第13話 アイリスの光
「フィオナさん!! 俺は大丈夫!! ニルくんが!! ニルくんが動かない!!」
「わかった!」
フィオナさんは、すぐにニルくんのところへ駆けつけた。
ニルくんは少し離れた場所で倒れている。
地面に投げ出された身体は小さく、動いていなかった。
俺はそっちを見ようとした。
けれど、身体がうまく動かない。
肩が熱い。
腕が熱い。
さっきまでは痛いだけだったのに、今は熱と痛みが混ざって、身体の奥まで広がっている気がした。
母さんが泣きそうになりながら、震える声で俺の横にしゃがんだ。
「ハア……ハア……セ、セイン! どこが痛い!?」
直後にアイリスも駆けつけた。
「ハア……ハア……セイン!! 血だらけ!! どこが痛いの!? 全部痛いの!?」
「肩が痛い……結構切られたかな……? 自分で見るのが怖い……」
母さんがすぐに俺の肩口を確認する。
アイリスも一緒に覗き込んだ。
その瞬間、アイリスの顔から血の気が引いた。
「セ、セイン!! すごい血が溢れてる!! ママー!! セインが死んじゃう!! 早く来て!!」
アイリスは泣きながら叫んだ。
母さんは唇を噛みしめながら、俺の肩口を押さえる。
「アイリスちゃん! 落ち着いて! フィオナから教わったことあるでしょ?」
「う、うん……まずは傷口を強く押さえて血を止めるんだよ!」
「そう。セインの傷口を押さえて。強く。でも、傷口を広げないように」
「わ、わかった!!」
アイリスが俺の肩口に両手を当てる。
小さな手だった。
でも、その手は震えていた。
母さんも、その手の上から押さえる。
重なった手の隙間から、血が流れ続けた。
赤い。
俺の血だ。
そう思った瞬間、急に寒くなった。
さっきまで熱かったのに、身体の中心だけが冷えていく。
アイリスが堪らず、泣き出した。
「うわああーーーん!! セイン!! 死んじゃ嫌だーーー!!」
「だ、大丈夫だよ……」
そう言ったつもりだった。
でも、声が小さかった。
自分でも驚くくらい、力が入らない。
フィオナさんから声が飛んできた。
「ニルくんは息をしているわ! 命はある!」
そうか……よかった……ニルくんは助かるんだな……。
そう思うと俺も腕の痛みと熱さで泣きたくなった。
いや、もう涙はこぼれていた。
痛い。
怖い。
血が止まらない。
前世でも怪我はした。
でも、こんなふうに刃物で斬られたことはなかった。
魔物に斬られた。
死ぬかもしれない。
その事実が、今さら胸に落ちてきた。
母さんが震える声で言う。
「アイリスちゃん! 落ち着いて!! セインは大丈夫だから! こんな傷で死なせないから!」
母さんは大丈夫と言っている。
でも、俺の肩口を押さえている母さんの手は震えていた。
その震えで、俺の状況が伝わってくる。
ああ……このまま死ぬのか……。
今世は短かったなりに、うまくいってたよな……。
母さんもいた……
父さんもいた……
アイリスもいた……
ロウエン爺もいた……
走れるようになった。
泳げるようになった。
剣も握った。
間に合えた。
でも、嫌だ!
死にたくない!!
このまま終わりたくない!!
「セイン……セイン……!!」
アイリスは号泣しながら、俺の肩口を力いっぱい圧迫していた。
でも、俺の腕はもう何も感じなくなってきた。
痛みが遠い……
声も遠い……
その時、アイリスの手が、ほんの少し白く光った。
気のせいか……?
