第40話 アイリス激怒
午前の授業が終わると、俺とアイリス、リリア、ジーク、エルナの5人で食堂に集まり、昼飯を一緒に食べることが習慣になっていた。
その日も俺とアイリスが食堂へ入ると、食器の触れ合う音や生徒たちの話し声が耳に飛び込んできた。
いつも通りリリアを探していると、窓際の席にいたリリアが3人の先輩たちに囲まれているのが見えた。
「君、かわいいよね。1人ならさ、俺たちと飯を食べようよ!」
そう言いながら、先輩の1人がリリアの手を掴んだ。
リリアは掴まれた手を引こうとしながら、はっきりと拒絶する。
「いえ、結構です。私は1人ではありません。やめてください! 離してください!」
俺はすぐにリリアのところへ向かおうとした。
だが、俺が足を踏み出した瞬間、湯気の立つスープを載せたトレーを持った生徒たちが目の前を横切った。
「すみません、通して――」
無理に押し退ければ、熱いスープを誰かにかけてしまう。
俺が人の流れに遮られている間に、隙間をすり抜けたアイリスが一足先にリリアのもとへ辿り着いた。
アイリスは先輩たちを押し退け、リリアとの間に割って入る。
「邪魔よ!! リリアの手を離しなさい!! 嫌がっているのが分からないの!? 気持ち悪い!!」
アイリスの怒鳴り声が響き、周囲の話し声が急に小さくなった。
先輩はリリアの手を離すと、今度はアイリスの肩へ馴れ馴れしく腕を回した。
「生意気な口を利くけど、こっちもかわいいな! 俺たちと一緒に来いよ。楽しませてやるからさ!」
「気持ち悪いから触らないで!!」
肩に回された腕を振り払おうとしたアイリスの肘が、先輩の頬をかすめた。
リリアは赤くなった手首を押さえながら、アイリスを心配そうに見つめている。
アイリスの肘がかすめた先輩の顔が、怒りで歪んだ。
「この野郎!! 人が親切に話しかけてやったのに、調子に乗りやがって!! 痛い目に遭いたいようだな!!」
先輩がアイリスの顔へ拳を振り上げた。
その瞬間、食堂の音が止まった。
俺は人の流れから抜け出し、アイリスのもとへ駆ける。
「アイリス!!」
しかし、間に合わない。
先輩の拳が振り抜かれる寸前、アイリスは顔をわずかに傾けて紙一重で避けた。
そのまま身体を沈め、先輩の顎を狙って拳を思いきり振り抜く。
バキッ!!
先輩の頭が跳ね上がった。
一瞬意識が遠のいたのか、先輩の身体が大きく揺れる。
それでも倒れずに踏みとどまった先輩の顔面へ、アイリスはさらに拳を叩き込んだ。
「アイリス、もうやめてください!」
リリアの声も、今のアイリスには届いていない。
バキッ!! ドフッ!! ベキッ!!
何度も顔面を殴られ、先輩の身体がふらついた。
最後にアイリスが腰を回し、十八番の上段回し蹴りを先輩の頭部へ叩き込む。
ドガッ!!
先輩は白目を剥き、そのまま食堂の床へ倒れた。
まずい。
アイリスが完全にブチギレている。
残った先輩2人が逆上し、アイリスへ殴りかかろうとしたところで、ようやく俺が間に入った。
俺は先輩たちへ背を向け、アイリスの身体を正面から抱き締めるように押さえ込む。
「アイリス!! もうやめろ!! これ以上はやりすぎだ!!」
「離して、セイン!! こいつらがリリアに――」
「分かってる!! でも、もう十分だ!!」
俺はアイリスを抱き締めたまま、背後の先輩たちへ叫んだ。
「先輩方もやめてください!! もういいでしょう!?」
「良くねえよ!! 1年のくせに生意気なんだよ!!」
「どけ!! 邪魔なんだよ!!」
背後で靴底が床を擦る音がした。
振り向こうとしたが、俺はアイリスを押さえるために両腕を回したままだ。
ここで腕を緩めれば、アイリスが再び先輩たちへ飛びかかる。
そう迷った一瞬、先輩の蹴りが背中へ食い込んだ。
ドフッ!!
「うっ!!」
肺の中から空気が押し出され、身体が前へよろめく。
さらにもう1人の蹴りが、肩甲骨の辺りへ叩き込まれた。
ドゴッ!!
