第23話 残心を忘れた日
父さんとロウエン爺から刃のついた剣を受け取ると、出発までに新しい剣の重心に慣れておけと言われた。
宿の許可をもらい、俺とアイリスは庭で剣を振った。
いつも使っている鍛練用の剣とは、確かに微妙に重心が違う。
けれど、剣筋が乱れるほどではなかった。
今まで刃を潰した鉄剣で鍛練してきたからか、腕だけで振らなければ十分に扱える。
ただ、これは本物の剣だ。
当たれば、斬れる。
それだけで、手の中の重さが少し違って感じた。
宿の門の方から父さんの声が聞こえた。
「行くぞー!! 忘れ物はないかー!?」
いやいや、忘れ物は俺たちじゃないか……。
俺とアイリスは急いで剣を鞘にしまい、門の方に走った。
みんな準備万端で、馬車に乗り込んでいる最中だった。
父さんが俺たちを見つけて、話しかけてくる。
「剣は大丈夫か? 違和感はなかったか?」
「全然大丈夫だった。違和感ももうないよ」
「アイリス嬢も大丈夫か?」
「はい。問題ありません」
俺たちも馬車に乗り込み、出発した。
王都の門を越えてしばらく草原を進み、丘陵地域に入った時、それは起きた。
馬車が止まる。
急いで馬車の窓から外の様子を見る。
ロウエン爺が足跡を確認して、何やら父さんと話している。
前にも、道中で足跡を見つけたことがあった。
あの時は鹿だった。
でも、今回は違う。
ロウエン爺の顔が、笑っていない。
俺がアイリスに声をかけた。
「アイリス、恐らく当たりだ。俺たちも馬車を降りよう」
「わかったわ」
フィオナさんが馬車から降りる俺たちを見て、心配そうな顔をしている。
リリアは胸の前で両手を組み合わせて言った。
「セイン様、アイリス様、お気をつけて」
この馬車は後ろから出入りするため、俺たちは馬車から降りた後、最後尾についた。
馬車の最後尾が最終防衛ラインだ。
荷物持ちのニルくんは非戦闘員だ。
俺たちと入れ替わるように、馬車へ乗り込んだ。
馬車は警戒しながら、さっきよりゆっくり進んでいる。
ゴブリンは来るのか。
来ないのか。
何も見えないまま進む時間が、ひどく長く感じる。
車輪が軋むたびに肩へ力が入り、心臓の音が周囲に聞こえそうなほど鳴っていた。
俺はアイリスの様子を見た。
アイリスも口を真一文字に結び、顔は少し青ざめている。
恐らく、俺と同じように緊張している。
「アイリス、5年前とは違う。俺たちは5年前より遥かに強くなった。父さん、ロウエン爺、俺もいる。あとは俺たちが全力で、できる範囲のことをやるだけだ。俺たちならできる。大丈夫だ」
アイリスは泣きそうな顔で俺を見てきたが、深呼吸を1つして、顔を両手で叩いた。
顔つきが変わる。
「アイリス、大丈夫だ。アイリスが危なくなったら、俺が必ずお前を守る」
アイリスは俯きぎみに、俺へ告げた。
「セイン、頼りにしてるけど、あの時みたいに前へ出すぎたらダメだよ」
「ああ、約束する」
その時だった。
馬車が止まり、左から矢や石が飛んできた。
俺たちは飛んできた方向を見る。
小高い丘陵からゴブリンの大群が駆け下りてくる。
20、いや、30はいるぞ!?
