4-7 壱拾二話 信念へと続く道 1
「んんんんーーーーんーッ!!」
隣のボックスに座るチェロが、初めて感じる感覚に目を閉じ頭を抱えて耐えている。
私は広げていた英字新聞を閉じ、モニター脇のポケットへ差し込んだ。
──皆様、当機は只今、東京国際空港へと着陸いたしました。
ジョンの協力によって、米国籍の親子として乗り込んだ旅客機が日本の地へ降り立つ。
ミスターソウマとの約束を果たすに当たり、これでやっと振り出しに戻れた訳である。
紆余曲折有りはしたが、私のあの行動が窓から初めて見る東洋の異国に、口を開けたまま
目を輝かせている、この隣の少女を結果的に救うことに成ったのだから、不本意な遠回りも
体中に受けた傷の痛みも、報われると言うものだ。
「えー、ジャック・ジェームス・ジョンソンさん。 公務ですか?」
「───あぁ。」
Diplomaticと記された旅券を開きながらイミグレーションの係官が私に問う。
ジョンが私に用意した旅券と旅路は、イースタンアメリカの外交パスとビジネスクラス
シートだった。そしてその旅券に記された偽名に諦めと呆れが混じった物が胸より
こみ上げて、私は堪らずフンと一つ鼻を鳴らす。
ファーストネームとミドルネームのおふざけはともかく
ファミリーネームをジョンソンとしたのは、彼らしいウイットの現れなのか
もしく、はいかに功労者と言えど一筋縄では行かないぞ! といった
あちらさんの精一杯の皮肉と牽制なのかもはやどちらか解らんな。
ともかく、ジョンの見事な調達手腕に私は驚きを軽く通り越し
ただただ舌を巻くしかなかった。
「───では娘さんのパスポートもお願いします。」
「えー、チェロ・カルロ・ジョンソンさん。はい結構です。」
「では真っすぐ進んで突き当りの税関へ、ウェルカムトゥジャパン!」
「───Thanks a lot.」
外交旅券と言うことも有り、幾つかの煩わしい手続きを省略され、私とチェロは
なんともあっさりと日本への入国を果たす。ここまでは順調そのもの。
しかし、この先が問題である。
何せミスターソウマの残した謎解きがまだ解読できていないのだ。
ここで少しでもなにか手がかりを得なければ、否応無しに空港に足止めだ。
直接的な情報を一切伝えられていない事からも、ミスターソウマの彼女に対する
重要性は理解できる。ミスターソウマが齎したこの試練を、私が
突破出来なければ、そもそもクイーンを守る守護者に価しない。
これはきっと、そういった苦痛を伴う通過儀礼のたぐいなのだろう。
駐機された旅客機が幾重にも立ち並ぶ、この海に浮かぶ巨大空港の景色を
大きな窓ガラスに顔を押し付け、眺めたまま一歩も動かないチェロに私は
ため息を付きながら、ミスターソウマの残したメモを取り出す。
KAZIGAYA 205 と Σの記号に続く鍵を半分写し取ったとされる図。
カルロスが探せと言っていた鍵山の残り半分を写し取った図はまだ見つかっていない以上
今現在手がかりはこれしか無い。謎の記号はともかく、単語として意味が読み解けそうな
この“KAZIGAYA”から解読を始めたほうがいくらか現実的だろう。
「チェロ! おいで、何か食べよう。」
食べようの言葉に、窓ガラスに強力に張り付いていた彼女の額が、あっさり剥がれる
あたり少女にはどんな有能なネゴシエーターの交渉術よりチョコレートとホイップクリーム
のネゴが勝るようでその年相応の合意点の低さに助かった。
私の視線の先、オープンテラスタイプのカフェテリアで、口の周りにカラフルな
甘い髭を生やしながら手を振るチェロに手を上げて答えながらPublic phoneに備え付けの
電話帳を手に取る。
店名、企業名、そして地名。それぞれに数件ずつ合致する情報は有るが、この
“205”を付け加えると成ると、途端にどれもピンとこなくなる。
しかし貴重な手がかりだ。先程免税店で手に入れた革表紙の手帳に全て書き写す。
