2-1 三話 秋宵の逃亡者 1
相馬は逃れていた
退屈な仕事と平凡な毎日から
相馬は逃れていた
蛇のように絡みつくウエーブの掛かった髪をした少女から
相馬は逃れていた
身も凍るような、自身にせまる黒い謀略から
1999年 9月中旬 東京都目黒区碑文谷付近
桜田門の本家より借用した車両を新宿、三茶と追手を祓う様、遠回り
しながら二度乗り換え、今回の荷物が保管されている教会近くに着く。
車内で予定の時間を待つ間オレは、すっかり温くなった飲みかけの缶
コーヒーをすする。もうじき10月だと言うのに、殺人的な輝きを湛える
太陽に、エンジンを止めた車内の温度がみるみる上昇する。
警察関係者の慣習に習い、人目につかない人混みに紛れるための都市迷彩
である有り体な普通のスーツは、コンシールドキャリーとはいえ、おおよそ
普通のサラリーマンが持たないであろう道具を携帯する事情ゆえ、暑いから
と言っておいそれと上着を脱ぐわけにも行かず、こういう時期にはかえって
逆に目立つような気がする。ようするに、工夫虚しく、無駄に暑苦しいだけ
のカッコウだ。
「しっかし、今回のお仕事はやけに乗り気っすね、センパイ」
「ウッセ!」
同じようなスーツ姿の生意気な相棒が、うちわ代わりに扇いでいたバインダを
奪い取る。今回の荷物、つまり要人護送における要人のデータが記された資料。
紛失や流出の許されない類のその資料は、資料的価値の殆ど無い程、意図的に
情報劣化が施されていた。概要にすぎない内容、しかもその殆どが黒線で隠され
見事なまでのシマウマだ。
資料をペラペラと捲りながら添付された写真に目がとまる。しかし───
「美人サンっすよね」
「あぁ───。」
添付された写真を手に取る。
写真越しでもわかる透けるような肌、甘い香りさえ感じる栗色の髪、弾ける
ような笑顔、仕事に私情を持ち込まない(ように心がけている)主義では
あるが、不覚にもオレは───
「惚れましたか? そ・う・ま・セ・ン・パ・イ」
「ウッセ!」
手にしているバインダで生意気な相棒の頭をはたく
「如月、経路の選定は───」
「済んでるっす。」
「無いとは思うが退路の確保」
「3ルート用意してるっす。」
「最終到達ポイント」
「ポイントゴルフ、把握してるっすよ。」
「ふーん、珍しく予習済みじゃねーか?惚れてんのはオマエの方なんじゃ
ねーか?」
如月をからかいながら袖口をまくり時計に目をやる、如月もそれまで緩んでいた
顔をスッと引き締め、オレに習うかのように自身の腕時計に視線を落とした。
「時刻合わせ、いくぞ、サン、フタ、ヒト、今」
「自衛隊みたいっすね」
「───ウッセ」
いつもの退屈な仕事、諜報関係のくせにこの手の要人輸送はいつもウチに
お鉢が回ってくる。というかオレに───か。
理由は簡単だ、オレの性能をお上が理解しているからだろう、どんな最悪な
状況でも確実に生き残ってしまう呪われた血統───か。
「センパイ?こえー顔になってるっすよ、そんな顔じゃ
お嬢さんビビっちゃうっすよ」
写真を指差し如月が言う
「ウッセ、さあ行くぞ───」
教会から人影が出てきたのを確認するとオレたちは車を降りた。
秋口に似つかわしくない日差しが降り注ぐ中、教会より現れた人影。
連れの男達に肩を支えられ、俯向くように彼女は現れた。
「時間通りですね、それでは頼みます。」
引き継ぎも少なく教会の男たちは言葉少なげに彼女をオレたちに託し
ひと目を気にするようにそそくさと教会内へ戻る。
「如月、車廻せ」
「了解」
彼女の肩を抱き、相棒にそう指示した。
通常、こういった任務では移動手段を悟られないように少し離れた場所に
車を停め、車両まで徒歩移動するのだがこの状況ではかえってそのほうが
目立ってしまう。しかし───まるで別人のようだ。
憔悴しきった彼女は、写真の溌溂とした美しさは無く、まるで古稀を迎えた
老婆のごとく弱々しい足取りだった。
「あの───」
支えながら歩く彼女の真一文字に閉じたその小さく弱々しい口元が開く
「車両に乗るまではどうかお静かに」
物言いたげな彼女にオレは小声でそう制する。
静かに横付けされたセダンの後席へ彼女を座らせ、オレも同じく後席へ乗り
込む。
「それでは行きます、如月」
その指示を聞いた如月は、振り返りもせず小さく頷くとゆっくり車を出した。
ただひたすらに目立たぬよう。
~~~ ~~~ ~~~
陽炎が揺らめく昼下がり、都心の住宅街を縫うように走る。
「櫻 都さん、我々が大阪の施設までお送りします。」
「───はい」
「不測の事態も予想されますので、我々の指示に従って下さい。」
「───はい」
「特に、そういった事態のときは私が手を引きますので私の近くを離れないで」
「───! ・・・はい」
「せんぱーい、硬いっすよ!、車に乗り込んだらもういいじゃないっすか」
「あぁ───そうだな」
バックミラーの角度を変えながら言う如月のその言葉に、肩に入る力が
少し抜ける。
「如月、どうか?」
「大丈夫そうっす。」
