3-10 九話 記憶の行方 2
「───真、乗れ」
オレにぶん殴られ、ダニエルは初めてオレの名を呼んだ。
どんな事態にも動じず、誰と対峙しても冷徹にして常にフラット。
感情とは無縁の世界の住人。殺したいほどにムカつくが
バカが付くほどブレがない。
任務や命令、損得勘定。そんなものじゃない何かを元に動いている。
一匹狼。まさにそんな感じだった。オレはひょっとしたらコイツは
コイツだけは、何があろうと信用できるのかもしれない。
そう───思い始めていたのに!そんな奴が
あえて受けたオレの拳。初めて見せた人間性。
それじゃ───それじゃアンタは!
まるでオレに贖罪を乞うようなもんじゃないか!
CASINOが茜と咲夜の記憶を奪ったんだって
オレに詫びてるようなもんじゃないか!
自分はただの飼い犬だって───
そう言った様なもんじゃないか!!
追撃のために固めた拳、その手のひらに爪が食い込む。
「乗れ。」
オレに殴られ、横を向き、自分の車にもたれ掛かったまま
奴はそう繰り返すのみ。
わんこ君───か。
姐さんのその言葉を思い出したオレは、振り上げた拳をただ
下ろす他無かった。期待違いだった、そういう事なんだと。
オレは思わず掴んだままでいた、奴のジャケットの襟元を
叩きつけるように離した。
「ハァ、ハァ・・・・・・・・・フー」
オレは絶望から、そのまま両膝を付き、今すぐにでも叫びだしそうに
なるのを必死に息を整え耐える。
きっと、こんな時、人は万事休すって言うんだろうよ。
だが昨日だったか、ダニエルは逮捕術の訓練中
ゴム製のナイフで襲うオレを引き倒し、そのまま後ろ手に
オレ拘束して、片膝でオレの首を締め上げながらこうも言った。
───打つ手無しと思えたその先。活路はその2手先にある。
───焦るな、チャンスを待て。先を読む敵の、さらに一手先を読め
上等だ、アンタの言う戦いの理論、試してやろうじゃねぇか。
オレは奴を睨み、そのまま助手席へ乗り込んだ。
ダニエルは、路地手前の歩道へ乱暴に乗り上げた高級車を、
静かに転回させ、その路地へと隠すように止め直す。
そしていつものようにルームミラーを傾け、
ただ前を見据えていた。
街場で突然始まった、男たちの大立ち回りに驚き、足を止めていた
歩道の人々も、そのうちに興味を失いこちらを見ながらも
日常へ戻っていった。
オレは、色々問いただしたいその心を必死で抑え
隣の男を睨み続ける。オレが見ているのを気にもしないで、
ダニエルは履いた革手袋のまま、自分の顎をさすった。
「───効いたかよ。」
「あぁ───」
「仰せの通り、乗ってやったぜ、んで?何処に行く」
「何処にも行かない。」
「今はまだ。」
そう言うと、さすっていた手でミラーの傾きを直し
掛けっぱなしだったエンジンを止めた。
奴が俺の部屋に、突然現れたあの日のように
このまま、また沈黙が続くと思ったその時。
ダニエルは、この高級車の革張りダッシュボードに
おおよそ似つかわしくない設え方、黄色い紙テープで
乱暴に止められたネコ型のボタンを押す。
そして───
「トルク、モードサイレンス起動。」
突然そんな事を言いだした。
『了解。限定不可視モード起動します。』
『CounterMeasure展開、EP.Active』
電子音声がそう語った瞬間に車の窓ガラスが全て
暗幕状へと一瞬で漆黒に染まる。
「───なっ!」
突然、真っ暗になった車内でオレは驚くほかない。
『展開完了───、カウントダウン開始25.24...』
「オイ!今度は一体何のマネ───」
「真。時間がない、そのまま聞け。」
「なっ、馴れ馴れしくオレの名を───」
『20.19.18....』
「黙って聞け!」
「いいか、ロイを信用するな!」
「その眷属もだ!」
「奴の読心術。」
「彼女の、時の果てまで見通す目は驚異だ。」
「待て!なんの───」
ダニエルはオレの疑問に構わず続ける。
「だが学ぶべき師としては」
「彼を置いて他にない」
「たとえ世界中探してもだ。」
「彼に付き従い、そのまま励め。」
「気取られぬよう気をつけろ。」
『10.9.8───』
「それと私は───」
その瞬間、ダニエルは助手席のオレの方へ体をのり出し
オレの頬に手を当てた。
一体なに───を
「私はずっと───」
「ずっとお前を───」
唐突な展開に頭の中が真っ白になる。
『モードサイレンス解除まで5.4.3』
「お前達を見ていた。」
「忘れるな、お前は───」
『2.1』
「───ひとりじゃない。」
『..0 モードサイレンス解除します。』
次の瞬間には黒く染まった窓は再び戻り、昼下がりの西日が
車内を明るく照らす。その眩しさにオレは思わず片目を閉じた。
暗い車内で突然オレの頬に手を当てたダニエル。
西日に照らされ、顕になったその顔は、目を細めまるで
我が子を見るような顔つきだった。
『ご利用、ありがとうございましたー。』
『じゃ、まったにゃー』
その電子声は次第に姐さんの声へと変わり
お別れを言ったかと思うと、ポンと弾ける音と共に
少量の煙がネコ型のボタンから上がる。
「おい!今の話───」
『シー・・・』
彼は人差し指を口へ当てる。
そうしながらダニエルは、オレの頬に当てた手をそのまま頭に
静かにオレの頭の上でポンポンと弾ませた。
「力み過ぎだ───馬鹿者。」
そう言う彼の顔は、再びいつもの朴念仁へと戻っていった。
その後、沈黙が続く車内。
オレは奴の言った話を何処まで信じていいか
正直、迷っていた。ロイ先生を信用するな───か。
あれだけ常識的な理論を元に、正義とは何かをオレに説いた彼を
信用するなと?