「ぐっ!!」
「セイン!」
リリアが息を呑んだ。
蹴られた衝撃で腕が緩んだ瞬間、アイリスが俺の腕から無理やり抜け出した。
俺が振り返るとアイリスの顔は、さっきまでとは比べものにならないほどの怒りが浮かんでいる。
「セインを蹴ったわね……」
「アイリス、待て!!」
「あんたたち、絶対に許さない!! ハアアーー!!」
アイリスは先輩2人へ飛びかかった。
1人を右足の前蹴りでのけぞらせ、そのまま左足で頭部を狙う。
先輩が両腕を上げて蹴りを受け止めた。
だが、アイリスは身体を回転させ、さらに跳び上がる。
剣術の鍛練でも何度も見てきた、アイリスお得意の空中後ろ回し蹴り――いわゆるソバットだ。
アイリスの右足が、先輩の防御ごと頭部を打ち抜いた。
ドガッ!!
先輩は激しく床へ叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
残ったもう1人へ、アイリスが一気に間合いを詰める。
先輩が拳を振るうより早く、アイリスの右足が弧を描いた。
蹴りが速すぎて見切れなかったのか、先輩は防御することもできない。
上段回し蹴りが側頭部へ直撃する。
バキッ!!
最後の先輩も意識を失い、崩れるように床へ倒れた。
食堂が静まり返った。
誰かが落としたスプーンが床を跳ね、乾いた音を立てる。
3人の先輩が倒れ、その中心でアイリスが肩を上下させていた。
リリアは掴まれた手首を胸元に抱えたまま、床に倒れた先輩たちを見て青ざめている。
やがて、どこからともなく拍手が鳴った。
パチパチパチパチ!!
それをきっかけに、一瞬の静寂を吹き飛ばすような歓声が食堂中から湧き起こる。
「うおおおーー!! つええーー!! あのかわいい子は1年か!?」
「1年の女の子が3年Aクラスの3人をのしたぞ!!」
「キャー!! カッコ良すぎる!! あの子、誰!?」
そこへ、騒ぎを聞きつけたエルナとジークが駆け込んできた。
床に伸びている3人と、中心に立つアイリスを見て、エルナが額に手を当てる。
「あちゃー!! アイリス、やってもうたな! 3人とも伸びとるやん! まあ、周りの話を聞く限り、自業自得みたいやけど、ちょっと強すぎへんか!?」
ジークは倒れている先輩たちを見たあと、俺の背中へ目を向けた。
「セイン、お前もやられたのか?」
「ああ……止めようとしたら、後ろから蹴られた」
すぐに数人の先生たちが食堂へ入ってきた。
その中には、剣術を教えているザック先生もいる。
「道を空けろ!!」
ザック先生の一喝で、生徒たちが左右へ分かれた。
ザック先生は倒れている先輩たちの様子を確かめ、別の先生へ指示を出す。
「3人とも気を失っている。すぐに治癒室へ運べ!」
それから、神妙な面持ちで俯いているアイリスを見た。
「ずいぶん派手にやったな。アイリス、お前が3人とも倒したのか?」
「……はい」
「詳しい事情は、ここにいた生徒全員から聞く。セイン、お前も背中を診てもらえ。リリアは掴まれた手首を治癒士に見せろ」
翌日の放課後、俺とアイリス、リリアは指導室へ呼び出された。
食堂にいた生徒たちへの聞き取りは、すでに終わっているようだった。
ザック先生は机の上に置かれた報告書へ目を落としてから、俺たちを見た。
「先に、3年生3人の処分を伝える。リリアに無理やり同行を迫り、手首を掴んだこと。アイリスの身体に勝手に触れたこと。先に拳を振るい、止めに入ったセインを背後から蹴ったこと。いずれも複数の生徒が証言している」
先生の声が低くなる。
「さらに、あの3人は以前にも下級生に対して同様の行為を繰り返し、何度も注意を受けていた。今回の件をもって、3人全員を退学処分とする」
リリアが小さく息を吐いた。
次に先生の視線が、アイリスへ向けられる。
「アイリス。お前がリリアを助けようとしたこと、先に攻撃を受けたこと、残る2人がセインを蹴ったことは認める。だが、最初の1人が抵抗できない状態になっても、頭部への攻撃を続けた。これは身を守るために必要な範囲を明らかに超えている」
「……はい」
「よって、アイリス・エーレンフェルトには2週間の寮内謹慎を命じる」
アイリスは、スカートの上で拳を強く握った。