「アイリス、来たぞ!! 数が多い!!」
父さんの大声が聞こえた。
「みんな、配置につけー!! セインとアイリスは馬車の扉から離れるな!! お前たちが生命線だ!!」
父さんの掛け声に全員が反応する。
「恐らく、敵は統率型のゴブリンだ!! 削ってくるから、まずは全員防御に徹しろ!! 盾持ちは前線に出ろ!!」
ゴブリンたちは投石と弓矢を放っていた。
さらに、小さな火球も何発も飛んでくる。
父さんの目が見開かれた。
ロウエン爺が父さんに言う。
「旦那様、ゴブリンメイジもいるようです」
「チッ……厄介だな!!」
父さんが再び声を張り上げる。
「みんな!! 焦るなよ!! 今は耐えろ!! 防御に徹しろ!!」
俺は戦場の全体を見た。
変だ。
ゴブリンが、一気に突っ込んでこない。
こちらの盾が薄い場所へ火球を飛ばし、怪我人が出ると、そこへ矢と石を集中させてくる。
ただ暴れているんじゃない。
俺たちを削っている。
矢や石なら剣で弾ける。
でも、火球は無理だ。
盾を持っていない自警団員から、狙い澄ましたように削られていく。
ついに膝をつく者が出た。
「怪我をしたら、自分で歩けるうちに後ろへ戻れ!!」
馬車の扉が開けられ、フィオナさんを含めた治癒士4人が俺たちの後ろに来た。
俺は4人が出ると、すぐに扉を閉めた。
馬車の中から、子どもたちの悲鳴が聞こえる。
ゴブリンは投石と弓矢、火球で1人1人削ってくる。
そのたびに1人、また1人と後ろへ下がってきた。
治癒士たちはヒールをしているが、まだ時間はかかりそうだ。
馬車を守る防衛線が、だんだん薄くなる。
アイリスの視線が、怪我人とフィオナさんの方へ一瞬動いた。
治療に行きたいのだろう。
でも、ここを空けたら馬車の子どもたちに届く。
アイリスは唇を噛んで、剣を握り直した。
父さんが叫ぶ。
「そろそろ来るぞ!! 戦闘準備をしろ!!」
直後、ゴブリンが丘陵から一斉に駆け下りてきた。
ギャッギャッという鳴き声が、急速に近づいてくる。
俺とアイリスは身構えた。
父さんとロウエン爺は1番前に出た。
父さんが剣を振るうたびに、ゴブリンが血を噴き出して倒れていく。
ロウエン爺は剣だけではなく、脚も使っていた。
ゴブリンを蹴り飛ばして体勢を崩し、倒れたところへ剣を振り下ろす。
足払いで転ばせたゴブリンを斬った直後には、もう次のゴブリンを蹴り飛ばしている。
俺もアイリスも、ロウエン爺の本気の戦闘を初めて目の当たりにして、目を丸くした。
アイリスの口から言葉が漏れる。
「アノルドさんもすごいけど、ロウエン爺もすごい。あんな戦い方、初めて見た」
ロウエン爺の戦い方には、剣術だけではなく体術も入っている。
だが、ゴブリンは2人を避けるように次々と防衛線を突破してきた。
狙いは明らかに、俺たちの後ろにいる治癒士たちだ。
自警団の人たちも、ゴブリンを止めようと必死に奮戦している。
ついに、俺とアイリスのところまでゴブリンが来た。
「アイリス、来たぞ!! 落ち着いていけ!!」
「わかってる!! 母上は絶対に守り抜く!!」
それでいい。
俺たちが最終防衛ラインだ。
絶対に止める。
1体のゴブリンが、俺へ向かって錆びた短剣を突き出してきた。
半身になってかわし、前へ踏み込む。
「イヤァーー!!」
腰を回し、剣をゴブリンの肩口へ振り下ろした。
刃が食い込んだ瞬間、粘るような重い抵抗が両手へ返ってきた。
鍛練用の剣で何かを打った時とは、全く違う。
さらに力を込めて振り抜くと、抵抗がふっと消え、ゴブリンが地面へ崩れ落ちた。
生ぬるい血が頬に散る。
鼻の奥へ、生臭い匂いが入ってきた。
これが、生き物を斬る感触か。
けれど、身体は止まらなかった。
5年前、俺は2度もゴブリンに殺されかけ、その血を全身に浴びている。
今さら、血を見たくらいで怯みはしない。
倒れたゴブリンから剣を抜いた時には、もう次の1体が迫っていた。
隣では、アイリスも気合いを入れながらゴブリンを斬る。
「ハアアアーー!!」
アイリスの剣を受けたゴブリンが、鮮血を散らして倒れた。
それからも俺とアイリスは、次々に来るゴブリンを斬っていく。
これはいける!
俺たちでも倒せる!!
俺たちなら大丈夫だ!!