オレに迫る追手を、見たこともない武器で退けた彼女も
信用するなと?
語った隣のこの男は、同じ組織内で先生たちと対峙している
ってことなのか?
CASINOも一枚岩じゃない。ロイはたしかにそう語った。
それはダニエルとロイも同じ側じゃない、そういうことなのか?
それもあるが、奴が語ったオレを見ていたとは?
何時からの話だ? それに確か俺達を見ていたとも言った。
オレと誰のことを言ってるんだ?
数日前からオレのHPとMPは疲弊しきっている。
こんな精神状態じゃ正しい判断なんか出来やしない。
結局、どれだけ考えても答えなんて出なかった。
ココ数日、辛いことがあるたびオレは
スマホを開くのがすっかり癖になっちまっていた。
スマートフォンを取り出すと、そこには茜と咲夜。
そしてオレの顔が映る。
それを見た瞬間、オレはハッとした。
二人の記憶を奪ったのはダニエルではなく
ロイなのじゃないかと───
「小僧、出てきたぞ」
そう言うと、ダニエルは顎でその方向を指示した。
「───あ、茜!」
茜は小走りで病院の敷地から出てくると
トートを胸に抱きながら、左右に視線を走らせていた。
「なにかを探してる?」
「あぁ、おそらく小僧をな。」
「はぁ?でも茜はオレの記憶を───」
「奪った。消した。」
「そう言いたいのだろう?」
「あ、あぁ」
「だがそうではない。」
「事件前後の記憶を覆ったに過ぎない。」
「こっちへくる、姿勢を低くしろ小僧。」
「今、小僧と彼女が顔を合わせるのは不都合だ」
そう言われ、オレは車内で伏せるように身を隠した。
覆う?奪うでは───なく?
「もういいぞ。」
茜はオレが目指したバス停でバスを待っている。
下を向いたまま───。同じくバスを待つ人達が、
茜を気にかけ声をかけているようだ。
そんな光景をオレは、今すぐ車を飛び出して
その手を取り安心させてやりたい、そんな気持ちで
いっぱいだった。
「彼女らから小僧の記憶を消したかったのではない。」
「事件の記憶を覆ったのだ。」
事件。あの花火の夜のことか。
「事件の前後、数時間分の記憶を覆い隠した」
「連中の準備したカバーストーリーに沿う記憶で。」
「なっ!敵の策に乗ったってことじゃないか!」
「まぁ聞け」
「小僧、お前があれだけ取り乱したのだ。」
「自分を狙った銃弾に妹が倒れた」
「そんな事実を真に受けたら、彼女はどうなる。」
その言葉に、オレは何度と無くオレを襲った頭痛。
あの日の夜のことを改めて思い出した。
確かに、オレも少なからず心に傷を受けている。
これが茜の立場だったなら───
姉を狙う連中の存在を自覚した上で自分が撃たれた
咲夜の立場だったなら───
二人があの日の記憶を持ったままなら───
オレのような頭痛だけじゃ済まないかもしれない。
「仮に、彼女達が、以前から小僧を知っていたなら。」
「オレを忘れることは無かった。」
「そう言いたいのか?」
「然り。」
「───なら、この咲夜からの連続着信は」
「どういうことなんだ?」
オレは手にするラチェット特製のスマホの画面に
咲夜からの着信履歴を開いてダニエルに見せながら問う。
「彼女はあの夜から術前まで意識を失っていた。」
「そのため手術の際、同時並行で事件の記憶を」
「茜と同様のカバーストーリーで覆った。」
「故に術前。」
「意識が戻ってすぐに小僧に連絡を試みたのだろう。」
あの夜、何処かで壊したのか、オレのスマホは破損していた。
翌、昼過ぎに代替え機を手に入れてから、咲夜に連絡した時
つながらなかったのはやっぱり手術中だったから───か。
確かに。筋は通ってる。
「彼女が移動する、出すぞ小僧。」
ダニエルが再びV12エンジンに火を入れ、茜が乗るバスを
数台後ろから追う。
「エレベータ内で私は小僧に聞いたな」
