第22話 王都の夜
王都見物を終えて宿に戻り、夕飯を食べた後、俺とアイリス、リリアはフィオナさんの部屋に呼ばれた。
部屋には小さな灯りがついていて、テーブルの上には4つの温かい飲み物が並んでいる。
昼間の王宮騎士団本部の熱気とは違う。
静かで、少しだけ背筋が伸びる空気だった。
俺たちが椅子に座ると、フィオナさんが口を開いた。
「3人とも、王立学術学園って知ってるかな?」
「知ってる! 前に母上が少しだけ教えてくれたのは覚えています。12歳になったら行くんですよね?」
アイリスが嬉しそうに答える。
「そうよ。魔法適性がある子は、王国から進学を強く勧められるの。だから3人とも、2年後には学園へ行くことになると思うわ」
リリアが膝の上で手を握った。
「今日、学費や寮費は必要ないと説明されましたけど、本当に私でも通えるんでしょうか?」
「リリアちゃんは心配しなくても大丈夫よ。魔法適性がある平民の子には、学費や寮費の免除があるの。それに、闇属性には特別な制度もあるから、入試も免除されるはずよ」
「闇属性だから……ですか?」
リリアの声が小さくなる。
今日、何度も大丈夫だと言われて、頭では少し分かってきたのだろう。
でも、まだ自分の力を完全には受け止めきれていない。
フィオナさんは、リリアの目を真っ直ぐに見た。
「闇属性だからこそ、正しい使い方を覚える必要があるのよ。心に触れる魔法は、使い方を間違えれば人を傷つける。でも、正しく使えば人を救うこともできるわ」
「今日、フィオナ様が教えてくださったように……?」
「そう。眠れない人を眠らせる。恐怖で震えている人を落ち着かせる。痛みで暴れてしまう人の心を鎮める。リリアちゃんの力は、人を怖がらせるためだけのものではないのよ」
リリアは何も言わなかった。
けれど、膝の上で強く握っていた手が、少しだけ緩んだ。
「私も……苦しんでいる人を助けられるようになるでしょうか?」
「ええ。ただ、学園へ入れば、何もできないところから全部教えてもらえるわけではないの。まずはこの2年間で、自分の意思で魔法を発動して、止められるようにならないとね」
リリアの顔に、再び不安が浮かぶ。
「私に……できるでしょうか?」
「大丈夫よ。今日、自分の属性を知ったばかりなんだから、焦る必要はないわ。私の知り合いにエーレンフェルトで唯一の闇属性魔法士がいるのよ。紹介するわ」
フィオナさんはその闇属性魔法士を思い出しながら苦笑した。
「いつも魔法研究にのめり込んで、ほとんど家から出てこないから、エーレンフェルトでも存在はあまり知られていないわ。性格は優しいけど、変な人ではある。でも、王国でもトップクラスの超一流の闇魔法士よ」
フィオナさんは、リリアを安心させるように微笑んだ。
「学園では、基礎を身につけた上で、どれくらいの強さで使うのか、どこまでなら人を傷つけずに使えるのか、相手の心の状態をどう見分けるのかを、もっと深く学ぶのよ」
リリアは温かい飲み物へ視線を落とした。
カップの中で、灯りが小さく揺れている。
「私は今日、自分の力が怖くなりました。みんなにも怖がられると思いました。でも……誰かを安心させるために使えるなら、私も自分の魔法を学びたいです」
まだ迷いは残っている。
それでも、昨日までとは違う。
自分の力から目を逸らさず、どう使うのかを考え始めている。
フィオナさんが優しく微笑んだ。
「リリアちゃんなら、きっと人の心を救える闇魔法士になれるわ」
リリアは驚いたように顔を上げた。
やがて、その言葉を噛みしめるように小さく頷く。
「人の心を救える……闇魔法士……」
アイリスが身を乗り出した。
「母上、私は治癒士になるための勉強ができるんですよね?」
「もちろんよ。今使えているヒールをもっと正確にしたり、深い傷を治せるようにしたりするの。患者さんの状態の見方や、応急処置、魔力の配分も学べるわ」
アイリスは胸の前で手を握った。
「私、やっぱり治癒士になりたいです」
「どうして治癒士になりたいの?」
フィオナさんに聞かれると、アイリスは少しだけ俺を見た。
「5年前、セインがゴブリンに襲われた時……私は白い光を出した後のことを、あまり覚えていません。でも、セインが死んでしまうかもしれないと思った時の怖さは、今も覚えています」
アイリスの声が僅かに震える。
「今は小さな傷なら治せます。でも、あの時のセインのような大怪我を、今の私が必ず治せるとは思えません」
アイリスは自分の両手へ目を落とした。
「傷が深くても、自分の意思でちゃんと治せるようになりたいです。前で戦う人が、ちゃんと生きて帰ってこられるようにしたいです」
フィオナさんの表情が柔らかくなった。
「それなら、これからもっとヒールを練習して、学園では治癒魔法について深く学ばないとね」
「はい!」
「剣術も続けなさい。傷ついた人のそばまで魔物が来た時、守れる治癒士がいれば心強いわ」
アイリスの笑顔が固まった。
「わ、私はできれば後方にいたいです……」
「後方にも敵が来るかもしれないでしょう?」
「母上まで、アノルドさんみたいなことを言う……」
アイリスは頬を膨らませたが、剣術をやめるとは言わなかった。
