4話 視線
レオが町へ足を踏み入れた途端、周囲のざわめきがふっと途切れた。
行き交っていた人々が次々と足を止め、子どもは不安そうに親の袖を引いた。
荷車の傍らにいた商人も、レオの姿に目を見開いた。
「おい、あれを見ろよ」
「嘘だろ。いや、でもあの模様は……」
信じられないものを見るような視線が、リラの隣を歩くレオへ集まっていった。
レオはリラより一歩前に出て、長い尾を高く掲げながら、金色の瞳で周囲へ鋭く目を配っていた。
人々の傍らにいる生物たちも、リラたちの姿を見た途端、怯えたように鳴き声を上げ、主の背後へ身を隠した。
「レオ、みんなびっくりしてるみたいだよ? 少しだけ、怖がらせないように歩ける?」
リラが困惑しながら小声で尋ねると、レオは正面を見据えたまま、低く落ち着いた声で応じた。
「オレは何もしてないぜ。けど、ここの奴らはオレたちに慣れてねぇんだよ。普通に歩いてるだけなのに、あいつらビビってやがる」
「え? どうして?」
リラが問いかけても、レオは前を向いたまま答えなかった。
鞄の中のルナも沈黙したまま身じろぎし、肩に掛かる重みがわずかに増した。
人々の視線から逃れるように町を急ぎ足で進み、リラは一軒の古びた店の扉を開けた。
真鍮の鈴がカランカランと乾いた音を立て、薄暗い店内へ響き渡った。
店内には、使い込まれた魔道具や衣類が所狭しと並んでいた。
奥の棚では、青や深緑、濁った灰色の液体を満たした硝子瓶が淡く光っていた。
「こんにちは、お久しぶりです。これ、買い取ってもらえますか?」
リラはノエルが町での交換用に分けてくれた月見草の布袋を差し出した。
カウンターの奥では、初老の店主が椅子に腰掛けており、その足元には艶やかな漆黒の毛並みを持つ大きな犬が静かに伏せていた。
「おお、リラちゃんか。ほう、相変わらず見事な薬草だな……って、うわあッ!」
店主はリラの隣に立つレオを見た途端、椅子ごと大きく仰け反った。
その足元では、黒い犬もびくりと身を強張らせた。
すぐに耳を後ろへ伏せ、リラがこれまで見たこともないほど身を低くすると、警戒するようにリラたちから目を離さなかった。
「な、なんだその……豹か? いや、違うな……」
「猫ですよ。ちょっと大きいですけど」
リラが笑ってレオの背中を軽く叩くと、レオは「フン、よろしくな」と短く鼻を鳴らした。
「猫? おいおい、猫を連れてる奴なんざ聞いたこたぁねぇよ……」
「猫を連れている人って、珍しいんですか?」
リラが首を傾げると、店主は答えず、月見草の袋へ視線を落とした。
よろず屋で受け取った代金を手に、リラは町の店を回って調味料や常備薬を補充し、家族への土産も買い集めた。
けれど、どの店でもレオを見た者は最初の店主と同じような反応を示し、彼らの傍らにいた生物たちも体を震わせ、リラたちから顔を背けた。
すべての用事を済ませて最後の店を出る頃には、傾いた太陽が行き交う人々の影を長く伸ばしていた。
「これでみんなにお土産が買えたね」
「おう。あいつら喜ぶぞー! さっさと帰ろうぜ」
レオはふっと表情を緩めると、リラと共に歩き出した。
「ちょっと時間かかっちゃったね。近道しよう。こっちだよ」
リラは大通りを外れ、細い路地へ入った。そこを抜ければ、森へ続く街道に出られるはずだった。
路地の半ばまで進んだところで、周囲の空気がふいに重くなった。
森で感じたものとは違い、すぐ近くに何かが潜み、こちらへ近づこうとしているような気配がした。
「リラ」
鞄の中から届いたルナの声は、鋭く張り詰めていた。
リラが足を止めて周囲を見渡すと、誰もいない路地の奥で、空間に縦一筋の切れ目が走っていた。
その境を挟み、建物の壁も石畳も、片側の景色だけがわずかに上へずれて噛み合わなくなっていた。
レオも異変に気づき、リラの前へ出て低く身を伏せた。
「おい……なんだよ、あれ。景色が噛み合ってねぇぞ」
レオの声が途切れた直後、どこからともなく囁きのような音が頭の奥へ流れ込み、言葉は聞き取れないまま、ひどく苦しげな響きだけが胸に残った。
それに呼応するように景色を隔てていた切れ目がわずかに開き、首から下げた猫紋の指輪が急速に冷えていった。
「冷たっ!」
リラは思わず胸元を押さえたが、服越しにも冷たさは増すばかりだった。
震える指で紐をたぐり、指輪を服の外へ引き出すと、開いた切れ目から白い靄のようなものが滲み出してきた。
形を持たずに揺らめくそれは、何かに引かれるように細く伸びながら、リラの胸元へ迫ってきた。
息を呑んだリラが逃れるように後ずさると、その拍子にフードが頭から滑り落ち、白銀の髪が肩へこぼれた。
「下がれ、リラ!」
レオがすぐさま前へ飛び出し、爪先に風の魔力を集めると、唸り声とともに前脚を横薙ぎに振るった。
爪の軌跡から鋭い風の刃が放たれ、路地を走って白い靄を正面から切り裂いた。
散らされた靄は淡い粒となって宙を漂ったものの、すぐに切れ目の周囲へ集まり始めた。
リラを背後へ庇ったまま、レオが再び前脚を持ち上げ、その先へ魔力を集め始めたそのとき、頭上から鋭い鳴き声が響いた。
見上げると、屋根の縁に一羽の鳥が止まり、白銀の髪を露わにしたリラと、その前に立つレオを見下ろしていた。
鳥はもう一度けたたましい声を上げると、翼を大きく広げ、連なる屋根の向こうへ飛び去っていった。
「リラ!レオ!森まで走るんだ!」
ルナに促され、リラは路地を駆け出した。
背負った籠が激しく揺れ、鞄の中ではルナの小さな体が何度も弾んだ。
切れ目の前に残っていたレオもすぐに地を蹴り、たちまちリラへ追いつくと、その隣を離れず駆け続けた。
建物の隙間から街道が見え始めたとき、背後からかすかな声が聞こえた。
——どこへ、いけばいいの。
リラは思わず足を止め、声のした方を振り返った。
「止まるな!」
レオの声に弾かれ、リラは前へ向き直ると、声の主を確かめることもできないまま町の外へ駆け抜けた。




