4-15 菖蒲とアヤメ
それは、何ヶ月も音沙汰なかったお上からのシゴトの連絡だった。
あの日、私と兄様は任務に失敗した。
正直なところその事実も後から知らされたことで、額に十字のアザを負った兄様と私は
あの夜から数日後、雲形池の四阿下のベンチで発見された。
あの夜対峙した彼等は一体何者だったのか?
対峙した美しく強い彼女に敗北した私は、気を失う寸前に刃を交えた彼女の瞳の中に
見た景色にすっかり魅了されてしまった。それは私と兄様が守るべきだった主様
のように心を鷲掴みするような一方的な支配ではなく、まるでどこか故郷や
母校のような懐かしささえ感じる温かみを持っていた。
そして私達の仇敵と教えられたあの男、相馬。
お祖父様が守り抜いた文化、祖国。そして私と兄様の信念たる愛国心をも裏切り
お祖父様を殺めた相馬。でも、あの暗く長い廊下ですれ違ったその男の気配は聞かされて
いたものとは違い、隣でハンドルを握る兄様に似た確固たる信念を宿す眼差し。
刃を交えた私の傍らを駆け抜けていった彼の横顔が忘れられずに居る。
抹殺すべき相手なのに、まったく迷惑な話よ!
もし、再び彼に逢えたとき私のこの気持ちに間違いが無いのなら、私は彼と言葉を
交えたい。彼は本当にお祖父様を殺めたのか、それを確認したい気持ちが溢れ彼のことを
忘れられずに居る。
あれから数ヶ月。主様はこの世を去り、私と兄様は仕えるべき主を失い年相応の
学生の立場に甘んじていた。このまま何もかも忘れ多くの人々の影に紛れ兄様と慎ましく
暮らしてゆくのも、良いのかもしれない、そんな思いを覚えはじめた頃、唐突にその連絡が
携帯電話に届いた。
『仕事だ。指定座標へ向かい、指示を待て。』
それは他界したと聞かされていた、かつての主様と変わりない簡素な命令文。
私と兄様は彼の支配から解き放たれた感覚から、彼の死に確信を得ていただけにその
指令文に対し、主様の生存に希望を持つことも、さらには安心や喜びなど無くそれは
もはや、憎しみの感情でしかなかった。
一方的な短いメールだけで私達を使いに出すなんて──────
「アヤメ──────、聞いているのですか?」
「・・・何ですの兄様?」
「上の空のようだが、久方ぶりの仕事です。」
「アヤメ、解っていますね?」
「当然ですわ、主様の生死に関わらず、お仕事はお仕事ですもの。」
「──────お祖父様のような轍を踏むつもりはありません。」
「兄様こそ、解ってますの?」
「当然。今となっては、主に代わり国を守るため粉骨砕身するが我が使命」
「──────そうね」
闇夜の外苑東通りを右に折れると、記念館門前の閉ざされた門扉が黒子によって開かれる
苑内に伸びる道に車を進めていると、閉館時間の駐車場に5台の黒塗りのセダンが止まり
車の横に黒子の男達が携帯電話を手に集まっている。
兄様の車を降り二振りの鞘袋を取り出し一つを兄様に渡す。
「おっと?主役御両人のご登場だぜ、最後におでましとはいい気なもんだ」
「やめろ久坂部。」
「アヤメ、気にするな」
「──────わかってるわ兄様」
「・・・・・・・・揃ったな。」
突っかかる黒子の後ろ、駐車場に並ぶ車の中で格上の車のドアが開き、その一台から
降りた男が、手にしたノートパソコンを静かにたたみ話しはじめる。
「マルホシの詳細は先程ブリーフィングで話した通りだ。」
「我々は外一の密命で宮城に飛ぶ。」
「専用機を降りたら県警の用意した車両を受領。」
「連携せず各自はツーマンセルの4ユニットで行動、ポイントを目指す。」
「けっ────! やっぱソトイチのお使いかよ。」
「────続けるぞ。被疑者がどのような能力を持っているか目下のところ詳細不明。」
「だが、通信傍受に長けているとの情報もある。」
「こちらの動きを気取られる可能性もある、したがって対象に接近──────」