「何処へ行くと。」
「あぁ」
「結果。」
「あぁ?」
「二人は小僧を思い出し始めている。」
「もしくは思い出した。」
「あぁ」
「それが引き金となり、事件の記憶まで蘇る結果へ至れば」
「小僧、後は」
「想像つくな?」
「───あぁ」
「私がこうして彼女を守るに当たり」
「彼女達に直接コンタクトしないのは───」
「そういった危険を避けるため。」
「そういう意味もある。」
「───待てよ!それじゃ茜はアンタの事を」
「あぁ、知らない。」
「19年間、ずっとそうしてきた」
「それは、これからも変わらぬ。」
「それじゃつまり、さっきの───お前達って」
ダニエルはうなずきながら人差し指を口に当てた。
「だが───真。」
「お前は違う。」
「彼女達の記憶にすでに生きている。」
「事件、つまり事象や出来事を覆うのは容易い。」
「だが、心に住む人の記憶を覆うのは」
「現実的ではない。」
「・・・・・・・・」
「何故か。」
「心に住まう人の記憶には必ず感情が伴う。」
「同情、友情、愛情」
「それを覆うということは」
「感情を失うということになる。」
「真、故にお前は」
「彼女達を最も近い場所から守ることが出来る。」
「処置など、行わないに越したことはない」
「お前は、お前にしか出来ない仕事をしろ」
一通り語り終えたダニエルはオレに掴まれ
型くずれしたジャケットより、真っ黒いタバコの包みを取り出すと
手慣れた手付きで口に咥え火を灯した。
「覆い隠された記憶」
「彼女達がお前を忘れているなら。」
「もう一度始めからやり直せばいい。」
「小僧、お前は誰が止めようがまた見舞いに赴く。」
「違うか?」
口元より細い紫煙を紡ぎ出しながら彼はそういった。
「あぁ。そのつもりでいた。だがいいのか?」
「結果。」
「最良ではないが最悪には至らなかった。」
「私はもう止める理由がない。」
そう言うと、とあるバス停の手前で車を止めた。
「この先、坂の上が茜と咲夜の自宅だ」
「ココでいいのか? 最後まで見届けなくても。」
「あぁ、彼女の家に協力者が居る。」
「通常時、守護は彼らの担当だ」
「ハァ?茜の家にエージェントが同居してるのか?」
家族以外の人間が同居してるって、そんな非日常が
彼女達の日常とでも言うのか?
「まさか、二人の両親が───」
「エージェントだって言うんじゃ無いだろうな?」
「つまり茜達の両親がCASINOの関係者だって」
「然り。」
そうオレがダニエルに疑問を投げた瞬間、彼は目元をスッと細め
悔しさとも悲しさとも取れるような顔を一瞬した。
「小僧。」
「何故茜だけを私が守護するか。」
「以前お前は私に聞いたな?」
あぁ、前々から気には成ってた、ただそれを聞いたからって
咲夜を守らないってんなら。聞かなくてもいい話としてオレは
頭の隅に追いやっていたんだ。でも何故今その話を始めた?
「能力者たる茜。」
「故に私達が全力で守護する。」
はぁ!?茜が能力者───だと?
だからCASINOは茜達に接触してるってわけか。
ってことは咲夜も───
「家庭内では彼ら───」
「咲夜の両親が監視と守護を務める。」
「危機的状況や敵の排除が必要な切迫した状況」
「それに対処するのが私の務めだ。」
「茜達の両親がアンタ等のお仲間だってんなら、何故我が子───
妹の咲夜も守らないんだ!」
「おかしいだろそんなの!。」
オレはまさかとは思うが、家庭内で咲夜が虐げられていたり
するんじゃないか? そんな心配をしたが、ダニエルはそれを
覆すような事を言い出した。
「咲夜は能力者ではない。」
「故に───我々は彼女の危機を救えない。」
「茜と咲夜。彼女達の血は───繋がっていない。」
彼はそう語りながら、すっかり短くなったタバコを灰皿へともみ消した。