そう思った矢先、すぐ先でロウエン爺が、防衛線を抜けたゴブリンの背中へ剣を振り下ろした。
その時だった。
俺たちが倒したと思っていた別のゴブリンが、すぐ近くで地面から跳ね起きる。
錆びた刃が、アイリスへ向いた。
「アイリス!!」
声は出た。
でも、足が動かなかった。
その瞬間、ロウエン爺が空から降ってきたように見えた。
俺たちの近くまで戻ってきていたロウエン爺が、地面を蹴って跳んだのだ。
ロウエン爺の飛び蹴りが、ゴブリンの横腹に突き刺さった。
ゴブリンはアイリスから弾き飛ばされ、地面を転がる。
だが、転がった先は、よりにもよって治癒士たちがいる方だった。
ロウエン爺にさえ、蹴り飛ばす方向を選ぶ余裕がなかったのだ。
ロウエン爺はすぐにゴブリンを追い、治癒士たちへ届く寸前でトドメを刺した。
剣を引き抜くと、俺とアイリスを怒鳴りつける。
「残心を忘れるとは何事か!!」
俺とアイリスの身体が固まった。
「ここは訓練場ではありませぬ!! 殺すか殺されるかの戦場です!! 相手を殺すためなら、騙し討ちも平気でやってくるのです!! 2人とも油断するな!!」
ロウエン爺に怒鳴られたのは初めてだった。
確かに、今の俺は、いける、大丈夫だと思った。
その油断で、倒した相手から目を離した。
アイリスを死なせるところだった。
全身が震えた。
今の気持ちでは守れない。
油断するな。
浮かれるな。
ロウエン爺は前線へ戻りながら叫ぶ。
「安全圏に着くまでが戦場です!! 心して臨まれよ!!」
ロウエン爺の言うとおりだ。
アイリスは絶対に守らなければならない。
俺はもう1度、剣を握り直した。
水の適性があっても、今日は1滴も使えない。
今あるのは、この剣と、この身体だけだ。
次のゴブリンが、棍棒を振り上げて突っ込んでくる。
俺は振り下ろされた棍棒をかわし、胴を斬った。
ゴブリンが地面へ倒れる。
今度は目を離さない。
剣先を向けたまま、1歩だけ間合いを取る。
倒れたゴブリンの腕が動いた。
まだ棍棒を握っている。
俺はすぐに踏み込み、もう1度剣を突き入れた。
ゴブリンの身体が動かなくなるまで、剣先を向け続ける。
隣では、アイリスも倒したゴブリンから目を離さず、剣を構えていた。
ほとんどのゴブリンが倒れた。
丘陵の上にいた火球を放っていたゴブリンたちと、指示を出していたように見えた1体だけが、こちらを見たまま後ろへ下がっていく。
逃げる。
そう思った。
でも、変だった。
普通の魔物が逃げる時のような、ばらばらの動きではない。
残っていたゴブリンたちが、まるで合図を受けたように同じ方向へ引いていく。
「追うな!! 陣形を崩すな!!」
父さんの声が響いた。
丘の向こうへ消える直前、指示役らしいゴブリンが1度だけこちらを振り返った。
目が合った気がした。
ぞわりと背中が冷える。
誰もすぐには剣を下ろさなかった。
ゴブリンの姿が完全に消えてから、ようやく周囲の荒い息遣いや、怪我人の呻き声が耳に入ってきた。
フィオナさんたちが治療を続けている。
怪我人は出たが、死んだ人はいない。
俺たちは馬車を守り切った。
戦いが終わってから、剣を握る手が小さく震え始めた。
手のひらには、最初のゴブリンを斬った時の粘るような抵抗が、まだ残っている。
初めて、本物の剣でゴブリンを斬った。
だが、それ以上に強く残っているのは、ロウエン爺の怒鳴り声だった。
倒したと思った相手から目を離す。
たったそれだけで、アイリスを死なせるところだった。
俺は血のついた剣を握ったまま、ゴブリンたちが消えた丘を見つめた。
父さんとロウエン爺も、丘の向こうを睨んでいる。
父さんが低い声で言った。
「指揮役は、恐らくゴブリンキャプテンだ。ゴブリンメイジまで従えた群れが、こんな街道沿いに出てくるとはな……」
ロウエン爺の顔からは、戦いが終わっても険しさが消えていなかった。
「魔物の活性化は、我々が考えていたものとは違う、おかしな方向へ進んでいるのかもしれませぬ」