場数を踏んだ必要最低限のやり取りで追跡されている様子がないのを確認すると
それまで前かがみ気味に浅く腰掛けた姿勢をやめ、どっかり深く腰掛けなおす。
「ふぅ───、とまぁ少々長い車旅になるので、気楽に、ね」
「───はい」
「こんな不真面目なセンパイっすけどー、イザと成ったら結構頼りになるんで
安心して下さいっす」
「ウッセ!」
運転席を後ろから蹴り込む
「・・・・」
如月とのこの手のやり取りで、大抵のお客さんは安堵の表情をするのだけど───、彼女は変わらずその小さな唇を真一文字に結び
うつむき加減に佇んでいた。
彼女に何が有ったのか、また送った先でこれから何があるのかオレは
知らない。また知る必要もない、いつもなら───。
しかし彼女のその憂いな表情を伺うと、それまで頑なに演じてきたプロとしての
立ち振舞を投げ捨てて、ただ一途に目の前の女を守りたくなる。
日が傾ききった頃、神奈川との県境に差し掛かる。
川沿いの道を走りながら、彼女は朱に染まりつつある土手を見つめていた。
その憂いな横顔にオレはどこか一流画家の絵画でも見るように、言いしれぬ
美しさに見惚れていた。
「センパイ、そろそろポイントっす」
「あ・・・あぁ、了解。都さん、もうじき車を変えます。忘れ物しないように」
「───はい」
如月の言葉が現実に俺を引き戻した。
追跡を警戒し都内の住宅街を縫うように走り続け、神奈川県警より借用する
車両へ乗り換えるため、予定された合流ポイントである橋の下へ向かう。
「乗り換えた車両に簡単だけど食事の用意があるので、食事したら少し眠って」
「───はい」
「その時はセンパイ、俺代わりますので運転お願いします。」
「如月、オマエから運転技術とったら何が残る?黙って運転してろ」
「チェ!こと美人さん絡みになると一段とキッツイっすねセンパイ」
国道246で多摩川を越え神奈川県側、川沿いの緑地にたどり着く頃
周囲はそれまでの暑さを忘れ、冬に向かって駆け下りるような速さで薄暗く
なり、虫の音と共に秋の宵を迎える。
街灯が点在する緑地を利用したバーベキュー場、その駐車場に車が用意されて
いた。
用意されたその車を調べる為、如月が車を降りる。
同時にオレはゆっくり後席から降りると、意図的に開け放たれた運転席
側のドアより乗り込み、即座に施錠した。
如月が片手をジャケットのポケットに突っ込み、用意された車をぐるりと
回るのをハンドル越しに見ていると、とっさにジャケットを翻して
如月が腰から拳銃を抜いた。
「センパイッ!!」
その言葉におもむろにキーを捻り、Dレンジにシフトを叩き込むと
手慣れたモーションで橋げたの方へ照準した如月を遮る様に、標的との
間に車を滑り込ませる。
「如月ィ!乗れッ───」
そう言ったのも束の間、左前方に閃光が上がり、車体が非常識な衝撃に
揺れる。
「───ッ!!」
「キャァ!!」
側面からの衝撃に前輪が弾け飛ぶのが見えた、RPG?グレネード!?
こんな町中で・・・
「都ッ!頭下げて!!」
「は・・・ハイ!」
爆発で傾いた車に如月が身を隠す。オレはその横に姿勢低く降りると
後席の扉を少し開いて頭を抱え震える都にそっと語りかけた。
「安心して都、オレの手離さないで」
「───っ!えっ・・・は、はい」
都にそう伝えながら彼女の手首を掴む。
「如月ッ! 数は!?」
「よくわからないッス!」
「ツーマンセル、ツーユニット!」
「───いやスリーユニットかも!」
「チッ!」
最悪だ、このままじゃ完全に囲まれる。
都を車から下ろしかばうように抱きながら如月へ目配せする。
小さく頷く如月が車の陰から乗り出し牽制の為に発砲する。
この状況じゃ用意された方の車もダメだろうな───。
非日常な光景のその上を、日常を象徴するように人々を乗せた列車が走る。
「センパイッ!行って下さい!!」
「合流ポイントで待つ、如月ッ切り抜けろよ!」
そう言うと都の手を引き土手を目指して走る
「あのっ!如月さんは!?」
「心配しないで、ああ見えてかなり修羅場潜ってるんで、
ともかく今は急ぎます。」
緑地のベンチや遊具を飛び石のように盾にして土手下へたどり着く。
ここまでは来たが土手を登るには遮蔽物が無く危険だ───。
車の方をオレが見ると、それを如月が察したかのように助手席下から
9㍉機関けん銃を取り出し、再び身を乗り出して発砲する。
囮を演じた如月に呼応するようにオレは彼女を連れ一気に土手を駆け上がる。
土手沿いに走る側道は車通りも多く、駅よりほど近いこの場所は人通りも
それなりに多い。ともすれば、あちらさんも大胆な行動は取り辛いだろう。
振り返りもせず、かと言って駆けること無く早足で歩く。
「相馬さん・・・」
「想定内です、大丈夫オレにまかせて。」
側道を走る車の影を盾にしつつ路地へ入る。
マンション脇に駐車されていた数台の車の中で、最も背の低い車を拝借する。
助手席を倒して寝かせるように都を座らせ、スマートキーをハッキングして
オレたちはその場を後にした。