「ねぇ! Tio Lobo. PaPaの行き先わかった?」
少女の元へ戻り、カフェテリアで注文した紅茶を待っている間私は、Newsstandで
手に入れた週刊誌から紙面に踊る文章よりKAZIGAYAの文字を探していると、無邪気な
彼女は私の心にグサリと突き刺さる答えづらい質問を投げ掛けてくる。
私はウエットタイプのペーパーナプキンで少女の口元を清めながらその質問に問で返す。
「チェロ、君の名はパパとママ、どちらから貰ったのか覚えてるかい?」
私の問に、少女は父親から授かったと答えた。そしてその名の意味は本人がまだ理解して
いないながらに“慰めと安らぎ”だと笑顔で語った。その意味を聞かされた私は
どこかストンと腑に落ちた気がした。
組織の後ろ盾を捨て、文字通りの裸一貫となった今や嫌疑の眼差しで
睨むCASINOの縄張りで、こうして冷静に行動できているのは、まさしくこの娘のお陰
なのだと理解した。
そしてそれはきっと、少女にチェロと名付けたカルロス本人をも、何度となく癒やして
いたに違いない。そう思った時、私はどこか心につかえていた彼女に対する
罪悪感が若干和らいだ気がした。
いつの日か本当のことを伝えなければならない。
だがそれまでは、嘘つき“Tio Lobo”になる事をどうか
許して欲しい。そう思いながら、少女の頭の上で革手袋の手のひらを弾ませた。
少女は、腹が満たされたからか、もしくは旅の疲れが出たからか、私のジャケットの
裾を掴みながら、何度もその小さな手で大きな目を擦る。
私は引いていたスーツケースにチェロを乗せ、宛もなく空港出口の方へ進んでいると
まもなくInformationの文字が目に入る。
件の鍵の図の事も有る、抱えた謎を人に尋ねるのも有効だと思い、カウンターに
座る女性にあえて英語で問いかける。
「'scuse.」
(お尋ねしたい。)
「You know the meaning this word ..Hmm“K.A.Z.I.G.A.Y.A”,right?」
(ふーむ、“カズィガヤ”でいいのか? この言葉───、わかるかな?)
「ハイ、えぇーっと・・・。あ!梶が谷ですか?」
「───That's it.」
初めて訪れた東洋の異国で、右も左も分からない、旅に不慣れな米国親子の
フリをして、私が謎を投げかけると彼女はスーツケース上の
SleepingBeautyの姿に微笑みながら、最大限の推測を持って
その答えを語ってくれた。
彼女は手慣れた手付きで路線図を広げ、KAZIGAYAの駅にペンで印をつける。
私はInformationのカウンターを改めて見上げると、そこには
ニッポンレールウェイズの文字と大手鉄道会社のロゴタイプが掲げられていた。
なるほど・・・
私には聞き慣れない単語だったのだが、どうやら彼女には職務上幾度もその元へ
人を導いてきた、至極簡単であまりに聞き慣れた単語だったようだ。
礼を伝え、スーツケースの上の眠り姫へ手を振って見送る彼女を背にし
彼女が示した改札へと続く階段へと歩みだす。
そして間もなく空港地下のホームへ滑り込んできた列車に私達は乗り込んだ。
梶が谷へたどり着けばきっと新たな発見がある。そう信じて───。
♠
「──────ねぇ、見てアレ。もしかしてお人形?」
「まさかぁ、娘さんかしらね。──────カワイイ」
夕暮れを迎えたオレンジ色の景色の中で、通り過ぎる人混みの中から、そんな会話が
聞こえる。回復しきっていない傷の疼きと、子供を連れた慣れない長旅の疲れに
梶が谷駅のホーム上に設えられたベンチへ体を預けている私と
隣で時差ボケにヤラれ本気で眠り込む少女。
完全に失策だった。案内された目的地に急ぐあまり、亡霊として生きて来た私が
見てくれだけは人間に戻り、人混みの列車を数回乗り換えるという、これまでの私には
