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第二十二話「納豆とコズミックキャット」



 梅子が、返答に窮していると――後ろから、ラエルザが、一歩前に出た。


「ジャル様」


 ラエルザの声は、いつもの明るさを抑えた、商人らしい落ち着いたトーンだった。


「私たちは大型船の運送業をしていまして、濃縮結晶を、安定的に仕入れたいと考えているんす。何か良い入手方法は、ないでしょうか?」


 梅子は、内心、感心した。

 ラエルザは瞬時に状況を理解し、商談に見せかけて情報を引き出そうとしている。さすが、商人の娘だ。

 あの「親父が騙されたから食い扶持減らしで」と胸を張っていた女が、こういう時には頼りになる。


 ジャルは、目を細めた。

 太い指が、再びコオロギの容器に、伸びる。


「ふむ……濃縮結晶、ねぇ」


 ボリボリと、コオロギを噛み砕きながら、ジャルは値踏みするような視線を、一行に向けた。


「タダでは、教えられんなぁ」


 どうやら、出所を知っているらしい。

 梅子の心臓が、高鳴った。


「手に入れられる奴を、紹介してもいいが……」


 ジャルは水タバコを一服すると、紫色の煙を、吐き出した。


「仕事を、やってもらう」


「ほ、本当ですか?」


 梅子が思わず身を乗り出すと、ジャルが、鼻を鳴らした。


「取引で嘘をつくほど、ボケちゃおらん」


 そして、ジャルは自分の要求を、話し始めた。


「簡単な話だ。この市場から、自由主義連盟の商人どもを追い出したい。昔みたいに俺様のナワバリを復活させたいんだよ」


 梅子たちは、顔を見合わせた。


「そ、そんな大それたこと、私たちには無理っす……」


 ラエルザが慌てて言うと、ジャルは大きく笑った。その笑い声は、沼の底から響くような、不気味な音だった。


「ぐふふふ……そんなことは、分かっとる。お前らヒューマン如きにそこまでは期待しとらん」


 ジャルは、身を乗り出した。

 巨体が動くと、部屋全体が揺れるような錯覚を覚える。


「ちょっとした嫌がらせをしてもらうだけだ。自由主義連盟の商人で、ゴードンって奴がいる。高級食品を扱ってる、成金野郎だ」


「ゴードン……」


 クウラが、小声で呟いた。聞いたことがある名前らしい。


「そいつの倉庫に、ちょっと細工をしてもらいたい」


 ジャルは側近に合図すると、何かを持ってこさせた。

 それは、古びた、缶詰だった。


「これをコズミックキャットに食わせてから、十匹ほど倉庫に、放り込んでくれりゃいい。そうすりゃ、倉庫の商品は、全部ゴミになる」


 梅子が缶詰を受け取った瞬間――見覚えのあるラベルが、目に入った。

 日本語で、書かれた、文字。


「これ……納豆、だ」


 思わず、呟いてしまう。


「なっとう?」


 ケルケンが、首を傾げた。

 梅子は、複雑な表情で缶詰を見つめた。

 母の故郷、日本の食べ物。大豆を発酵させた、独特の匂いとネバネバが特徴の食品。家でも時々、食卓に上がっていた。

 父と母は美味しそうに食べていたが、祖母のニーナは、その匂いを嗅ぐだけで顔をしかめていた。梅子自身も最初は抵抗があったが、慣れると意外と美味しかった。

 その家庭の食卓の匂いが、こんなところで犯罪の道具になっている。


「ぐふふ、これをコズミックキャットに食わせると、とんでもないことになる」


 ジャルが、愉快そうに言った。


「あいつらの消化器官と、この発酵食品の相性は、最悪でな。まあ、見てのお楽しみだ」


 梅子たちは缶詰を受け取り、ジャルの部屋を、後にした。


 *


 薄暗い廊下を歩きながら、クウラが、缶詰を覗き込んだ。


「なんか……腐ったような、匂いがするな」


「それは、発酵食品だから……」


 梅子が説明しようとしたが、上手く言葉にならない。

 店を出ると、全員が、深呼吸をした。


「はぁー、生きた心地がしなかったっす」


 ラエルザが、胸を撫で下ろした。


「でも、濃縮結晶の手がかりが掴めるかも」


 ケルケンが、缶詰を見ながら言った。


「それで、これを何に食わせるって?」


「コズミックキャット」


 梅子が答えると、全員が、顔を見合わせた。


「あの、頭が花みたいに開く猫?」


「そう、それ」


 市場の路地裏に入ると、すぐに野良のコズミックキャットを、見つけた。

 ゴミ箱を漁っている、みすぼらしい姿の生き物。


「おいで、おいで」


 ラエルザが、優しく声をかけながら近づく。猫は警戒したように、後ずさりした。

 梅子は、缶詰を開けた。

 途端に、強烈な匂いが、広がる。


「うぉえ!」


 クウラが、鼻を押さえた。


「なんだ、この匂い!」


「クキキキ……死にそう」


 ケルケンも、顔をしかめている。

 しかし、コズミックキャットは、違った。

 その匂いに引き寄せられるように、ゆっくりと、近づいてきた。

 梅子は、納豆を地面に置いた。

 猫は慎重に匂いを嗅ぎ、そして――一口、食べた。


 次の瞬間、猫の頭が、パカッと、開いた。

 花のような肉質の内部が露出し、そこから触手のようなものが伸びて、納豆を貪り始めた。


「ひぃ!」


 ラエルザが、飛び退いた。

 食べ終わった猫は、満足そうに鳴いた。

 そして、梅子たちを、じっと見つめている。明らかに「もっとくれ」という目だった。


「こいつら、十匹集めるのか……」


 クウラが、憂鬱そうに呟いた。

 梅子は、缶詰を見つめながら、奇妙な気持ちになっていた。

 父の本の世界に迷い込み、母の故郷の食べ物を使って、違法な工作をしようとしている。

 父の文字。母の食卓の匂い。

 二つの懐かしいものが、今、犯罪の道具として、自分の手の中にある。

 一体、自分は、何をしているのだろう。


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