第二十一話「ジャル様への謁見」
コオロギの入った容器を抱えた梅子は、市場の奥へと向かっていた。
その足取りは明らかにぎこちなく、時々立ち止まっては、深呼吸を繰り返している。
「ま、待ってよ、梅子!」
ラエルザが、小走りで追いかけてきた。クウラとケルケンも、不安そうな顔で後に続く。
「本当に、行くつもりっすか?」
「だ、だって……」
梅子の声も、震えていた。
自分でも、正気の沙汰とは思えない。でも、父の本に書いてあった通りにしなければ、何も分からないままだ。
市場の奥、薄暗い路地の突き当たりに、その店はあった。
『銀河の胃袋』という看板が、赤いネオンで、怪しく光っている。
「おいおい、それ持って、入るのか?」
クウラが、梅子の腕を掴んだ。
「絶対に、出禁になるぞ。クキキキ……いや、笑い事じゃない」
「で、でも、本には、こうしてあったから……」
梅子がオロオロしていると、ケルケンが、首を傾げた。
「本? 何の本の話?」
「父の……いや、その、旅行記みたいな本で……」
説明しようとしても、上手く言葉にならない。
仲間たちは顔を見合わせたが、梅子の真剣な表情に、それ以上追及はしなかった。
店の扉を押し開けると、香辛料と何か腐ったような匂いが混ざり合った、独特の臭いが鼻を突いた。
「いらっしゃいませー」
カウンターに立っていた店員が、機械的に挨拶をした。四つ目の異星人で、退屈そうに爪を磨いている。
しかし――梅子の手元を見た瞬間、その表情が、変わった。
「あぁ……」
何か納得したような顔で、頷く。
「ちょうど、切らしてたから助かるよ。あの人、自分じゃ絶対買いに行かないくせに、切らすと機嫌悪くなるんだよね」
店員は梅子たちを手招きして、店の奥へと案内した。
ここでも、父の本の通りだった。コオロギを持った客は、自動的に奥へと案内される。それが、暗黙のルール。
薄暗い廊下を進んでいくと、重厚な扉の前に、二人の見張りが立っていた。
一人は熊のような体格、もう一人は昆虫型の異星人。どちらも武装している。
「なんの用だ?」
低い声で問いかけてくる。
梅子は、震え声で答えた。
「ご、ご挨拶に、来ました。七夕梅子、です。ヒューマン、です……」
見張りたちは、顔を見合わせた。
「新しい商売の、相談か?」
「そ、そうです。相談をしに来ました」
梅子は必死に頷いた。
本当は何の相談もないが、とりあえず話を合わせるしかない。
二人の見張りは、小声で相談を始めた。
「どうする?」
「いいんじゃないか? おやつがあれば機嫌もいいだろうし」
「確かに。最近イライラしてたからな」
扉が、開かれた。
*
部屋の中は、さらに独特の雰囲気に、包まれていた。
甘ったるい煙が漂い、薄紫色の照明が、怪しげな影を作り出している。
そして、部屋の中央に――それは、いた。
全長六メートルはあろうかという、巨大な生物。
カエルとナメクジを融合させたような姿で、ぬめぬめとした皮膚が、照明を反射している。とぐろを巻くように体を丸め、不機嫌そうな目で、入ってきた者たちを見下ろしていた。
手元には、水タバコ。その周りには、同じような種族の、しかし一回り小さい女性らしき生物が、数体、媚びるような視線を送っている。
「なんだ、お前?」
ジャルと呼ばれた巨大生物が、口を開いた。
その瞬間、なんとも言えない臭いと、紫色の煙が、噴出する。腐った果実と香辛料を混ぜたような、胃がひっくり返りそうな、匂いだった。
梅子は息を止めながら、震える手で、容器を差し出した。
「こ、これ……」
ジャルの目が、容器に、向けられた。
巨大な頭が、ゆっくりと近づいてくる。
そして、口元がぐにゃりと、横に伸びた。
笑っているのだろうか。
太い指が容器の中に突っ込まれ、コオロギを一匹、つまみ上げた。そして、器用にその頭を、親指と人差し指で、挟む。
ブチッ。
小さな音と共に、コオロギの頭が、引きちぎられた。
「キュゥゥゥ……」
コオロギから、悲痛な鳴き声が、漏れる。まだ、生きているのだ。
ジャルはそれを口に放り込み、ゆっくりと、咀嚼し始めた。
ボリボリボリ。
甲殻が砕ける音が、静かな部屋に、響く。
しばらく味わった後、ジャルは満足そうに目を細めた。
今度は大きな手で、コオロギを鷲掴みにする。五、六匹をまとめて口に放り込み、豪快に噛み砕いていく。
「ぐふふ……いい音だ」
隣にいた女性型の生物が、うっとりとした声を漏らした。
ジャルは手元の酒で、コオロギを流し込む。ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲み干すと、急に、機嫌が良くなったようだった。
「で?」
巨大な目が、梅子を、見つめる。
「このジャル様に、なんの用だ? ヒューマン」
梅子は、言葉に詰まった。
本当は、何の用事もない。ただ、父の本の通りに行動しているだけだ。でも、そんなこと、言えるわけがない。
後ろでは、クルーたちが息を殺している。
ラエルザは壁に張り付くように立ち、クウラは逃げ出したそうに、そわそわしている。ケルケンに至っては、少しずつ形を崩し始めていた。恐怖で体を保てないのだろう。粘土族にとっては、これが涙腺崩壊と同じ、生理的な反応だった。
梅子は、必死に頭を回転させた。
何か、何か、言わなければ。
父の本には、ここから先、何が書かれていただろう。あの時、ふざけた話だと思って、流し読みしてしまった部分。




