第11話 足跡は屋敷へ
翌日。
朝早くにロウエンは屋敷にやってきた。
まだ朝食の時間だった。
アノルドは少し驚きながら言った。
「ロウエン! 今日はずいぶん早いな。まだ鍛練時間には早いだろう?」
ロウエンは深々と頭を下げた。
「旦那様、朝早くに申し訳ございません。急報です。少し席を外して頂けませんか?」
アノルドの表情が変わった。
さっきまでの穏やかな空気が、すっと冷える。
ロウエンは食卓から少し離れ、子どもたちの耳に声が届かない場所へ移動した。
アノルドも神妙な面持ちでついていく。
「旦那様、はぐれゴブリンが現れました」
「はぐれゴブリンだと?」
「はい。村の自警団が追っていたのですが、今朝早く、村の子どもがさらわれたため、急報として参りました」
「な、何? さらわれた?」
アノルドの声が低くなる。
「さらわれた子どもは誰だ」
「ニルです。昨日、手紙を届けに来た子です」
「……あの子か」
アノルドは一瞬だけ眉を寄せた。
ロウエンは続ける。
「はぐれは群れと違って数こそ少ないですが、何をするか読みにくい。子ども、老人、怪我人……抵抗できぬ者を狙います」
「子どもをさらう理由は?」
「定かではありません。巣へ持ち帰るのか、餌にするのか、魔物の考えることは分かりませぬ。ですが、急がねばなりません」
「ふむ。続けてくれ」
「今までも村周辺で、数は少ないながらゴブリンの目撃情報があり、自警団で追っておりました。はぐれゴブリンかは定かではありませんでしたが、今回子どもをさらったことで、はぐれゴブリンだと判断しました」
「すぐに出る。現場まで案内してくれ。足跡を追うぞ!」
「御意」
アノルドは食卓まで戻ってきた。
その顔は、もう家の中にいる父親の顔ではなかった。
剣を持って魔物へ向かう、騎士の顔だった。
「ゴブリンが村の子どもをさらったようだ! ロウエンと出てくる!」
クレアが心配そうな表情で尋ねる。
「子どもを!? 私たちは敷地から出ない方がいいね?」
「ああ。敷地からは出るな。今回の相手は数が少ない可能性が高いが、はぐれは動きが読みにくい」
アノルドはセインとアイリスにも目を向けた。
「セイン、アイリス。ロウエンはいないが、2人で剣術の鍛練をやるように。ただし、敷地の外には絶対に出るな。庭は広いが、森には近づくな。屋敷の周辺にいろ!」
セインとアイリスは同時に頷いた。
「はい」
「わかりました」
アノルドはクレアとフィオナに目を向けた。
「クレア、フィオナ。2人を見ていてくれ」
「わかったよ」
「ええ、任せて」
アノルドは剣を取り、ロウエンと共に屋敷を出た。
◇◇◇◇
アノルドとロウエンは、さらわれた現場へ着いた。
村の端。
村長邸からも近い、裏山へ続く細い道だった。
アノルドは周囲を見回し、低く呟く。
「ここは……村長邸と目と鼻の先ではないか」
「はい……裏山の方で出たようですな。こちらです」
ロウエンは裏山の獣道に入っていく。
アノルドも後をついていった。
朝露で湿った草が足元に絡む。
土は柔らかく、ところどころに小さな足跡が残っていた。
「旦那様、ここがさらわれた現場です」
ロウエンが膝をつき、地面を見る。
アノルドもしゃがみ込んだ。
「ふむ……確かに足跡の数は少ないな」
「1体……いや、2体の可能性もありますな。ニルの足跡も混じっております」
「抵抗した跡は?」
「あります。ですが長くは続いておりませぬ。おそらく、すぐに抱えられたのでしょう」
アノルドの拳がわずかに震えた。
「急ぐぞ」
「はい」
2人は足跡を追い始めた。
足跡は細い獣道から草むらへ入り、木の根を越え、浅い斜面を横切っていた。
途中で足跡が薄くなるたび、ロウエンは草の倒れ方や枝の折れ方を見て進路を読む。
「ここで一度、止まっておりますな」
「ニルを抱え直したのか?」
「その可能性が高いです。足跡の沈み方が変わっております」
「……ニルは生きているか」
「断言はできませぬ。ですが、ここまで引きずった跡は少ない。抱えて運んでいるなら、まだ急ぐ理由があるはずです」
「急ぐ理由?」
「巣へ戻る。仲間と合流する。あるいは、追手から逃げる。いずれにせよ、止まって食うつもりなら、もっと血の跡が残るはずです」
