第30話 氷槍のクレア
屋敷へ入ってきた王宮騎士5人と王宮魔法士5人を、父さんは玄関ホールに集めた。
「今日から、このグランベル領の警備に加わってもらう。王宮騎士は俺が、王宮魔法士は妻のクレアが指揮する」
父さんは全員を見回した。
「みんなには、これから俺たちの指揮に従ってもらう。お前たちをどう動かすかは、現場責任者である俺に一任されている」
すると、若い王宮魔法士が口を開いた。
「失礼ながら、氷槍のクレア殿といえども、王宮魔法士団を引退されて10数年が経っています。現在、騎士爵家の奥方様に、我々王宮魔法士団員の指揮を任せるのは荷が重いのではないかと具申いたします」
その言葉を聞いた瞬間、ほかの王宮魔法士たちも、顔を真っ白にして固まった。
父さんは顔を逸らした。
俺は後ずさりして、母さんのそばを離れた。
これはマズい!
だが、母さんは王宮魔法士団にいたのか?
冒険者をやっていたことに続いて、また知らない過去が出てきたぞ?
母さんは満面の笑みを浮かべて聞き返す。
「ボクゥ~、今何て言ったのかな~?」
若い魔法士は、悪びれもなく言い返そうとした。
「聞こえなかったなら、もう一度――」
パシーン!!
「貴様!! 何て失礼なことを言うんだ!!」
後ろにいた先輩魔法士に、後頭部を思い切り叩かれた。
先輩魔法士は、その場で母さんに土下座した。
「クレア様、若い団員の教育が行き届いておらず、大変申し訳ございません! 以後、教育を徹底し、二度と無礼な発言をさせません!」
問題発言をした若い魔法士は、別の魔法士2人に無理やり頭を押さえつけられ、土下座させられていた。
母さんが、これ以上ないほど低い声で言う。
「ああ、そうかい? 今度舐めた口を利いたら、わかってるね?」
「は、はい!! 骨身にしみてわかっております。何卒、ご容赦をお願いいたします」
母さんは、魔法士2人に押さえつけられ、土下座させられている若い魔法士の前にしゃがんだ。
その胸ぐらを掴んで顔を上げさせ、満面の笑みを浮かべた。
「お前、名前は何ていうんだい?」
「ア、アンドリュー・ベルハイムです……」
「そうかい。アンドリュー。あたいが指揮を執るのが不満なら、納得できるまで1日に何回でも相手をしてやんよ!」
母さんは立ち上がり、冷たい目でアンドリューを見下ろした。
「楽しみにしてな!」
「ハ、ハヒぃーー……」
父さんも、騎士たちも、ほかの王宮魔法士たちも、母さんのすさまじい殺気に青ざめ、誰1人動けなかった。
父さんが重苦しい空気を振り払うように口を開いた。
「とりあえず、みんなには村のほうに仮住まいを用意するから、しばらくそこで寝泊まりしてくれ。正式な家を用意できるまで辛抱してほしい。細かいことを決め次第、追って連絡する。それまでは自由に過ごしてくれ。以上だ」
父さんがそう言うと、王宮騎士と王宮魔法士たちは屋敷を後にした。
◇◇◇◇
屋敷を出た後、アンドリューは納得できない様子で先輩魔法士に詰め寄った。
「何で我々は、10年以上も現場を離れていた貴族の奥方様の命令に従わなければならないんですか!?」
先輩魔法士は、信じられないものを見るような目を向けた。
「……お前は氷槍のクレアを知らないのか?」
「知っていますよ! 元A級冒険者で、王宮魔法士団にも所属していた二つ名持ちでしょう!? ですが、噂はどれも大袈裟な眉唾話じゃないですか!」
「眉唾なわけがあるか! お前はあまりに知識が足らなすぎる! ……それなら、お前がいちばん信じていなさそうな、王都で一時期語り草になった話を教えてやる!」
先輩魔法士は遠い目をし、低い声で語り始めた。
「昔、王宮魔法士団に、現在のエーレンフェルト領主であるギルベルト・エーレンフェルトの奥方、フィオナ様を侮辱した魔法士がいた」
◇◇◇◇
ある日の休憩中、ある魔法士は同僚の魔法士に話していた。
「《癒しの美姫》って知っているか?」
「ああ。この間、二つ名に認定されたエーレンフェルトの元A級冒険者だろ? 腕はかなり良いらしいな」
