淑女の歩き方
翌朝。
フィリアは公爵家の訓練場に立っていた。
広大な石畳の広場。
騎士たちが訓練を行う場所である。
「なぜ俺はここにいるんですか。」
フィリアは隣に立つセバスチアンへ尋ねた。
「本日の淑女教育のためです。」
「訓練場で?」
「はい。」
「騎士が使う場所ですよね?」
「はい。」
「淑女教育ですよね?」
「はい。」
話が噛み合わない。
すると訓練場の奥からザッケリンが現れた。
「おお、フィリア!」
「御父上。」
「今日から歩行訓練だ!」
「歩行?」
「うむ!」
フィリアは少し安心した。
ようやく普通の教育らしい。
しかし次の瞬間。
ザッケリンが指を鳴らした。
訓練場の中央に巨大な丸太が運び込まれる。
「……。」
さらに。
綱渡り用の細い梁。
高さ三メートルほどの壁。
障害物。
「……。」
「淑女は優雅に歩かねばならん!」
「これ歩行訓練じゃなくて軍隊訓練ですよね!?」
ザッケリンは胸を張った。
「バランス感覚は重要だ!」
「重要なのはわかりますけど!」
セバスチアンも頷く。
「旦那様の仰る通りです。」
「セバスチアンさんまで!?」
その時。
「朝から元気やな。」
黒ローブ姿のカインドが現れた。
なぜかクッキーを食べながら。
「猊下。」
「おう。」
カインドは障害物コースを見る。
そして。
「簡単すぎへん?」
全員が凍った。
「十分危険です!」
フィリアが叫ぶ。
「これくらい女子でもできるやろ。」
「できません!」
「エルザならできるで。」
「え?」
フィリアは振り返った。
エリザが微笑んでいる。
嫌な予感がした。
「お姉様?」
「はい。」
「まさか。」
「失礼いたします。」
次の瞬間。
エリザは軽やかに走り出した。
丸太を渡る。
壁を飛び越える。
綱の上を走る。
最後に宙返りして着地。
完璧だった。
訓練場の騎士たちから拍手が起こる。
フィリアは固まった。
「え?」
「幼少より嗜んでおります。」
エリザは優雅に一礼した。
「何を?」
「淑女の基礎です。」
「絶対違います!」
ザッケリンは誇らしげだった。
「我が娘だからな!」
「公爵令嬢ってそんな生き物なんですか!?」
騎士の一人が呟く。
「エリザ様は公爵家でも特別です。」
フィリアは少し安心した。
やっぱり普通ではないらしい。
「ではフィリア様。」
セバスチアンが微笑む。
「挑戦してみましょう。」
「嫌です。」
「大丈夫です。」
「何がですか。」
「死にはしません。」
「基準がおかしいです!」
結局。
フィリアは丸太の上に立たされた。
ふらふら。
ぐらぐら。
「落ちる!」
ドサッ。
落ちた。
騎士たちがざわつく。
「初心者だな。」
「初心者ですね。」
「初心者だ。」
当たり前である。
フィリアは立ち上がる。
膝が痛い。
すると。
カインドが木刀を肩に担いで近付いてきた。
「下手やな。」
「初めてですから!」
「しゃーない。」
珍しくカインドが木刀を差し出した。
「持て。」
「え?」
「歩く時はな。」
カインドは木刀を頭の上に乗せた。
そして。
驚くほど綺麗な姿勢で歩き始めた。
無駄がない。
揺れない。
静かだ。
まるで一流の舞踏家のようだった。
フィリアは目を見開いた。
「すごい……。」
ザッケリンも頷く。
「猊下は礼儀作法も一流だからな。」
「暴君なのに。」
「暴君だからだ。」
意味がわからない。
カインドは木刀をフィリアへ投げた。
「真似してみ。」
フィリアは恐る恐る頭の上に木刀を乗せる。
一歩。
二歩。
三歩。
落ちない。
「お。」
四歩。
五歩。
少しだけ歩けた。
エリザが拍手する。
「素晴らしいですわ!」
「そうですか?」
「昨日より淑女らしいです!」
昨日は淑女らしくなかったらしい。
フィリアは少し複雑な気持ちになった。
だが。
初めてだった。
公爵家へ来てから。
初めて何かをできた気がした。
その小さな成功が。
フィリアの胸を少しだけ温かくした。
遠くでカインドが呟く。
「やっぱ血筋やな。」
フィリアは聞こえないふりをした。