「もしくは全ユニットが目標ポイントへ到達するまでの間」
「ナビゲーション使用や無線連絡も一切禁止とする。」
「各自、周辺地図を頭に叩き込んでおけ──────」
「ヤレヤレだぜ。またまたウチラ二係は、奴らの小間使ってか」
「久坂部! 口を閉じてろ。」
「へーいへい。」
「・・・・・・諸君らが憤るのも無理はない。斯く言う私も同じく不本意だ。」
「だが、我々がみすみす奴を取り逃がしたのも事実。」
「今はくだらん縄張り争いでモメていて良い状況ではない。」
「取り逃がした被疑者の残した忘れ形見の確保──────」
「この重責を我々の手で成し遂げること、それこそが先の雪辱を遂げる事となるだろう。」
「──────そちらもよろしいか? カキツバタのお二人。」
「承知した。」
「異存ありませんわ。」
「チッ! そもそもアンタラが──────」
「久坂部!」
「・・・・・フン!」
なによ!なんでアタシ達に絡むのよ。
「──────以上だ。」
そう言い残すリーダーの彼は、再び車に乗り込むと程なく静かにこの場を後にした。
残された黒子の彼らは、乗ってきた車に乗り込みリーダーの車に続くよう駐車場を後にする。
その中で、久坂部という男だけはタバコにゆっくりと火を灯すと、こちらを睨み続けている。
「フー・・・、オレはアンタラを仲間とも何とも思ってねぇ──────」
「アンタラのゴタゴタにゃ興味ねぇんだよ!」
「アンタラに振り回されるのもいい加減飽き飽きしてんだ!」
「久坂部、乗れ!」
「アヤメ、乗りなさい。」
「────あら、それは気が付かなくて申し訳ありませんでしたわね。」
「ご安心ください、私達も貴方に興味ありませんわ」
「ケッ! オトリのくせにお高く留まりやがってガキが!」
「ま、そんときゃバケモノ同士精々足止めしてくれよ」
「お前らごと、いっぺんに始末シてやっからよ」
「貴方こそ、何かの役に立ってくださいな。」
「血だらけで転がるのは私達の見えない所で為さってください。目障りですので」
「こんガキ──────!」
久坂部という黒子は手にしたタバコを地面に叩きつけながらこちらに向かってこようと
するのをもうひとりに肩口を掴まれる。
「そこまでだ久坂部、行くぞ乗れ!」
「アヤメも乗りなさい。」
「フン!」
制する黒子に肩を掴まれた久坂部という黒子が変わらず私を睨み続けるのを気にせず
兄様の車に乗り込んだ。
「らしくないなアヤメ。」
「当然でしょ兄様、敵意むき出しの相手にこっちが気を使う道理が何処にありますの?」
「だいたい! 敵に囚われ何事もなく解放された。そんな事が合ったなら尚更よ。」
「突っかかってきた彼だけじゃないわ、きっと他の連中も身中では───」
「兄様、私達が倒すべき敵って──────、一体何? 」
「この国に仇なす者の総体。 違いますか?」
「・・・・・・・。」
主様が亡くなられてから、私達や黒子の連中も主体性を失い、形骸化し漠然と
した敵という概念だけに囚われているようだった。敵を退ける。
その行為に今や理念や信念はなく、もはやただ対処せねばならないと言う義務感だけが
抜け殻同然の組織を動かしていた。それは兄様も感じているはず。
現に今だって兄様から以前のような情熱が感じられないもの。
都内を流れる車窓の光を横顔へ写す兄様を見ながらに、そんなことを思っていた時だった。
赤信号で停車した人気のない交差点で殺気に身震いをすると同時に私達は目を合わす。
「───アヤメ!」
そう叫ぶ兄様が見つめる道の先に、遠方から順に規則正しく並ぶ外灯が、私達に
向かって徐々に消え遂には目前の交差点を暗闇が覆い、私達の車のヘッドライトだけが
その中心人物を薄ぼんやりと照らした。
「・・・・・やっぱり、また会える気がしてたのよね。」
私はその人物の強さを知っているだけに
そんな言葉で自分を落ち着かせるしかなかった。