おおよそ取り得ない列車移動という手段を選択してしまうとは。
傷をおした末、人混みに酔い、探偵のような慣れない捜査活動その上の子守による疲れ。
バカだな私は。慣れないことのオンパレード、完全にリソースオーバーだ。早急に宿を
探さなければ、一晩寒空の下にチェロを晒すことに成る。ベットタウンらしき町に果たして
マトモな宿が有るか甚だ不安ではあるがな。
若干回復した体力を振り絞り、隣ですっかり熟睡していたの少女を胸に抱き
駅を出るため橋上駅舎の改札に向かい、ホームより階段を登る。
「ん──────Pa・・・Pa?」
「あぁ、チェロ。起きたのか?」
「ここ──────どこ?」
「目的地───。の入り口かな?」
「ねぇ、アレはなあに?」
胸の少女が指差すその先には、この国では広く一般的なコインロッカーが置かれていた。
6列5段のそのロッカー、一番左の列は長物を預けられるよう3段となっている。
「あれは・・・」
なんと説明すれば幼いチェロが理解できるだろうか考える。
「───アレはね、この国のコインで借りれる小さなお部屋だ。」
「おへや! あんなにちいさいのにーー! あの中に誰か住んでいるの!?」
「あぁ、そうかも知れないな。小さな住人が。」
「さぁ、私達も早く宿を探さないと。──────もうすぐ風が冷えてくる。」
とにかく南国育ちの少女に日本の冷たい秋風は文字通りの毒だ。
私は自動改札脇にある券売所の駅員に、近くのホテルを尋ねる。
「あぁ、びっくりした。外人さんだもんで焦りましたよ、日本語お上手ですね。」
「──────それで?」
「えぇ有りますよ、一件だけ、ただ大人の足で歩いて10分ほど掛かりますからー・・・」
駅員は負傷した私の腕を支える肩から釣られたアームホルダーと
そこに抱かれたチェロを見て、私の体を心配してか、表情を曇らせた。
「待ってて、今電話で空き室があるか確認してみます。」
「佐藤さん、頼めるかな?」
「はーい───って、うわヤバ! イケメン。ハリウッド俳優さんみたい!」
「子連れだけど・・・」
駅員はそう言って券売業務に戻っていったが、ボランティアスタッフの彼女が
変わって宿泊予約とタクシーの手配をしてくれた。
私達は、街道沿いの古びたホテルへたどり着き、ルームサービスで簡単な夜食を
済ませる。チェロは私が手伝いシャワーを浴び、キングサイズのベットで
トランポリンを散々楽しんだ後部屋をホコリだらけにして寝付いた。
さて、捜査再開だ。先程フロントで借りた地図を頼りに梶が谷205の謎をとく。
そもそも日本の住居表示は郊外を除いて、市街地では町を数個の区域に分け
丁目、番地と続く。ここ梶が谷でもそれは例外ではなく、単番の205番地は存在しておらず
さっそく私の慣れない捜査は暗礁に乗り上げた。
その後、2-5番地、周囲の集合住宅の205号室等、条件を変えて調べてみたものの
どれもこれと言った成果がなかった。ジョンが用意した有名ブランドの背広のから
革手帳を取り出し、書き記した情報、駅やホテルに置かれていたフリーペーパーの類等
しらみつぶしに梶が谷205を当たってみたが、見事なまでに手応えなし。
確たる手がかりにたどり着くことは遂に出来ず、壁際に備えられた机の時計に
目をやると時刻はすでに午前二時半を回っていた。
キングサイズベットの端で眠るチェロの横にくたびれた体を投げだして額に腕を乗せる。
「ミスターソウマ、貴殿はこの町で私に何を探せというのか。」
そう口に出し、スラックスのポケットに収まる彼のライターを取り出そうとすると
今まですっかり忘れていたシガーの包が指先に当たり、その存在を思い出す。
認識した途端に口寂しさに襲われ一本取り出し咥える。
「──────ん・・・スー・・・スー」
隣で小さな寝息を立てる少女の存在を思い出し、ベッドから起き上がると細長く重たい
アクリルのキーチェーンが付いた鍵を手にして、私は部屋を出た。エレベーターで2Fの