「セイン!! セイン!! セイン!!」
アイリスが繰り返し俺の名前を呼ぶ。
「止まって……!! 血、止まって……!!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、アイリスは俺の肩口を押さえ続ける。
「治って……!! お願い……!! セインを痛くしないで……!!」
白い光が、少しずつ強くなった。
最初は小さな灯みたいだった。
けれど次の瞬間、アイリスの手から溢れるように広がった。
俺の肩を包む。
腕を包む。
上半身を包む。
白い光が、俺の身体を埋め尽くす勢いで広がっていく。
母さんが目を見開く。
「フィ……フィオナ!? これは!!」
ニルくんを診ていたフィオナさんも、こちらを見て息を呑んだ。
「ええ……ヒールとして形になりきっていない。でも、これは治癒魔法の光だわ」
「アイリスちゃんが……?」
「感情で無理やり魔力を流しているの。こんな小さな子が……」
ああ……。
上半身がものすごく温かい。
痛みが薄れていく。
裂けた場所に、温かい水が染み込むみたいだ。
これがアイリスの治癒魔法か……。
フィオナさんのヒールとは少し違う。
整った魔法じゃない。
でも、強い。
必死で、泣きながら、俺を治そうとしてくれている光だ。
「セイン……!! 治って……!! お願い……!!」
アイリスの声が震える。
白い光がさらに強くなった。
そして、俺の肩口から熱が引いていく。
血が止まった。
痛みが遠のいた。
腕の感覚が戻ってくる。
「アイリス……?」
直後、アイリスの身体から力が抜けた。
バタッと倒れる。
白い光が、嘘みたいに収まった。
「ア、アイリス!?」
俺は起き上がり、倒れたアイリスの肩を揺さぶった。
混乱もあって、さっきから涙が止まらない。
「アイリス!! しっかりして!! アイリス!!」
俺のせいだ!!
俺を治したから!!
俺の傷を治したから、アイリスが倒れた!!
「フィオナさん!! アイリスが倒れた!! 俺を治したから!? 俺のせい!?」
フィオナさんがすぐに近づいてきて、アイリスを見る。
額に手を当て、呼吸を確かめる。
続けて俺の肩口にも目を向け、傷が塞がっていることを確かめた。
それから、俺に向かって優しく言った。
「セインくん、アイリスは大丈夫だよ。魔力が枯渇したんだね。明日の朝には魔力が回復しているはずよ」
「本当に……?」
「ええ。本当に。命に関わる状態ではないわ。眠っているだけよ」
俺は少しだけ息を吐いた。
母さんが涙を浮かべながら、倒れたアイリスの頬をそっと撫でた。
「アイリスちゃん……ありがとう」
その声は、とても柔らかかった。
さっきまでゴブリンを氷槍で串刺しにしていた母さんと同じ人とは思えないくらい、優しい声だった。
俺は少し安心して、すぐにニルくんのことを思い出した。
「フィオナさん、ニルくんは!? ニルくんは大丈夫なの!?」
フィオナさんは微笑みながら話す。
「大丈夫よ……頭の骨にひびが入っていたみたいだけど、さっきハイヒールで治したわ。命に別状はないはずよ」
「よ、よかった……」
力が抜けた。
ニルくんは生きている。
俺も生きている。
アイリスも大丈夫。
そう分かった瞬間、身体から一気に力が抜けた。
全身が震えていた。
さっきまで走っていたのに。
ゴブリンにタックルしたのに。
短刀を避けようとしていたのに。
今はもう、立っていられない。
母さんは、血で汚れることも気にせず、俺を強く抱き締めた。
「セイン……セイン……!」
「母さん……苦しい……」
「いいの。苦しいくらいでいいの。生きてるんだから……!」
母さんの腕が震えている。
肩も震えている。
俺の服も、母さんの服も、ゴブリンの血と俺の血で汚れていた。
でも、母さんは離さなかった。
俺も、母さんの服を掴んだ。
怖かった。
痛かった。
死ぬと思った。
でも、助かった!
母さんの腕の中で、ようやくその実感が追いついてきた。
母さんがハッとしたように、ニルくんを見る。
「頭の骨にひびって……」
フィオナさんの顔が少しだけ曇る。
「ええ……鈍器で殴られたんでしょうね……かわいそうに……」
母さんの腕に、また力が入った。
抱き締められている俺にも分かるくらい、空気が変わる。
「クソッ!! 子どもを狙いやがって!!」
「クレア、ダメよ」
フィオナさんが静かにたしなめる。
母さんは俺を抱き締めたまま、奥歯を噛みしめていた。
その時、遠くから馬の蹄の音が聞こえてきた。
俺は母さんの腕の中で顔を上げる。
2頭の馬が近づいてくる。
ああ……父さんとロウエン爺だ……。
父さんが近くまで馬で駆けつけて、すぐに飛び降りる。
ロウエン爺も続いた。
父さんは俺を見た。
血だらけの俺。
俺を抱き締めている母さん。
倒れて眠っているアイリス。
気を失っているニルくん。
氷槍だらけで原型の崩れたゴブリンの死体。
父さんの顔から、血の気が引いた。
全身が震えている。
「セ、セイン……!? お前……血だらけじゃないか!?」