「そうだ。《癒しの美姫》がいる教会兼治癒院には、連日大行列ができているらしい。治癒士の街として有名なエーレンフェルトでだ! 1軒だけに大行列ができるなんて、おかしいと思わないか?」
「何がおかしいんだ?」
「治癒の腕じゃなく、自分の顔を売り物にして客を集めているんじゃないかって話だよ! その証拠に患者は男ばかりと聞いた。もしかしたら、治癒以外のこともしていたりしてな!」
男は下卑た笑いをした。
クレアが眉間に皺を寄せ、下卑た笑いをした魔法士に詰め寄った。
「テメーが今侮辱したフィオナは、あたいの親友なんだわ! 今の暴言を撤回して、その気持ち悪い笑いもやめてくんないかな?」
「ああ? 何でだよ? 自分の顔を売り物にしている方が悪いだろ? お前も親友ならわかってんだろ!? 俺もお願いしにいきたいところだわ」
そう言って、男は再び下卑た笑いをした。
「ああ、そうかい? 撤回しないんだな!? テメーごときがフィオナの何を知ってるんだよ!! フィオナは治療以外のことは何もしねえよ!!」
「ああ? 何も知らないよ。俺が何を言おうが勝手だろ? どっか消えろよ! 二つ名を持っているからって調子に乗るんじゃねえよ!!」
クレアは怒りで顔を真っ赤にして、全身を震わせた。
「テメーは死にてえらしいな!! ふざけんじゃねえぞ!! クソ野郎が!! 消えるのはテメーだよ!!」
「ハッハッハ! 残念だったな! お前も水だろ? 俺もなんだよ! だから耐性持ちなんだよな!」
だが、その男の足元が凍り始めた。
足が完全に凍り、氷はそのまま腹まで達する。
「え!? ど、どうなってんだ!! 何で俺が凍ってるんだよ!!」
それを見ていた同僚も恐怖と衝撃で顔が青ざめ、唖然としていた。
クレアがイタズラっぽく笑い、その魔法士に顔を近づける。
「さあ~? どうなってるんだろうね~? 答えはあの世で考えな!! 今すぐぶち殺してやんよ!!」
「ひ、ひぃーーー!! やめてくれ!! 俺が悪かった!! 今の言葉は撤回する! フィオナ女史のことは二度と悪く言わないから許してくれ!! 頼む!!」
◇◇◇◇
先輩魔法士が話し終えたときには、アンドリューは青ざめていた。
「凍らされたやつが誰だかわからないだろうから教えてやる。現在、新人育成部の部長を務めているスコイル殿だ!」
「ま、まさか、あの鬼教官ですか!?」
「ああ、そうだ! 魔法士は、自分と同じ属性の魔法に耐性がある。だから、同属性の魔法を効かせるには、魔力量や魔法制御で相手を大幅に上回らなければならない。それくらい知っているな?」
アンドリューは、全身にじっとりと嫌な汗をかきながら頷いた。
「氷槍のクレアは、俺たちのようなエリートと呼ばれる魔法士とも、まるで次元が違うんだよ」
先輩魔法士は、領主屋敷の方を振り返った。
「あの方には絶対に逆らうな。失礼なことを言うな。魔法士として敬意を持って接しろ!」
アンドリューは、喉を鳴らした。
「その氷槍のクレア様が……本当に死にかけたんですか?」
「ああ。お前も報告書くらい読んだんだろ? コボルト78体をほぼ1人で相手にして生還している。そんなこと、誰にもできないだろ!? だが、魔力が枯渇して死にかけたのも事実だ! だから我々がここに来た」
その言葉で、アンドリューはようやく理解した。
自分たち王宮魔法士が、グランベル領へ配属された理由。
王宮騎士団長が自ら謝罪に来た理由。
王国がグランベル領を無視できなくなった理由。
これは、ただのコボルト被害ではない。
次元の違う天才魔法士、氷槍のクレアを死の寸前まで追い込んだ事件なのだ。
◇◇◇◇
数日後。
エーレンフェルト領から続く街道を、1台の馬車が走り、グランベル領へ入ってきた。
馬車の扉には、エーレンフェルト家の紋章が刻まれていた。
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