フロント前にあるロビーにたどり着くと、隅の席で制服を着た年の頃50代ぐらいの
ホテルマンがノートパソコンに向かって厳しい顔で居るのが見えた。
「──────夜分に失礼、喫煙所はあるかな?」
「!!」
「あぁ、これはジョンソンさん。失礼しました。」
「おタバコですか? えぇ、ここで吸っていただいて結構です。」
「お待ち下さい。」
偶にホテル前の街道を通り過ぎる、車の通過音だけがかすかに聞こえるロビー。
彼の隣のテーブル席へ腰を据え、咥えたタバコに火を灯そうとするが
ミスターソウマのライターは、火が灯らない事を私はすっかり失念していた。
そうこうしていると支配人らしき彼は、フロント奥からステンレスを打ち抜いて
作られた簡素な灰皿と、ホテルの名が入った紙のマッチ、そしてカップソーサーに
スティックシュガーとポーションが載ったコーヒーカップを携え現れ、私のテーブルへ
それらを置く。
私は当然のようにYシャツの胸ポケットから、マネークリップを取り出し適当な
枚数のチップを彼のトレイに載せようとした時、彼は片手で丁寧にそれを断りながら
首を横に振った。
「いいえ結構です。お気持ちだけいただきます。」
「これはこの国で言うところのオモテナシと言うものですので。」
そう言い残し、支配人風の彼は自分の席へ戻っていった。
世界中を渡り歩いてきたが、この国のココロイキと言うものは、どうしてこうも
人の心を豊かにするのか。彼のオモテナシのコーヒーを啜りながら、マッチでシガーに
火を灯すと、紫煙とカフェインがすり減った精神にまたたく間に染み渡った。
一息ついて精神の耐久メーターが危険域を抜けると、彼のもてなしに、ほだされたのか
つい私は彼に話しかけていた。
「───こんな時間まで業務ですか?」
「えぇ、そう仰るジョンソンさんも?」
「───まぁ。そんな所です。」
「日本語、お上手ですね。どちらで? あぁ差し支えなければ、ですが」
「以前は関西の商社にいたものですから、そこで。」
この場合の商社は、おそらく貴方がたが考え及びもしない物を売り歩く、死の商人だが。
「なるほど───そうだったのですか。」
「今回は、お子様を連れてのご公務ですか。」
「お疲れさまです。」
あぁそうかと、チェックインの際提示した旅券のDiplomaticの文字を思い出す。
「お若いのに優秀であられるようですね。」
「お部屋の寝心地が悪くなければいいのですが・・・」
「なにぶんスイートもない、このようなビジネスホテルですので」
「行き届かない所があればと心配で・・・」
「いや、娘はふかふかのベッドに大喜びで散々飛び回った後、熟睡できているようです。」
「私は仕事が行き詰まってしまって、気分転換に降りてきただけ。」
「ご心配なく、快適ですよ。お気遣い感謝します。」
「そうですか、良かった」
「こちらこそ業務の邪魔をしてしまったようで」
「いいえ、今日はもう辞めにします。いくら眺めても数字は増えませんので。」
そう言いながら彼は、苦々しい笑顔を私に向け、コーヒーを啜った
「この町へは初めて伺いましたが、見た所ベットタウンの宿泊施設ともなれれば」
「ご苦労も多いのでしょうね、ですが幸い、こちらが空いていたおかげで」
「私達親子は野宿を免れ救われたのですが。」
「えぇ、今日もお客様と言えばジョンソンさんとご子女」
「それにビジネスマンお一人のお二組だけでして」
「コーヒー、おかわりいかがですか?」
「えぇ、ではお言葉に甘えさせていただきます。」
そう言いながら彼はフロント奥へ、そして奥から声がした。
「そうだ、当ホテル自慢の浴場とサウナをチェックアウト前に是非お楽しみください。」
「なにぶんこのような宿泊状況ですので」
「よろしければお子様と貸し切りでお使いください。」
外国籍の客がよほど珍しいのか、ただ単に彼のオモテナシが底なしなのか?
