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英雄になる最強魔法剣士ができるまで 〜前世で動けなかった俺は、三歳から身体を作り直して多くの人を救う〜  作者: むぎ
第1章 間に合う身体

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第2話 ふっ……ふっ……ふっ……

 夜の屋敷は静かだった。


 セインの父親であるアノルドは、暖炉の前で剣の手入れをしていた。

 油を含ませた布で刃を拭き、光にかざす。刃こぼれはない。だが、魔物との戦いで細かな傷は増えていた。


 暖炉の薪が、ぱちりと爆ぜる。


 その音に混じって、廊下から小さな足音が聞こえた。

 アノルドが顔を上げると、セインの母親であるクレアが居間に入ってきた。


「セインは寝たのか?」


「ええ……寝たわ」


 返事はあった。

 だが、声がいつもより沈んでいる。


 クレアは暖炉の明かりを受けながら、胸の前で両手を握っていた。


 アノルドは剣を置き、椅子から少し身を乗り出した。


「おい……どうした? 何かあったのか?」


 クレアは視線を落とし、それからようやく口を開いた。


「あんた……聞いてくれるかい? 最近、セインの様子が変で……」


「セインの様子?」


 アノルドは眉をひそめた。


 セインはまだ3歳だ。

 転んで泣くこともある。急に機嫌を損ねることもある。何かを怖がって母親にしがみつくこともある。


 アノルドにとって、子どもとはそういうものだった。


 しかし、クレアの顔は冗談を言っている顔ではなかった。


「あの子……毎日、同じことをしているんだよ」


「同じこと?」


「ああ。最初は、遊びだと思っていたんだ」


 クレアの声が、少し震えた。


「庭を行ったり来たりしているだけだと思った。男の子だし、あんたの真似をして身体を動かしたいのかと……」


「それで?」


「でも、明らかに違う。毎日、同じ場所で、同じ距離を、同じように行ったり来たりしているんだよ」


 クレアは暖炉の火を見つめた。


◇◇◇◇


 最初は、本当に遊びだと思っていた。


 セインは庭に生えている、近くの2本の木の間を歩いていた。

 片方の木まで歩き、くるりと向きを変えて、もう片方の木まで戻ってくる。


 そしてまた、同じ道を歩いていく。


 小さな足取りは危なっかしい。

 すぐによろける。

 石につまずく。

 柔らかな土の上で尻餅をつく。


 以前なら、そこで泣いていた。


 クレアの顔を探し、両手を伸ばし、抱き上げてほしそうに目を潤ませていた。


 だが、今のセインは違う。


 転んでも、すぐには泣かない。

 小さな手を地面につき、口を結び、悔しそうに眉を寄せる。


 そして、立ち上がる。


「ふっ……ふっ……ふっ……」


 小さく息を吐きながら、また歩き出す。


 クレアは最初、微笑ましく見ていた。

 泣き虫だったセインが、少しずつ男の子らしくなってきたのだと。


 けれど、何日も続くと、微笑ましさは違和感に変わった。


 セインは、気分で遊んでいるようには見えなかった。

 花を見つけても、しゃがまない。

 虫が飛んでも、追いかけない。

 近くで鳥が鳴いても、そちらへ走っていかない。


 ただ、決めた木まで行く。

 戻ってくる。

 また行く。

 また戻ってくる。


 まるで、自分で何かを決めているみたいに。


 クレアは胸騒ぎを覚え、試しに数えてみた。


 1往復。

 2往復。

 3往復。


 最初は、すぐに飽きると思っていた。


 だが、10を越えた。

 20を越えた。

 30を越えても、セインはやめない。


 額に汗が浮かんだ。

 足がもつれた。

 それでもやめない。


 50を越えた時、クレアの背中が少し冷たくなった。


 そして。


 100往復。


 セインはそこで、ぴたりと止まった。


 偶然だと思った。

 数え間違いだと思った。


 だから翌日も数えた。

 その翌日も数えた。

 さらに今日も数えた。


 結果は同じだった。


 100往復。


 毎日、100往復。


◇◇◇◇


 話を聞き終えたアノルドは、しばらく黙っていた。


 そして次の瞬間、腹を抱えて笑った。


「ハッハッハ! セインはまだ数も数えられないんだぞ! そんなわけないだろ!」


 クレアは笑わなかった。


「私も、最初は同じことを思ったよ。だけど、本当なんだよ……」


 クレアはすがりつくような目でアノルドを見た。


「私はセインのことを心の底から愛している。あの子は、私たちの宝物だよ」


「ああ」


「でも……だからこそ、怖いのよ。あの子が、私の知らない何かになってしまったように見える瞬間がある」


 言ったあと、クレアはすぐに唇を押さえた。


「こんなことを思う母親なんて……」


「クレア」


 アノルドの声が、少しだけ低くなった。


 だが、責める声ではなかった。


「それが本当なら、セインは大したやつだ。だが、まだ偶然だろう。子どもは気に入った遊びを何度も繰り返すことがある」


「……ええ」


「それに、お前が怖がったら駄目だろ。セインはまだ3歳だ。怖がるんじゃなくて、ちゃんと見てやってくれ」


 クレアはうつむき、胸の前で握った指に力を込めた。


「わかってるけど……私たちの宝物なんだから……」


 そう言って、クレアは小さく頷いた。


 アノルドは安心させるように微笑んだ。


