6話 兆し
翌朝、窓の外から幾重にも重なる鋭く乾いた鳥のさえずりが聞こえ、リラは目を覚ました。
髪を払いながら身を起こすと、ベッドの足元では、ルナがじっと窓を見つめていた。
「おはよう、ルナ。鳥の声で目が覚めちゃった。今日はずいぶん多いね」
リラがベッドを降りて窓へ向かうと、ルナも床へ飛び降り、そのあとをついてきた。
掛け金へ手を伸ばした瞬間、ルナは素早く窓辺へ飛び乗り、小さな前脚でその手を押さえた。
「ルナ?」
問いかけても、ルナは窓の外を見つめたまま答えなかった。
そのとき、頭上から鋭く息を吐く音が聞こえた。
見上げると、天井の梁ではテトが耳を伏せて背を丸め、牙を覗かせながら窓の外を威嚇していた。
二匹の張り詰めた様子に、リラは掛け金からそっと手を離した。
居間へ降りると、レオが玄関の扉の前に座り込んでいた。
「おはよう、リラ。今日は外に出ないほうが良さそうだぜ」
レオはいつもの軽快な口調を潜め、低い声で言った。
台所からはセナが野菜を洗う水音が響き、トウカは暖炉の火をいつもより強くしていた。
ぱちぱちと大きく爆ぜる炎の音が、外からの刺々しい羽音をかき消すように家中に満ちていた。
そして、閉ざされた勝手口の脇で、床に落ちた影がかすかに揺れた。
そこからネロが音もなく姿を現した瞬間、リラは息を呑んだ。
いつもは艶やかに整っている漆黒の毛並みがところどころ乱れ、金色の瞳には深い疲労が滲んでいた。
「おはようございます、リラ様」
ネロはいつものように恭しく頭を下げ、微笑を浮かべていた。
だが、その足元がわずかに震えるのをリラは見逃さなかった。
「ネロ、無理しないで。何かあったの?」
「いえ。ご心配には及びません」
リラが差し出した手を避けるようにして、ネロは奥の部屋へと下がっていった。
朝食の席に重い沈黙が落ちる中、リラの隣に座っていたルナが静かに口を開いた。
「リラ、今日は家の中で過ごそう。昨日の疲れも残っているだろうし、無理に外へ出ることはないよ」
何が起きているのかは分からなかったが、皆の様子から今日は外へ出るべきでないと察し、リラは頷いた。
「わかった。それなら今日は、備蓄の整理をしようかな。ノエル、手伝ってくれる?」
「喜んで。ちょうど、薬草の残りも確認したかったところだったんだ」
ノエルは穏やかに尻尾を揺らし、リラの足元にそっと寄り添った。
暖炉のある居間の奥には、薪や常備薬、食料を収めた物置があった。
ノエルと整理を進めながら窓の外へ目をやると、木々には朝よりも多くの鳥が止まっていた。
餌を啄むでもなく、ただ枝の上でじっとしており、目を離すたびに数を増しているようだった。
「ねえ、ルナ。どうしてこんなに鳥が集まってるの?」
ルナは窓の外を見つめたまま、わずかに間を置いた。
「昨日、町で見たものを聞きつけて、確かめに来たのかもしれないね」
「私たちのことを?」
「おそらくはね。でも、家の中にいれば大丈夫だよ。今日は窓も扉も開けないようにしよう」
リラは小さく頷き、ノエルと備蓄の整理を再開した。
夕暮れが近づく頃には、朝から絶え間なく続いていた鳥の声も聞こえなくなっていた。
居間ではトウカの炎が穏やかに揺れ、そのぬくもりに包まれているうちに、朝から張り詰めていた空気も少しずつほどけていった。
台所からはセナの煮込むスープの柔らかな香りが漂い、窓の外へ向けられていた意識も、いつしか薄れていた。
リラとノエルは暖炉の傍で、保存用の薬草を仕分け直していた。
トウカは炭をひとつ浮かせ、穏やかに揺れる炎へ加えようとしていた。
レオとテトもリラの近くで丸くなり、うつらうつらとまどろんでいた。
ふと窓の外へ目をやると、軒下の干し場に薬草が一束だけ残っていた。
「あ、干してあった分を忘れてたね。あれも仕分けないと」
リラは立ち上がって窓辺へ寄り、掛け金に指をかけた。
「リラ、待って!」
ノエルの声が飛んだが、そのときにはもう窓を押し開けていた。
背後で、硬いものの砕ける乾いた音が響いた。
トウカが浮かせていた炭が暖炉前の石床へ落ち、黒い欠片を散らしていた。
開いた窓から冷たい空気が流れ込み、庭は風の音さえ遠のいたように静まり返っていた。
リラは戸惑いながらも、すぐに取り込んでしまおうと軒下の薬草へ手を伸ばした。指先が束に触れた瞬間、庭の奥から鋭い視線が突き刺さった。
木立の隙間から伸びた低い枝に、一羽の鳥が止まっていた。
鳴きもせず、黒い瞳を真っ直ぐリラへ向け、目が合っても逃げようとはしなかった。
心臓が大きく跳ねた。
「……っ」
リラは薬草を掴んだまま室内へ引き込み、急いで窓を閉めると、震える指先で掛け金を戻した。
振り返ると、ノエルが窓のすぐそばまで駆け寄っていた。
足元には仕分けていた薬草が散らばり、その隣ではルナが閉ざされた窓を見上げ、外の気配を探るように耳を澄ませていた。
暖炉の傍で丸くなっていたレオとテトもすでに背を低くし、窓の方角へ耳を向けていた。
セナは鍋へお玉を差し入れたまま動きを止め、トウカも砕けた炭には目もくれず、瞳孔を大きく開いたままリラを見つめていた。
先ほどまで部屋を満たしていた温かな空気は、一瞬ですっかり凍りついていた。
「ごめん。窓も開けちゃだめって言われてたのに……」
誰もリラを責めなかったが、その沈黙がかえって不安を募らせた。
リラは閉ざした窓へ目をやり、ためらいながら続けた。
「……目が合ったの。何の鳥か分からなかったけど」
冷たい緊張が部屋へ広がる中、家の奥からネロが音もなく歩み寄った。
「大丈夫でございます、リラ様。どうか、ゆっくり息を」
ネロの穏やかな声に合わせ、リラはゆっくりと息を吐いた。
そのとき、閉ざした窓硝子の向こうを、翼の影が音もなく横切った。