「ですが・・・一晩の宿泊なのに、そこまでしていただくのは心苦しい。」
「えぇ、いいんですよ。急なお客様のためにいつもボイラーに火を入れるんですが」
「大抵そのまま湯を冷ましてしまうだけですから。」
「では、お言葉に甘えさせていただきます。」
「娘も日本の大浴場は初めてですから」
その言葉を聞きながら支配人はおかわりのコーヒーを私のテーブルへ置く。
「支配人、こちらのホテルの名は確か───」
「えぇ、梶が谷INNですが・・・」
「205号室というのは?」
「ご覧の通り、二階はフロントとここ、応接ロビー。」
「それに明日朝、朝食をお召になられる食堂かあるだけで、客室はございません」
「したがって205号室というのはございませんが・・・」
「そう・・・・ですか。」
情報と十分すぎるもてなしの数々を頂いて、私は部屋へ戻り短く深い睡眠をとった。
───翌朝
「Tioねむい~」
「チェロ、ちょっと我慢だ、きっと驚く。」
昨夜、支配人に勧められた大浴場にチェロを抱いて訪れる。地下一階に広がるその
浴場は、なるほど自慢だけのことは有る。会議室も備えるビジネスホテルだけあって
中小企業一つ分の社員ならば一斉に湯を浴びれるだけのキャパシティを備えていた。
「わーーーーーおっきいぃぃ!!」
「な、びっくりだろ? プールじゃなくバスルームなんだよ」
脱衣所へ駆けてゆく少女に思わず笑みが浮かぶ。
こうした感情を持つのは一体いつ以来だろうか。
「あーーーーーーーー!!!」
チェロのその声に慌てて、入り口にかかる青い布垂れを突き破る勢いで脱衣所へ飛び込む。
「みておいたん!!ココにも小人さんのマンションがあるよ」
少女が指差すその先には、着替えその他を預けるコインロッカーが有った。
「あけてごらん、小人さんを起こさないように、そーっとね」
私のその言葉にチェロは、一瞬躊躇しつつも、恐る恐るその扉に手をかけた。
「お、おじゃましまーす・・・・わっ!!」
途中までゆっくり開けていたその扉を一気に開け放ち、中の住人を脅かそうとする。
「チェロ捜査官ッ、居たか!!」
「いないーーおるすだったー」
「ふふふ、じゃそこに着替えを・・・」
「ねぇおいたん、これはなあに?」
「それは鍵。いいかい、このベルトを手首・・・・に──────」
「──────これは!!」
説明しながらチェロの二の腕にナイロンバンドに収まったKeyを巻こうとした時だった。
その特徴的な鍵を見て私はチェロを抱き、部屋へ駆け上がる。
「ハァハァハァ、クソ!何処に行った!!」
自室の机に散らかったままの捜査資料の中から、ミスターソウマのメモを見つけ出し
その特徴的な幾何学模様に脱衣所のロッカーの鍵を重ねる。鍵山の形は違えど
大きさその他はピタリと一致した。
そうか・・・
踵を返し、少女を抱いたまま地下浴場まで駆け下り、そのロッカーの鍵穴を見る。
Σの形状の鍵穴。なるほど・・・これはなにかの暗号などではなく鍵の断面形状を記す
図だったのだ。梶が谷205。それはおそらく梶が谷駅にあるコインロッカー205番を
示し。Σとそれに続く幾何学模様は、カルロスが語った鍵の半分の図ではなくあれで
全体図だった。
そもそも人目の多い改札奥の時間貸しコインロッカー。錠前の専門家が語る
錠前としての堅牢さは、そこまで求められては居なかったというわけだ。
“鍵を見つめ扉を見ず”
