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白銀のリラ~猫に選ばれた王女~  作者: 鈴白澪
第1章 深翠の森
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5話 証

 町を飛び出してからも、リラは足を止めなかった。

 森へ続く街道を駆ける間、レオは何度も背後を振り返り、鞄の中のルナも身を固くしたままだった。

 二匹の張り詰めた様子に急かされるように、リラは息を切らしながら走り続けた。服の外へ引き出したままの猫紋の指輪が、胸元で激しく跳ねていた。


 森の境までたどり着くと、木々の間からノエルとテトが飛び出してきた。息を切らしたリラの姿を見るなり、ノエルが金緑色の瞳を見開いた。


「リラ! フードを被って!」


 普段の穏やかさを失った声に押され、リラは肩へ落ちていたフードを慌てて引き上げ、乱れた髪を内側へ押し込んだ。


 リラたちが足を止めると、テトが周囲を見回しながら尋ねた。


「町で何かあったの?」

「路地で妙なもんに出くわした。空中に切れ目が入って、そこから白い何かが出てきやがったんだ」

「白いもの?」

「よくわからねぇ。オレの攻撃が効かなかった。それと……屋根の上に鳥が一羽いたな」


 その一言に、ルナが鞄から顔を出した。


「その鳥はこちらを見ていたのかい?」

「ああ。こっちを見てたな。すぐに鳴きながら飛んでいったぜ」


 ノエルは、被り直したばかりのリラのフードへ目を向けた。


「もしかして、そのフード、町で外れたの?」


 リラはフードの縁に触れ、曖昧に首を傾げた。


「そうかも……いつ外れたんだろう」


 レオはしばらく考えたあと、リラの胸元で揺れる指輪へ目を落とした。


「指輪を出したあたりじゃねぇかな。鳥が鳴いたのは、そのあとだった」


 ノエルが耳を伏せ、テトも枝葉の隙間から空を仰いだ。

 その反応に、リラの胸がざわついた。


「私の髪を見られると、そんなに困るの?」


 誰も答えなかった。

 テトは周囲へ視線を巡らせたまま、ノエルへ低い声で告げた。


「……鳥はおしゃべりだから、早くしないとまずいかも」

「そうだね。のんびりしていられない。今日は空から見つかりにくい道を使おう」


 ノエルが森の奥へ体を向けると、テトも近くの木を駆け上がった。


「ごめん、リラ。今はまだ話せないんだ」


 鞄の中からリラを見上げていたルナは、続いて胸元の指輪へ目を向けた。


「その指輪もしまって、早く家へ帰ろうか」


 リラは服の上で揺れていた指輪を手に取った。

 あれほど刺すようだった冷たさは、いつの間にか消えていた。

 紐ごと服の内側へしまうと、森の奥へ進んでいくノエルたちのあとを急いで追った。



 家に戻った頃には、空は深い群青色に染まっていた。

 重なり合う木々の隙間から、見慣れた我が家の窓明かりが漏れていた。

 玄関の扉を開けると、暖炉の熱が冷えた頬を柔らかく包んだ。


「おかえり! 待ちくたびれたよ!」


 赤褐色の小さな影が、居間の奥から弾むように駆けてきた。

 トウカが近づくにつれてあたりの空気がふわりと温まり、暖炉の炎もリラを迎えるように大きく揺らめいた。


「ただいま、トウカ」


 リラはいつもどおり笑ったつもりだったが、声はわずかに掠れていた。

 トウカはその場で足を止め、首を傾げてリラの顔を見上げた。


「……リラ、大丈夫?」

「うん。少し走って疲れただけ」


 そう答えて背中の籠を下ろすと、奥の台所からセナが姿を見せた。

 リラの顔をひと目見て、金色の瞳を曇らせた。


「顔色が悪いわ」

「リラ様、まずは暖炉のそばでお休みくださいませ」


 玄関脇に控えていたネロの言葉に従い、リラは厚手の絨毯へ腰を下ろした。

 肩から外した鞄を足元へ置くと、ルナが中から静かに抜け出し、リラの隣へ腰を下ろした。

 ネロも近くに座り、長い尻尾を軽くひと振りすると、湯気を立てるポットとカップが台所からふわりと浮かび上がり、暖炉の前まで運ばれてきた。