「なお、謹慎が明けるのはクラス替え試験の1か月前だ。謹慎期間中は、授業だけでなく試験への参加も認められない。問題を起こして処分が延びれば、クラス替え試験は欠席扱いになる」
アイリスが顔を上げた。
「欠席したら、どうなるんですか?」
「学園の規則により、次の試験まで暫定的にDクラスへ振り分けられる」
「Dクラス……」
「お前がリリアを助けたことを咎めているわけではない。だが、力を持つ者ほど、その力を止める術も身につけなければならない。次は自分で止まれるようになれ!」
「……分かりました」
クラス替え試験やDクラスが何なのか、俺にはまだよく分からなかった。
それでも、アイリスが問題を起こせば、何か大切な機会を失うことだけは理解できた。
その後、アイリスは2週間の寮内謹慎となった。
寮の中であれば移動を許されていたため、俺たちが授業を受けている間は、寮の訓練場でひたすら身体を動かしていたらしい。
幸い新たな問題は起こらず、謹慎が明ける前日を迎えた。
その日の放課後、俺とアイリス、リリア、ジーク、エルナの5人は寮の談話室に集まっていた。
俺はアイリスへ笑いかける。
「明日から、また普通に登校できるようになるな。処分も延びなかったし、良かったよ」
アイリスはふて腐れたように頬を膨らませた。
「そもそも、何で女の子である私が暴れてるのよ! セインが暴れなさいよ! 入学式の時に、ちゃんと私とリリアを守るって言ったわよね!?」
「ま、まあ、そうだけど……俺はそう簡単に暴れないよ」
「セインの意気地なし!!」
リリアが口元を押さえながら笑った。
「アイリス、セインはちゃんとアイリスを守っていましたよ。後ろから蹴られても、アイリスを止めようとしていましたから。それに、私もアイリスに守ってもらえて嬉しかったです」
「セインは私を抱き締めて、後ろから蹴られていただけじゃない!! 男のくせに情けない!」
「蹴られていたのは、アイリスを押さえていたからだよ!」
エルナが楽しそうに笑う。
「まあまあ! クラス替え試験の前に謹慎が明けて良かったやん! 何か問題起こして、試験を受けれんかったら、アイリスは次の試験までDクラスやったんやで?」
ジークも真面目な顔で頷いた。
「そうだな。試験を欠席した者は、どれだけ実力があっても一律でDクラスに振り分けられる。危ないところだった」
俺は以前から気になっていた言葉を思い出し、首を傾げた。
「そういえば、あの時から気になってたんだけど……クラス替え試験って何なんだ? SクラスとかDクラスとか、どんなクラスがあるの?」
俺の言葉に、全員が目を見開いた。
「セイン! そんなことも知らんの!? えらい学年1位がおったな!」
エルナが驚きの声を上げると、ジークが呆れたように息を吐いた。
「クラス替え試験は、6月と11月の年2回行われる試験だ。その結果で、次の試験まで所属するクラスが決まる。入試と同じく、実技と筆記の総合点で学年順位が出されるんだ」
「なるほど。続けてくれ」
「学年上位5人がSクラスで、6位から25位までがAクラス。それ以下も順位に応じて振り分けられて、1年生はB、C、Dクラスまである」
「上位5人だけ……」
「ああ。Sクラスに入れるのは、各学年でたった5人だ」
ジークは一旦言葉を切り、俺の顔を見ながら続けた。
「ちなみに、俺の父上とアノルドさん、クレアさん、ギルベルトさんは同級生で、6年間ずっとSクラスだったらしいぞ」
俺は驚いて身を乗り出した。
「えっ!? そうなの!? フィオナさんは!?」
アイリスが少し残念そうに答える。
「母上は6年間ずっとAクラスだったらしいわ。Sクラスの5人は別格すぎて、どうしても入れなかったと言っていたわよ」
俺の胸が一気に熱くなった。
そうなんだ。
父さんと母さんもSクラス。
6年間ずっと、学年上位5人に入り続けていたのか。
なら、俺も必ずSクラスに入りたい。
父さんと母さんが立っていた場所に、自分の力で辿り着きたい。
学園長は、クラス替え試験が実力者への登竜門だと言っていた。
まずは、この最初の登竜門を必ず突破してやる!
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