カルロスだけではなく娘のチェロまでも鍵の謎を解いてくれたとは・・・・
私は焦る気持ちを抑えつつ、いそいそと自分の身を清め、少女が飽きるまで湯船を
泳ぐのを見届けた後、朝食が用意される食堂に連なる2階のロビーへと向かった。
そこには昨晩、夜更けのコーヒーを共にした支配人がカウンターで、狂気迫る私に
驚きながら立っていた。
「すまない支配人! 地下の浴場にあるロッカーのマスターキーはあるか!」
「え!? えぇありますが・・・どうされました?」
「もう少しで謎が・・・いや、上司とした賭けに勝てそうなんだ!」
「すまないが、20分だけそのマスターキー貸してはもらえんか?」
「礼はいくらでもする!」
驚く支配人は、変わらぬ日常に疲れたその顔を徐々に、森に秘密基地をこしらえる
子供のような無邪気な少年の表情に変えながら答えた。
「・・・・・・。」
「申し訳有りませんが、承りかねます。」
「───駄目か」
「──────と、立派な支配人なら申し上げないといけないんでしょうね」
「ですが良いでしょう。」
「これから30分だけ、私はこのマスターキーを見ていない。」
「そういう事にします。」
「すまない! 恩に着る。」
「但し、条件が一つだけあります。」
「──────条件?」
「えぇ、貴方の本当のお仕事。それはもしかして───」
「東米の秘密捜査官なのですか?」
「それを教えていただきたい!」
なるほど、珍しい旅券を携え訪れた、流暢な日本語を話す手負いの若い子連れ
の異国人。これだけ不自然な要素を兼ね備えた宿泊客など、一生掛かっても
そうそうお目にかかれるものではない。まして支配人の年頃ならその手の映画や
ドラマに目がなくてもうなずける。私は目にキラキラと輝きを宿した中年の
支配人に向け人差し指を唇に当ててケレン味たっぷりにこう伝えた。
「30分。私が戻るまで娘を頼む。これで甘いものを食べさせてやってくれ」
「甘味を与えれば夢中になり、私が居なくても気付くことはないだろう」
そう言いながらクレジットカードをウォレットから取り出し支配人に渡す。
「プ・・・プラチナ!」
「いいか支配人、このことはくれぐれも・・・」
「えぇ! 分かってますとも!!」
「従業員にも内緒、ですね。」
「あぁ、では頼んだぞ」
そう一芝居打って、私はホテルを後にしようとした時、パフェのスプーンを口に
咥えたえたチェロを胸に抱えた支配人が、玄関より走り寄って来る。
「待ってジョンソンさん! よかったらコレ使って!!」
スクーターの鍵と、何処も守れそうにない飾りのゴーグルの着いた
帽子のようなヘルメットを私の腹に押し付けた。
「お気をつけて!」
最後まで支配人の好意に甘えるようで若干気が引けるが、私はそのバイクですっかり
日の登りきったの梶が谷駅へ急ぎ向かった。10時を回るベットタウンの最寄り駅。
その構内は通勤通学客がもはや疎らとなり、夕方のラッシュまでの閑散とした
日常を迎えていた。
券売機で入場のきっぷを買い、自動改札をくぐりまっすぐコインロッカーへ。
目的のその設備は、2000年を間もなく迎える現代では、もはや役目を終えようと
しているかのように、利用客を待つ様ほぼすべての扉には鍵が刺さっている。
──────が二列目の一番下。
205と記されていた扉だけは鍵が抜かれ使用中の赤い印とともに、固く閉ざされていた。
───BINGOだ!