きっとアイリスは、剣を持って前へ出たいわけではない。
それでも、目の前で誰かが傷ついた時に動ける治癒士になりたいのだろう。
フィオナさんの視線が俺に向いた。
「セインくんは、将来何になりたいの?」
すぐには答えられなかった。
父さんやロウエン爺のような剣士になりたい。
今日会ったジークのような相手と戦い、もっと強くなりたい。
でも、俺には水属性の適性もある。
母さんのような氷槍を使えるようになれば、剣だけでは届かない相手とも戦えるかもしれない。
剣を持つ自分。
氷槍を操る自分。
どちらかを選ぶのではなく、2つが重なった姿を想像する。
「俺は、剣士になりたいです。でも、母さんのような氷槍も使えるようになりたい」
「それなら、まずはクレアから水魔法を教わらないとね。入試では、それまでに身につけた魔法や武器の実力を見られるの。学園へ入ってから氷槍を覚えるつもりでは間に合わないわよ」
「はい。入試までに、ある程度は氷槍を使えるようになりたいです」
「学園では、その氷槍の威力や制御をさらに伸ばして、剣術と一緒に使う方法を考えていけばいいわ。今までそういう事例は聞いたことがないから茨の道ね」
剣を振りながら氷槍を操る。
立ち止まらず、戦場を動き回りながら戦う。
「俺は、剣と氷槍を同時に使えるような魔法剣士になりたいです。戦いの中でも動き続けて、誰かが動けなくなった時に、代わりに俺が動いて守れるくらい強くなりたい」
口にした瞬間、ぼんやりしていた未来が形になった。
剣を握り、氷槍を操り、自分の足で戦場を駆け回り、多くの人を助ける。
そして、国を代表するような英雄になる。
前世の俺が、何よりも欲しかった姿だ。
フィオナさんが微笑んだ。
「魔法剣士……もし、それが本当に実現したらすごいことよ。さっきも言った通り、今までそんな人は1人もいなかったんだから」
「1人もいなかった……」
今まで事例がない茨の道……。
それでも、俺は動ける魔法剣士になりたい。
アイリスが目を輝かせる。
「学園に行けば、今できることをもっと伸ばして、なりたいものに近づけるんですね!」
「学園へ入れればね」
フィオナさんが少しだけ意地悪そうに笑った。
「リリアちゃんは特別制度で入れると思うけれど、セインくんとアイリスには入試があるわよ」
アイリスの笑顔が固まった。
「実技なら、ヒールと剣術を見せればいいんですよね?」
「実技だけではないわ。算術や歴史、国語の筆記試験もあるのよ」
「えー……!! 私、勉強は苦手なのに……」
「まだ2年あるよ。これからは、お互いの家に行った時も、午前中は鍛練、午後からは勉強しよう。アイリス、一緒にやるぞ」
アイリスは心底嫌そうな顔で俺を見る。
「ホッント!! セインは変態よね!!」
「何でだよ! 合格しないと、治癒魔法を深く学ぶこともできないだろ!」
「そういう所!!」
リリアが小さく笑った。
闇の適性を知ってから曇っていた顔に、ようやく笑顔が戻っている。
「私も、2人と一緒に魔法の練習や勉強をしたいです」
アイリスがリリアの手を取った。
「もちろんよ! 3人で一緒に学園へ行きましょう!」
リリアが頷き、俺も2人を見る。
人の心を救える闇魔法士。
傷ついた人を治し、生きて帰す治癒士。
剣と氷槍を使い、動き続ける魔法剣士。
そのために、まずはこれからの2年間で基礎を身につけなければならない。
そして2年後、俺たちは同じ学園へ向かう。
その先にある3人の未来が、今夜、初めて見えた気がした。
◇◇◇◇
翌日、まだ空が明るくなりきる前に、俺とアイリスはみんなより早く父さんに起こされた。
部屋の外には、父さんとロウエン爺が立っている。
2人とも、いつもの朝とは顔が違った。
「騎士団からの情報だが、エーレンフェルト領へ向かう道でゴブリンの群れが目撃された。騎士団はまだ対応できていない。俺たちも襲撃される可能性がある」
父さんはそう言って、布に包まれたものを俺たちへ差し出した。
「だから、お前たち2人にこれを渡しておく」
布を開く。
そこには、2本の剣が並んでいた。
鍛練用ではない。
刃のついた、本物の剣だ。
俺は思わず息を呑む。
隣のアイリスも、顔を強張らせていた。
「わ、私は後方にいたいんですけど……」
アイリスが小さく言う。
父さんは真面目な顔のまま答えた。
「後方を守るのも大事な役目だぞ、アイリス嬢」
「そういう言い方、ずるいです……」
ロウエン爺が神妙な面持ちで口を開く。
「若様、アイリス様。お2人は、すでに並の大人よりも強い。だからこそ、弱い者を守ることは大切です」
「俺とロウエンが前を見る。自警団も馬車の周囲につける。ただし、馬車のそばはお前たちにも見てもらう。最終防衛だ!」
最終防衛。
その言葉を聞いた瞬間、俺の胸が小さく跳ねた。
俺は本物の剣を握りしめる。
5年前、はぐれゴブリンと対峙した時のことを思い出した。
あの時は剣がなかった。
でも、今はある。
あの時より、遥かに強くなっている。
父さんもいる。
ロウエン爺もいる。
アイリスもいる。
俺は1人じゃない。
だから、大丈夫だ。
そう思った。
その時は、本気でそう思っていた。