「クレアはセインのことになると弱気になるな! 大丈夫だろ!」


 だが、クレアの表情は晴れなかった。


◇◇◇◇


 翌日から、クレアはセインを細かく見るようになった。


 怖がるためではない。

 ちゃんと見るためだ。


「ふっ……ふっ……ふっ……」


 セインは部屋の隅で、足を伸ばして座っていた。


 そして、小さな身体を前へ倒す。


 1回。

 2回。

 3回。


 身体を足の方へ折り曲げる動作を、10回。


 次に、足を少し開く。

 片方の足へ身体を倒す。

 戻す。

 反対側へ倒す。


 それも、10回。


 クレアは息をのんだ。


 セインは遊んでいるようには見えない。

 笑っていない。

 何かを真似しているだけでもない。


 クレアには、柔軟体操に見えた。


 小さな顔は真剣だった。


 クレアは思わず声をかけた。


「セ、セイン……?」


 セインが顔を上げる。


「ま、まさか……本当に数を数えているの?」


 自分でも分かるほど、クレアの声は震えていた。


 セインはきょとんとした顔をした。


「うん、わかるよ」


 クレアは目を見開いた。


 10回。

 分かる。

 そう言った。


 3歳の子が。


「いつ……? いつ覚えたの?」


 セインは首をかしげる。


「かぞえた」


「か、数えた……?」


「うん。じゅっかい」


 クレアは胸の前で手を組んだ。


 ああ、神よ。

 この子にこれ以上の理由を聞くのが怖い私を、どうかお許しください。


◇◇◇◇


 俺は不思議そうに母さんを見た。


 母さん、どうしたんだ?

 急にお祈りをしだしたぞ。


 でも、相変わらず、すごく綺麗な人だ。

 暖炉の明かりが髪に当たって、めちゃくちゃ絵になる。


 だが、最近、柔軟をしていると母さんが明らかに困惑した顔で見てくる。


 やはり、3歳児が柔軟をしているのは違和感があるのか?


 しかし、関係ない!


 柔軟を怠れば怪我につながる。

 可動域を広げるためにも重要な要素だ。

 前世の俺は、身体を大きくすることばかり考えていた。


 でも、それだけでは駄目だった。


 足が出なかった。

 反応できなかった。

 最後の一歩が間に合わなかった。


 今度は、そこから作り直す。


 まずは、転ばない身体だ。


 よし。

 柔軟は終わり。


 次はスクワットだ。


 歩いただけで転ぶのは、頭が重いのに、それを支える脚の筋力が弱いからだ。

 身体のバランスも悪い。

 この身体は、まだ自分の重さを支えきれていない。


 スクワット10回を3セット。

 インターバルは10秒。


 自重トレーニングだ。

 重りを持つわけではない。

 3歳の今ならこれで十分だろう。


「ふっ……ふっ……ふっ……」


 膝を曲げる。

 腰を落とす。

 立ち上がる。


 1回。


 クソ。

 思ったよりきつい。


 3回目で太ももが震えた。

 5回目で、膝が内側に入りそうになる。


 駄目だ。

 姿勢が崩れる。


 前世でもそうだった。

 疲れると、すぐに身体の使い方が雑になる。

 雑な動きは怪我につながる。


 ここで無理をしても意味がない。


 6回目。


 太ももが、ぴくぴくと痙攣した。


 俺はそこで動きを止めた。


 10回もできないのか。

 いや、違う。


 できないところから始められる。

 それが、やり直しだ。


 一旦、インターバル。


 ハア……明日は筋肉痛だな。

 終わったら、筋肉をほぐさないとな。


 よし、インターバル終わり。


 あと2セット!


 俺が小さく息を整えていると、居間の扉が開いた。


 父さんが入ってきた。


 そして、部屋の中を見るなり固まった。


「お、おい……これはどんな状況だ……?」


「あ、あんた……」


 母さんが目に涙を浮かべたまま、すがるような目で父さんを見た。


◇◇◇◇


 部屋の片側では、クレアが胸の前で手を組み、神に祈りを捧げている。

 その目は少し潤んでいた。


 部屋の中央では、セインが立ったまま膝を曲げ伸ばししている。

 手は後頭部に添えられ、背筋は妙に伸びている。

 額にはうっすら汗が滲んでいた。


 アノルドは返事をせず、セインを見つめた。


 最初は、奇妙な遊びに見えた。

 だが、すぐに違うと分かった。


 膝の曲げ方が毎回ほとんど同じだ。

 勢いで跳ねているわけではない。

 転びそうになるたびに、足の位置を直している。

 呼吸も、動きに合わせている。


 そして何より、目だ。


 セインの目は、遊んでいる子どもの目ではなかった。


 うまくいかないことに苛立ち、それでももう一度やろうとする目。

 剣を握り始めたばかりの若い兵士が、初めて型を覚える時の目に似ていた。


 アノルドの背筋に、ぞくりとしたものが走った。


 まさか……


 クレアが言っていたことは、本当だったのか……


「ふっ……ふっ……ふっ……」


 セインはまた膝を曲げた。


 小さな身体が揺れる。

 太ももが震える。

 それでも、倒れないように踏ん張っている。


 アノルドは、ゆっくりと口を開いた。


「セ、セイン……」


 セインが顔を上げる。


 アノルドは信じられないものを見るように、息子を見つめていた。


「ま、まさか……お前……本当に鍛練をしているのか……?」

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