アノルドは歯を食いしばった。
「なら、まだ間に合う可能性はある」
「はい。急ぎましょう」
2人はさらに足跡を追った。
草むらに入って足跡が途切れる。
だが、その先の草が薄くなった場所に、また小さな足跡が残っていた。
追えば追うほど、アノルドの胸騒ぎは強くなった。
ゴブリンは森の奥へ逃げていない。
裏山の奥へも向かっていない。
足跡は、妙な角度で曲がっていた。
「旦那様」
ロウエンの声が、さらに低くなる。
「どうした」
「ここで足跡が消えていますな……いや、完全に途切れたわけではありません。草の踏み跡は残っています」
ロウエンは眉間に皺を寄せて、足跡の先を見た。
「この方向ですと、考えたくありませんが……」
アノルドも表情をこわばらせながら、足跡の方向を見た。
その先にあるのは森の奥ではない。
村でもない。
「……領主屋敷に向かっている」
アノルドの顔から血の気が引いた。
屋敷にはクレアがいる。
フィオナもいる。
セインも、アイリスもいる。
アノルドは即座に立ち上がった。
「ロウエン!! すぐに馬の所まで戻るぞ!!」
「御意!」
◇◇◇◇
その頃、俺たちは屋敷からあまり離れないように、庭で実戦形式の打ち合いをしていた。
アイリスは勝ち誇ったように笑う。
「アハハハハ!! セイン!! 防戦一方ね!!」
「クソッ!!」
アイリスは全身に無駄な力が入っていないから、打ってくるタイミングがわかりづらいんだよ!!
あと、フェイントも入れてくるし!!
剣術を習ったばかりなのに!!
凄すぎるだろ!!
天才かよ!!
アイリスは連続であらゆる角度から打ち込んでくる。
時には身をかがめながら足を狙ってきたり。
時には俺の打ち込みの強さを利用して、身体を回転させながら横一文字で打ってきたり。
時には俺の剣を紙一重でかわしてから、袈裟斬りしてきたり。
いやいや……これは傍から見ても5歳の動きじゃねえだろ!!
けれど、そんなアイリスの猛攻を全て受けている俺も大概だな……。
「ほらほら! セインどうしたの!? 受けてばかりじゃ勝てないよ! アハハハハ!」
「楽しそうに笑いやがって!!」
「楽しいね! いつも足の速さではやられているから、少しは私の悔しさをわかりなさい!!」
◇◇◇◇
フィオナは、庭で実戦形式の鍛練をする子どもたちを居間から見ながら呟く。
「ねえ、あの子たち、つい先日木剣を初めて握ったばかりよね?」
クレアは言いたいことはわかると言わんばかりの顔をする。
「私、あの子たちがちょっと異常すぎて時々怖くなるよ……騎士の幼少期はみんなあんな感じ?」
「クレア……多分、違うと思うわ。主人たちも異常なほど強いと思っていたけど、あの子たちの年齢を考えたら、主人たちの方がかわいく見える時があるわ」
「ああ……わかる……すごくわかる……騎士爵家としては大歓迎なんだろうけど、個人的にはもっと普通でよかったんじゃないかと思う……」
フィオナは庭で笑うアイリスを見つめた。
「そうね……セインくんのことはあんなに大好きなのに、勝ちそうになった時のあの顔、好きな男の子に向ける顔じゃないものね……」
クレアも庭へ目を戻す。
「そうなのよ。完全に獲物を追い詰めた顔なのよ……」
「将来、本当に恋人らしい関係になれるのかしら……」
「仲は良いんだけどね……仲は……」
そう言って2人は同時にため息を吐いた。
「ハア……」
◇◇◇◇
アイリスのやつ、避けるのが異常にうまい!
だが、俺の剣もアイリスの動きに追い付いてきた。
「ハア……ハア……ハア……」
「ハッハッハ!! どうした!? アイリス!! もう体力切れか!? あれだけ動いていたからな!」
「ハア……ハア……絶対負けない!!」
2本の木剣が交差して、すぐに2人とも後ろに飛び、間合いをあける。
その時、アイリスは動きを止めた。
遠くの何かから、目を離さない。
「アイリス? どうしたの?」
アイリスは目を見開いたまま固まっている。
俺がアイリスの見ている方を向いたのと同時に、アイリスが叫んだ。
「セ、セイン!! あそこ!! 遠くの木と木の間に緑の人が子どもを抱えている!!」




