第3話 父の初めての指導
「ま、まさか……お前……本当に鍛練をしているのか……?」
父さんは、信じられないものを見るような目で俺を見ていた。
俺は首を傾げながら答える。
「うん」
その一言で、居間の空気が止まった。
母さんは胸の前で手を組んだまま固まっている。
父さんも、しばらく言葉を発しなかった。
「な、なんでそんなことをするんだ……?」
父さんの声には、まだ困惑が残っていた。
やっぱり、3歳児が筋トレをしたら違和感があるんだな……。
しかし、理想の身体作りには必要なことだ!
止められてなるものか!
ここは正直に答えよう。
「ころばない」
「はやく、うごく」
「もっと、できること、ふえる」
「ゴブリン、こわい」
「だから、つよくなる」
父さんの表情が変わった。
さっきまでの困惑が消え、剣を握る時のような真剣な顔になる。
父さんは俺の言葉を確かめるように、しばらく黙って見つめてきた。
「……そうか」
父さんは小さく息を吐いた。
母さんが不安そうに父さんを見る。
「あんた……?」
父さんは俺の前にしゃがみ、目線を合わせた。
「セイン。鍛えるなら、俺が見る」
「あんた、セインはまだ3歳なんだよ?」
母さんが慌てて口を挟んだ。
「分かっている。だからこそ、俺が見る。無理はさせない。間違った動きもさせない」
父さんはそこで、少しだけ笑みを浮かべた。
「それに……ここまで言われて止められるか。セインは騎士の息子の鑑だぞ」
「だから心配なんだよ……!」
「大丈夫だ。俺が見ている。壊すような真似は絶対にさせない」
父さんは再び俺を見た。
「いいか、セイン。鍛練は身体を強くするためにやるものだ。壊したら鍛練ではない。痛い時は痛いと言え。疲れたら休め。嘘をつくな」
「うん」
俺はすぐに頷いた。
壊したら鍛練ではない。
その言葉は、妙に胸に残った。
前世の俺は、いつの間にか筋肉を大きくすることばかり考えていた。
動ける身体を作るはずだったのに、身体を重くする方向へ進んでいた。
父さんの言う通りだ。
壊したり、動けなくなったりしたら意味がない。
怪我をしたら、鍛える時間も減る。
だから非効率なんだ。
「よし! なら庭に出ろ。お父さんが教えてやる!」
父さんは勢いよく立ち上がった。
「ちょっと……あんた。本当に大丈夫なのね?」
「心配するな。無茶はさせない。セインの様子を見ながらやる」
母さんはまだ不安そうだったが、父さんの目を見て、小さく息を吐いた。
「……わかったよ。でも、少しでも危ないと思ったらすぐに止めてね」
「ああ。大丈夫だ」
父さんは喜びを隠しきれない顔で、俺を庭へ連れ出した。
「あんた、喜びを隠しきれていないんだよ。全く……」
母さんの呆れた声が背後から聞こえた。
どうやら、鍛練を止められることはなさそうだ。
父さん、分かっているじゃないか。
ひとまず安心だな。
外は少し冷えていた。
庭の土は夜露を含み、踏むと柔らかく沈む。
空には星が出始めている。
父さんは少し離れた場所に立ち、腕を組んだ。
「セイン、今のをやってみろ」
「うん」
俺は後頭部に手を当て、姿勢を正してスクワットを始める。
「ふっ……ふっ……ふっ……」
膝を曲げる。
腰を落とす。
立ち上がる。
だが、すぐに父さんの声が飛んだ。
「待て」
俺は動きを止めた。
父さんは正面から俺を見据え、顎に手を当てながら言う。
「膝が内に入っている。つま先と同じ方へ向けるんだ。このままでは足を痛めるぞ」
やはり、膝が内に入っていたか。
自分でも姿勢が崩れていることは分かっていた。
だが、3歳の身体では思った通りに動かせず、どこまで足を開き、膝をどの方向へ向ければ安定するのかまでは掴めていなかった。
言われた通りに足の向きを直してみる。
膝を外へ逃がすのではなく、つま先と同じ方へ向ける。
それだけで、さっきより太ももに力が入るのが分かった。
分かっていたつもりでも、自分の身体を外から見ることはできない。
さすが、父さんはこの世界の戦士だ。
俺が崩れていることに気づくだけでなく、今の身体に合った直し方まで分かっているんだな。
「足は少し開け。狭すぎるとふらつく」
「うん」
「背中を丸めるな。胸を少し張れ」
「うん」
「目線を落としすぎるな。下ばかり見ると、身体も前に倒れる」
なるほど。
ただしゃがむだけでも、見るところが多い。
前世の知識があっても、今の身体を正しく動かすには、外から見てもらうことも必要なんだ。
「よし。もう一度だ」
「ふっ……ふっ……ふっ……」
1回。
2回。
3回。
今度は前よりもぶれない。
足裏が地面を押している感覚がある。
6回。
7回。
けれど、太ももがプルプルと震え始めた。
脚全体が熱い。
膝の上あたりが、自分のものではないみたいに震えている。
「よし! セイン、無理するな。少し休憩を挟んで、もう一度やるぞ!」
インターバルを挟んで、もう1セットやることも分かっているのか。
父さんの指導には、素直に従った方がよさそうだな。
俺は膝に手をつきそうになったが、慌てて姿勢を戻した。
「休む時は、ちゃんと息をしろ。肩で息をしすぎるな。苦しくなったら吐け」
呼吸まで見ているのか。
父さんは身体の仕組みを説明する言葉は知らないかもしれない。
だが、長年の鍛練と戦いの経験から、力を出し続けるための呼吸を知っているんだ。
短い休憩のあと、俺はもう一度構えた。
「ふっ……ふっ……ふっ……」
3回目で太ももが震えた。
7回目で足裏が浮きかけた。
9回目で身体が前に倒れそうになる。
クソ!
