集まっている。
光はすぐに槍の形へ変わり、先端まで鋭く研ぎ澄まされた。
撃っても、数が減らない。
学園で半年間学び、試し、思い悩んできたからこそ分かる。
これは、ただ氷槍をたくさん出しているわけじゃない。
母さんが口元を吊り上げた。
「じゃあ、本気でいくよ!! これが《氷槍》のクレアだ!!」
ドドドドドドドドドドドドドッ!!
腹の底まで揺さぶる轟音が、途切れることなく森に響き渡った。
幹のあちこちが砕け、木片が激しく飛び散る。森にいた鳥たちが一斉に飛び立ち、木々の向こうへ逃げていった。
数十発目の氷槍が幹を貫いたところで、ようやく轟音が止まる。
静かになった森に、ひび割れる音が響いた。
バキッ、バキッ、バキッ――。
大木がゆっくりと傾き始める。
「うわっ……!」
地面を揺らすほどの音を立て、大木が倒れた。
ドーーーン!!
母さんは額の汗を拭い、一度だけ大きく息を吐く。
「ふぅー。だいぶ魔力を持っていかれたね」
「まだ魔力は残ってるの?」
俺が聞くと、母さんは少し考えてから答えた。
「感覚的に、全体の3分の1くらいは残ってるよ」
「ぶっ……!」
隣で妙な音がした。
エルナが鼻血を噴き出し、ふらりと身体を傾ける。アンドリューが慌てて、その肩を支えた。
「エルナ! 大丈夫か!?」
「だ、大丈夫や……ちょっと興奮しすぎただけやから……」
鼻を押さえたまま、エルナが震える声で話し始める。
「あれだけ大きくて密度の高い氷槍を、10数本も同時に出す。その時点で異常なんや。うちは火球を5つ。セインは氷槍をまだ4本やろ?」
「ああ」
「でも、それだけやない。クレア様は10数本を1つの魔法として動かしてへん。一本一本の向きと角度を変えて、別々のタイミングで撃ってた。全部を独立して操ってるんや」
それは、俺にも見えていた。
だが、エルナは倒れた大木を見つめたまま、さらに声を震わせる。
「それでも、一番おかしいのはそこやない。撃った場所に、もう次の氷槍ができてた。普通なら絶対にできるわけがない……」
アンドリューがエルナの肩から手を離し、真剣な顔で母さんを見る。
「エルナ嬢の言う通りです。奥方様の氷槍が最も恐ろしいのは、次の一撃までの隙がないことです」
アンドリューは地面に散らばった氷の欠片を1つ拾い上げた。
「通常、魔法士は魔力を練り、魔法を形にし、狙いを定めて放ちます。そして、放ったあとに再び魔力を練り始める。どれほど優れた魔法士でも、次の魔法を放つまでには必ず溜めが生じます」
氷の欠片を握るアンドリューの指に、力が入る。
「ですが、奥方様は10数本の氷槍を独立して操りながら、その一部を射出し、空いた場所に新しい氷槍を形成していました。そのうえ、次の氷槍に使う魔力まで練り続けていたのです」
操る。狙う。撃つ。新しく形を作る。そして、次に使う魔力を練る。
「それらすべてを、順番に行っているのではありません。同時に処理し続けている。こんなことは、本来、人間1人の脳で処理できるはずがないのです」
アンドリューの声には、恐怖に近い響きさえ混じっていた。
「魔法を放ったあとの隙がなくなれば、前衛に守られる必要すらなくなる。どれほど強い剣士や魔物でも、近づく前に押し潰せる。魔法士になった子どもなら、誰もが一度は夢見ることです」
アンドリューは自嘲するように笑った。
「そして、すぐに思い知るのです。同時に処理しようとすれば、頭が割れそうに痛み、魔力の流れが絡まり、すべての魔法が崩れる。人間には不可能なのだと」
その不可能を、母さんはやっている。
動ける魔法剣士。
俺は、魔法を撃ったあとも動ける身体を目指してきた。
だが母さんは、次の魔法を撃つまでの隙そのものを、魔法の技術で消している。
アンドリューが、まぶしいものを見るように母さんを見つめた。
「奥方様だけが、それを実現してしまった。だからこそ、王立学術学園在籍中に《氷槍》の二つ名を授けられたのです」
母さんが眉間にしわを寄せ、声を低くした。
「アンドリュー……足元」
「えっ?」
アンドリューの足元が白く凍りついていた。
氷は靴を包み込み、足首から脛へとゆっくり這い上がっていく。
「ヒ、ヒぃーー!! 何で!? 何で凍っている!? 私は水属性の魔法士だぞ!?」
「あたいの氷槍を、子どもの夢だの人間には不可能だのと、人をゴリラみたいに馬鹿にした罰だよ」
母さん、それは完全に言いがかりでは?
「ち、違います! そういう意味ではありません!!」
アンドリューが必死に自分の魔力を流し込む。
だが、氷は少しも止まらない。
さっきの攻撃で魔力を3分の2も使ったはずなのに、同じ水属性のアンドリューですら抵抗すらできていなかった。
これが、母さんの知名度を一気に上げた伝説の同属性凍結!
エルナが前に眉唾だと言っていた話は、本当だったのか!
アンドリューも、選ばれた魔法士しか入れない王宮魔法士団の団員なんだぞ!?
「ヒ、ヒぃーー!! 奥方様! ごめんなさい!! 助けてください!!」
ついにアンドリューが泣き出した。
その様子を見ていたエルナの身体が、痙攣したように大きく震える。
「で、伝説の氷魔法や……。話は……少しも盛って……いなかった……」
今度こそ白目を剥き、その場に倒れた。
母さんが舌打ちする。
「チッ……最近の子は、すぐに倒れるんだね……! アンドリュー、氷は解いたから、この子を担ぎな! 屋敷に帰るよ」
「母さん、アンドリューさんは足が動かなそうだから、エルナは俺が担ぐよ!」
母さんが勢いよく俺を振り返った。
「セイン、何を言ってるんだい! あんたはアイリスちゃん以外の女の子に触れるんじゃないよ!」
ただ担ぐだけなのに、何がいけないんだ?
「アンドリュー! 早くしな!! エルナを落としたら、どうなるか分かってるね?」
「ハ、ハヒぃーー!! 絶対に落としません!!」
アンドリューはエルナを背負い、まだ動きにくそうな足を機械のように動かし始めた。
俺はいつでも助けられるよう、アンドリューのすぐそばを歩く。
アイリスがここにいたら、俺に担がせず、自分でエルナを担ぎそうだ。
あいつ、細いけど力だけはあるからな。
屋敷へ戻ると、母さんに続いて、エルナを背負ったアンドリューも中へ入っていった。
俺は玄関の前に立ち、森の方を振り返る。
母さんの氷槍は、何度も見てきた。
でも、今日初めて分かった。
あれは、ただ大きくて強いだけの魔法じゃない。
魔法士なら誰もが夢見て、誰にもできなかったことを、母さんだけが実現した魔法だ。
そして俺は、まだその入口にすら立っていない。
庭の方から、木剣がぶつかり合う音が聞こえた。
俺は、その音へ向かって駆け出す。
剣を振り、動きながら氷槍を保ち、その先で、撃ちながら次の魔力を練る。
母さんの背中は、思っていたよりずっと遠い。
それでも今日、追いかけるべき道が、ようやくはっきりと見えた。




