第26話 名を轟かせた氷槍
コボルトの群れが共同井戸を越え、大通りを西へ駆けてくる。
クレアの周囲から、急激に熱が奪われた。
吐く息が白く染まり、足元の土に薄い霜が広がっていく。
白い光と冷気が渦を巻き、その中から10本を超える氷槍が現れた。
すべての穂先が、東から迫るコボルトへ向く。
「ハアアアーーー!!」
クレアが両手を突き出した。
「来いやあーー!! ぶち殺してやらあーー!!」
ドドドドドドドドドドドドドドドド!!
腕ほどの太さがある氷槍が、空気を引き裂きながら次々に射出された。
コボルトの胸を貫き、後ろの個体まで巻き込んで吹き飛ばす。
大通りの中央で、前列のコボルトが次々に倒れていく。
「グゲッ!!」
「ガッ……!!」
「アグッ!!」
それでも群れは止まらない。
倒れた仲間を踏み越え、後ろのコボルトが押し寄せてくる。
クレアの周囲に新しい氷槍が生まれ、間を置かずに射出される。
「おらあーーー!! どんどん来いや!! 雑魚どもが!!」
ドドドドドドドドドドドドドドドド!!
共同井戸の西側に、コボルトの死体が積み重なっていく。
次から次へと押し寄せていた群れの勢いが、クレア1人の前で止まった。
背後で、自警団の誰かが息を呑んだ。
「これが……王国中に名を轟かせた、奥様の氷槍の連続射出……!」
だが、次に生まれた氷槍は、先ほどまでの半分ほどの太さしかなかった。
1本がコボルトの胸へ命中する。
ドスッ!!
穂先は胸に浅く刺さっただけで止まった。
コボルトは氷槍をぶら下げたまま、2歩、3歩と前へ進んでくる。
「くっ……!!」
クレアはもう1本を射出した。
2本目が喉を貫き、ようやくコボルトが倒れる。
周囲に浮かぶ氷槍も、十数本から7本、6本と減っていく。
「後ろの自警団!! 全員、今すぐ屋敷に入りな!!」
群れの最後尾。
共同井戸の向こうに立つ大きなコボルトが、牙を見せた。
笑っているように見えた。
「くっ!! あたいをなめんじゃねえぞ!! クソがああーーー!!」
クレアは震える両腕を前へ突き出した。
身体の奥に残ったものを絞り出すように、白い光を集める。
ドドドドドドドドドドドドドドドド!!
細くなった氷槍が、コボルトの胸や足へ何本も突き刺さる。
一撃では倒れない。
それでも2本、3本と同じ個体へ撃ち込み、前へ出てきたコボルトから確実に倒していく。
最も近いコボルトも、まだ屋敷前の広場の中央を越えていない。
背後から声が上がった。
「奥様!! 自警団全員、屋敷に入りました!!」
「あたいも入る!! 扉を閉める準備をしな!!」
クレアは東を向いたまま、1歩ずつ後ろへ下がった。
氷槍を撃つ。
1歩下がる。
また氷槍を撃つ。
足が屋敷の敷居を越えた瞬間、左右から分厚い扉が閉められた。
「閂をかけろ!!」
腕ほどの太さがある閂が、扉の金具へ通される。
その音を聞いた直後、クレアの膝から力が抜けた。
床へ両手をつき、そのまま倒れ込む。
「ハア……ハア……ハア……ハア……」
頭に重い石を詰め込まれたようだった。
目の前が霞み、村人たちの姿が二重に揺れる。
床についているはずの手が震え、指先の感覚がない。
瞼が勝手に落ちてくる。
意識を手放せば、そのまま深い闇へ沈んでしまいそうだった。
扉の外から、体当たりの音が響いた。
ドン……。
鉄板で補強された分厚い扉が震え、天井から細かな埃が落ちてくる。
ドン……。
扉を支える太い柱が軋む。
ドン……。
「自警団の怪我人は……?」
「怪我人は多数います! ですが、奥様の氷槍のおかげで無理なく下がれました! 死者は1人も出ていません!!」
クレアの口から、長い息が漏れた。
床へ額をつける。
よかった……。
誰も死なせなかった……。
扉の向こうから、再び体当たりの音が響いた。
ドンッ!!
クレアは震える手を扉へ向けた。
掌に一瞬だけ白い光が灯る。
しかし、冷気へ変わる前に消えた。
もう一度力を込めても、指先からは白い霧すら出てこない。
あのクソ野郎が来るのか、来ないのか……。
クレアは、村長屋敷の地下から避難壕へ続く接続通路の扉の前に腰を下ろした。
村人全員と自警団の怪我人は、すでに避難壕へ移ったのだろう。
この場で武器を持って立っているのは、若い自警団員が2人だけだった。
「動ける自警団は……あんたら2人かい?」
「はい!! 俺らが最後の戦力なのはわかっています!! 死んでも通しません!! 奥様は俺らが守ります!!」
2人はクレアを守るように、コボルトが体当たりをしている扉の前へ立った。
言葉とは裏腹に、握り締めた槍の穂先が激しく震えている。
「フッ……ありがとう……」
体当たりの音が、何度も屋敷の中へ響いた。
ドンッ!!
ドンッ!!
ドンッ!!
窓を塞ぐ木戸へ、石がぶつかる。
ガンッ!!
使いを送り出してから、すでに6時間近くが過ぎていた。
窓を塞ぐ木戸の隙間から差し込んでいた光も、いつの間にか消えている。
それでも、コボルトの体当たりは止まらなかった。
扉を支える鉄の蝶番が、甲高い音を立てて軋む。
ギギギッ……。
体当たりを受けるたび、閂から木の粉が落ちた。
床に積もる木屑が、少しずつ増えていく。
ミシッ……。
バキッ……。
太い閂の中央に亀裂が走った。
次の瞬間、扉が大きく内側へ膨らむ。
バギッ!!
閂が真ん中から折れ、分厚い両開きの扉が勢いよく開いた。
冷たい外気が屋敷の中へ流れ込む。
入口に、4体のコボルトが姿を現した。
自警団の若者2人が、震える槍を前へ突き出す。
クレアも入口へ手をかざした。
やはり、何も出ない。
白い光も。
冷気も。
指先に感じるのは、ただ冷たい外気だけだった。
……あのクソ野郎、来なかったな。
空になった腕の中に、赤ん坊だったセインの重みが蘇った。
小さな手で、クレアの指を握っていた。
歩けるようになったセインが、庭で虫を追いかけて転んだ。
泣きながらクレアへ手を伸ばしていた。
ゴブリンに肩口を斬りつけられて、大量出血をしたセイン。
あの時も、セインはクレアの胸の中で泣いていた。
セイン……。
ああ……もう、セインに会えないなんて……。
魔法適性があれば、たくさん褒めてあげるつもりだった。
たくさん魔法を教えてあげるつもりだった。
魔法適性がなければ、黙って抱き締めてあげるつもりだった。
アイリスちゃんとのことも、もっとアドバイスしてあげたかった。
もっとセインの成長が見たかった。
目から涙が溢れた。
4体のコボルトと、全身を震わせた若者2人が対峙している。
もう、この2人も守ってあげることができない……。
クレアはもう一度、入口へ手を向けた。
それでも、冷気すら出なかった。
震える膝に両手をつき、歯を食いしばる。
何度も足を滑らせながら、それでも立ち上がった。
「……上等……じゃないか」
笑ったつもりだった。
けれど、涙が止めどなく頬を流れていく。
コボルトが1歩、屋敷の中へ入ってきた。
これは、もうダメだ……。
ああ……あんた……。
アノルド……。