逸る気持ちを押さえつつ、支配人より半ば強引に借り受けた鍵をポケットから
取り出す。まるでパズルのピースの如く、その鍵は当然のようにその鍵穴の奥へスルリ
と送り込まれた。
「──────これで!」
鍵をひねる。
私の信念への道を閉ざす扉が今、開かれる──────と思いきや
そのマスターキーが回ることはなかった。
「なっ──────!?」
「ウソだろ? ここまできて・・・・」
その扉をガチャガチャ引くが、物理的不具合による引っ掛かりや、気の迷いでも
なんでもなく、誤った鍵による解錠をただ阻んで、クイーンへ繋がる最後のハードルは
開かなかった。同じ製造会社のロッカーだとしても、マスターキーは違うという
ただそれだけのことだ。
一気に全身の力が抜け、全ては振り出しに戻される感覚に落胆し、その場に膝を
ついた時、私の頭上から聞き覚えのある声がした。
「あ、昨日の子連れキアヌだ。」
「どったの?」
自身をバイトの女子大生と語った、ミズサトウがDustpanを左手に下げ
Broomを肩に担ぎながら私を見下ろしていた。
「──────すまない。 鍵をなくしてしまって。」
そう言いながらメモの図を示す。
「まーーじーーデーーー!?」
「ヤバイじゃん! 罰金十万だよ十万。」
「それで済むなら倍払っても良い。開くならばな。」
落胆に投げやりになりながらそう語る。
「ま、十万は嘘だけどネ、チョイ待ってて」
そう言うとロッカーへ箒とちりとりを立て掛け、券売所と事務所を兼ねた部屋へ
行ったと思うと、バインダーとマスターキーを携え戻ってきた。
「悪いんだけどガイジンさん。」
「ココ見て、鍵を紛失した場合、鍵交換の修理代2万円。」
コインロッカーの側面に記された使用時の注意を指差しながら彼女が続ける。
「それとこの書類のここに連絡先。あと身分書のコピー取らせてもらえる?」
彼女に言われたとおり、国際免許のコピーとサインを納めると、彼女のマスターキー
により、205の扉は遂に開かれた。
「へぇ、ふーん。なにそれ?」
「ツールバック・・・だな」
「そうなんだ、はい!」
気のない相槌を打ちながら、彼女が手のひらをひらつかせて無心する。
「すまなかったな、おかげで助かった。」
財布から5枚の紙幣を取り出し、彼女の手のひらへ乗せる。
「は? 多いよ」
「チップ・・・いや」
「口止め料だ。このことは他言無用で頼む。」
支配人の彼と同様、ケレン味たっぷりにそう言うと彼女は
「他言って、鍵代えなきゃだし、そもそもコレにサインしちゃってんじゃん貴方」
これがジェネレーションギャップというものらしい。
「フフフ、そうだったな。」
「ならば新しいジーンズでも買いなさい。」
「あーー!失礼ね、パンク! コレはそういうファッションなのよ!」
ほらな?
「まぁいい。 とにかく助かった!」
頭へ疑問符を幾つも浮かべた彼女にそう言い残し、私はふたたびホテルへ戻る。
また口の周りにホイップの口ひげを生やしたチェロと、憧れの眼差しで私を見る支配人に
いくぶん擽ったい出迎えを受る。
脱衣所のマスターキーを返す私に親指を立てながら、プラチナカードを返す支配人へ
駅より持ち帰ったツールバックを掲げながら、指先をくの字に曲げた茶化した敬礼を贈り
私達は一度、借りた客室へ戻った。
再びその大きなベットで飛び跳ねるチェロを窘めながら
コインロッカーから持ち帰ったツールバックを開く。
するとそこには、おそらく何処かの組織から取り上げたか、非正規に買い取ったであろう
Serialが削り取られたフォーティファイブが革製のホルスターへ収まり
イエローのオイルペーパーに包まれていた。それとフォールディングタイプの
コンバットナイフ一振り、数枚のキャッシュカードが収まる黒革のカードホルダー
そして電源の切れたセルフォンが入っていた。
そのプリペイド式と思しきセルフォンの電源を入れると、間もなく短い着信音が鳴る。
画面を見ると、着信ランプが点滅し留守番電話の表示が、モノクロの液晶画面に
表示される。
私が興味深く覗いていたそのツールバックに、真似をして食いつくチェロの襟元を
片手で子猫のように引き上げながら、その留守録ボタンを押し耳へ当てる。
『──────1件のアタラシイメッセージです。』
『 九 月 二 十 日 午前 一 時 十 七 分 のメッセージです...』
電子合成の音声が流れた後、私はもはや懐かしさを感じるその声を聞く。
『ピィー ・・・・ 』
『よぉ騎士様、アンタならたどり着くと思っていたさ───。』
その声は紛うことなきミスターソウマ、彼の声だった。