 リラの前にカップが置かれると、宙に浮かんだポットが静かに傾き、香りのよい茶が注がれた。


「銀鈴草を煎じたものでございます。どうぞ、ゆっくりお召し上がりくださいませ」

「ありがとう、ネロ」


 リラは温かなカップを両手で包み、ゆっくりと一口含んだ。

 銀鈴草のほのかな苦みが舌に残る頃には、胸の奥に張りついていた強張りも少しずつ和らいでいた。


 カップを手にしたまま暖炉へ目を向けると、橙色の炎が穏やかに揺れていた。

 いつの間にか、その周りには皆が集まっていた。

 見慣れた顔に囲まれ、乱れていた呼吸が整っていくにつれて、ようやく家へ帰ってきたのだという実感が胸に広がった。


「あ、そうだ。みんなに見せたいものがあるの」


 リラはカップを置き、足元の鞄から小さな紙包みを取り出した。

 包みを開くと、深い青緑と紺色の糸に、微細な魔石を編み込んだ飾りが現れた。

 大きさはそれぞれ違っていたが、草花の冠を思わせる編み模様はすべて同じだった。


「みんなにお揃いでと思って、それぞれの大きさに合わせてもらったの。つけてみてもいい?」


 一番に身を乗り出したテトの首へ細い飾りを結ぶと、彼女は自分の首元を確かめようと何度も体を捻った。


「似合う?」

「テト、めっちゃ似合ってるよ! ぼくもつけて! 早く!」


 トウカが隣へ飛び込み、期待に満ちた琥珀色の瞳でリラを見上げた。

 首元へ飾りを結ぶと、テトと並んで互いの姿を見比べ、楽しげに声を弾ませた。


「トウカも似合ってるよ!」

「セナも早くつけてもらおうよ!」


 二匹に急かされ、セナもリラの前へ歩み寄った。

 続いてノエル、ネロ、レオの首元にも同じ色の飾りを結んでいくと、暖炉の前が少しずつ華やいでいった。


「僕にもつけてよ」


 足元から声がして視線を向けると、ルナがリラを見上げていた。


「もちろん。ルナのが一番小さいよ」


 リラはルナを抱き上げ、真っ白な首元へ一番短い飾りを結んだ。

 ルナはくすぐったそうに首を振ったものの、すぐに胸を張って皆を見回した。


 最後にリラが自分用の長い編み紐を左手首へ二重に巻いて結ぶと、トウカとテトがすぐに左右から覗き込んできた。

 セナも傍へ寄り、三匹は互いの飾りを見比べながら楽しげに声を交わし始めた。


 その賑やかな様子を眺めているうちに、リラの頬にも自然と笑みが浮かんだ。


「これで、みんなお揃いね。家族の証よ」


 深い青緑と紺色の編み紐が、暖炉の明かりを受けて細かにきらめいていた。


「あっ、いつものお土産もあるよ。籠の中に入っているから、みんなで見てきて」


 リラが籠を指差すと、トウカとテトを先頭に、皆がその周りへ集まった。

 気づけば、暖炉の前にはリラとルナだけが残っていた。


 籠の周りでは、土産を見つけた皆の弾む声が上がっていた。

 リラはその声を聞きながら、手首の編み紐へそっと指を滑らせた。

 隣にいたルナが、リラを見上げた。

 

「リラ。あのとき、どうして立ち止まったんだい?」


 リラはしばらく炎を見つめたあと、膝の上で両手を重ねた。


「……声が聞こえたの」

「声?」

「最初は何を言っているのかわからなかった。でも、逃げるときにはっきり聞こえたの。どこへいけばいいの、って」


 暖炉の中で薪が爆ぜ、小さな火の粉が舞い上がった。


「あの白いものから聞こえたのかい?」

「わからない。でも、とても苦しそうだった」


 ルナは炎へ目を向けたまま、しばらく口を閉ざしていた。


「次に同じものを見ても、すぐに離れるんだ」


 普段より硬い声に、リラは思わずルナへ顔を向けた。


「でも、あの声は助けを求めていたのかもしれない」

「それでもだ。何なのかわからないうちは、触れてはいけない」


 リラは返事をせず、暖炉の炎へ目を戻した。



 路地で聞いたあの声にも、こうして戻れる場所があるのだろうか。

 橙色の炎が静かに揺れる中、苦しげな囁きだけは、いつまでも耳から離れなかった。

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