だが、ここで雑にやったら駄目だ。
「セイン! あと1回だ! ただし、膝を崩すな! 雑にやるくらいなら止めろ!」
俺は苦痛に顔を歪ませた。
脚が重い。
頭も重い。
身体が前へ倒れそうになる。
でも、ここで無理に押し切ったら前世と同じだ。
膝をつま先と同じ方へ。
背中を丸めない。
息を吐く。
「うわああああ!!」
10……回。
やり切った。
その瞬間、足から力が抜けた。
「セイン!」
頭を地面に打ちつけそうになったところを、父さんが慌てて抱き締めてくれた。
土の匂いと、父さんの汗の匂いがした。
顔を上げると、父さんは俺を抱えたまま、満面の笑みを浮かべていた。
「セイン!! やったな!! すごいぞ!! さすが俺の息子だ!!」
「……できた」
「ああ、できた! だが最後は危なかった。次は倒れる前に止まれ。いいな?」
「うん」
「よし!」
父さんは嬉しそうに俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
母さんが庭先まで出てきて、ため息をつく。
「ハア……あんたって人は……」
その声には呆れが混じっていた。
でも、さっきより少しだけ安心しているようにも聞こえた。
父さんは満面の笑みで声高に言う。
「見たか、クレア! セインはすごいぞ! 俺がついて教えるから心配するな!」
「わかったよ。でも3歳児なんだから、あまり無理はさせるんじゃないよ」
「ああ。約束する」
父さんは俺を地面に下ろす前に、もう一度言った。
「セイン。今日の鍛練はここまでだ」
「えっ」
「えっ、じゃない。足が震えている。続けたら怪我をする」
俺は自分の足を見た。
確かに、太ももがまだプルプルと震えていた。
立っているだけでも少し危ない。
もう少しやりたい。
だが、ここで無理をしたら前世と同じだ。
「……うん」
「よし。休むのも鍛練だ」
休むのも鍛練。
その通りだ。
俺はその言葉を、心の中で繰り返した。
◇◇◇◇
それから、俺の1日のルーティーンが決まった。
午前中は庭が鍛練場になった。
父さんが時間を取れる日は、積極的に見てくれる。
午後からはお昼寝時間だ。
寝ている時は、成長ホルモンが多く分泌されるから、お昼寝時間はかなり重要だ。
母さんが一緒に添い寝してくれるから、思いっきり甘えられるし、言うことなしだ。
鍛練とはいっても、最初から激しいことはしない。
庭の木と木の間を歩く。
転ばずに止まる。
向きを変える。
また戻る。
ただそれだけだ。
それでも、今の俺には十分きつかった。
「ふっ……ふっ……ふっ……」
「急ぎすぎるな! 速く動く前に、まず転ぶな!」
「うん!」
「止まる時に足を揃えるな。次に動けなくなるぞ!」
なるほど。
止まり方まで重要なのか。
前世の俺は、動き出すことばかり考えていた。
でも、止まれなければ次の動きに入れない。
相手の進路を塞ぐ時も、踏ん張れなければ弾き飛ばされる。
父さんの言うことは、ラグビーにも通じる。
数日経つと、俺はだいぶ転ばなくなった。
まだ足は遅い。
すぐに息も切れる。
太ももも痛くなる。
それでも、前より身体が動くようになっていた。
木まで行く。
止まる。
向きを変える。
戻る。
「だいぶ動けるようになってきたな! セイン! お前は天才だ!」
父さんは毎回のように褒めてくる。
褒めすぎだろうと思う。
でも、悪い気はしない。
母さんは必ず少し離れた場所から見守っている。
最初のような怯えた顔ではない。
まだ心配そうではあるが、俺が倒れそうになると、すぐに布と水を持ってきてくれる。
父さんが教える。
母さんが見守る。
俺が動く。
悪くない。
この世界での俺のやり直しは、ちゃんと始まっている。
◇◇◇◇
数日後の朝、1台の馬車が家の前に止まった。
車輪が土を踏む音がして、馬の鼻息が聞こえる。
俺は庭で軽く足を動かしていたが、見慣れない馬車に首を傾げた。
「だれ……?」
父さんが、待っていたと言わんばかりに笑った。
「お父さんの友達が来たんだよ」
「ともだち?」
「ああ。エーレンフェルト家のギルベルトだ。昔からの親友でな」
母さんが微笑みながら、俺の頭を撫でる。
「セイン、あなたの同い年の婚約者も来ているはずよ」
こ、婚約者!?
まだ3歳児だぞ!?
この世界では、これが普通なのか!?
いや、待て。
同い年の女の子が来るのか。
婚約者というものにはあまり興味がない。
だが、同い年なら話は別だ。
1人で身体を動かすより、2人の方ができることは増える。
走る。
追いかける。
逃げる。
相手の動きを見る。
よし。
仲良くなっておこう。
俺がそう考えた時、屋敷の扉がノックされた。
トントン……。




