33話 母
謁見を終えたリラは、セレスティーヌ王妃に招かれ、七匹とともに王城の奥へ案内されていた。
肌寒い廊下を進み、侍女が開けた扉をくぐると、ふわりと暖かな空気が頬に触れた。
高い天井の下には緑が広がり、整えられた小道の両脇には色とりどりの花が咲いていた。
歩くたび、花々の甘い香りが鼻をくすぐる。
小道の先、数段高くなった場所には、蔓の絡む鉄細工の東屋があった。
丸い屋根を覆う緑の葉の間から、ランタンの柔らかな光がこぼれていた。
その下では、セレスティーヌ王妃が茶器の並ぶ卓に着き、傍らには侍女が一人控えていた。
「リラ、こちらへいらっしゃい。急に招いてしまって、ごめんなさいね」
「いえ。お招きいただき、ありがとうございます」
リラは七匹とともに数段の階段を上がり、侍女が引いてくれた椅子に腰を下ろした。
向かい合うと、王妃が淡い金色の髪を後ろで緩やかにまとめていることに気づいた。
謁見の間で見たときよりも、柔らかな印象だった。
それでも緊張は抜けず、リラは膝の上で両手を重ねた。
「いろいろ用意させたのだけれど、好きなものはあるかしら」
卓には、色とりどりの菓子が並んでいた。
果実を飾ったものや、繊細な模様のついた焼き菓子。
どれも見たことがないほど綺麗で、リラは思わず身を乗り出しかけた。
「あの、こちらをいただいてもよろしいですか」
「もちろんよ」
リラが選んだ小さな焼き菓子を、侍女が皿に取り分けてくれた。
そっと端を齧ると、生地がさくりと崩れ、甘酸っぱい果実の味が口いっぱいに広がった。
こんなにおいしいお菓子は、初めてだった。
「……とても、おいしいです」
「よかったわ。もう少し楽にしていていいのよ」
リラは小さく頷き、焼き菓子をもう一口味わった。
勧められたお茶にも手を伸ばすと、カップから温かな香りが立ち上った。
しばらくして、王妃がカップを置いた。
リラが顔を上げると、穏やかな眼差しが向けられていた。
「あなたに、見てもらいたいものがあるの」
王妃は傍らの小卓から平たい木箱を取り上げ、侍女に渡した。
侍女がリラの前へ運び、そっと蓋を開けると、中には何通もの手紙が収められていた。
どれも少し色褪せ、折り目には擦れた跡があった。
「エステルから届いた手紙よ。最初の一通は、あなたを身ごもったかもしれないと知らせてくれたものなの」
侍女から差し出された手紙を、リラは両手で受け取った。
折り目に沿ってそっと開くと、細い文字が並んでいた。
『お姉様、月のものが遅れているのです。まだ分からないのに、もしかしたらと思うと、じっとしていられません。この子と一緒にお姉様に会いに行くことまで考えてしまって、少し気が早いでしょうか。』
リラは最後の一文を読み返した。
まだ生まれてもいない自分を連れて、母は姉を訪ねることまで考えていたのだ。
「……お母さんは、私と一緒にここへ来たかったんですね」
「ええ。私も、二人に会える日を楽しみにしていたわ」
王妃は少し間を置いた。
「けれど、その後、エステルは昔から親しかったイリス王国の王女と会ったの。その方との話をきっかけに、自分の子が予言に関わるかもしれないと考えるようになったの」
侍女が差し出した次の手紙には、女の子が生まれればフェリシテの国王に命を奪われるかもしれないという、母の不安が綴られていた。
「私は、こちらへ来るように伝えたの。でも、エステルは……」
王妃は言葉を切り、最後の一通を侍女に示した。
リラは手紙を受け取り、ゆっくりと開いた。
『お姉様、私とこの子を案じてくださって、ありがとうございます。けれど、お姉様のもとへ逃げれば、レオパルドまで争いに巻き込んでしまいます。
まだ、この子が予言の子だと決まったわけではないのです。どうか無事に生まれてきてくれますように。早くこの腕に抱いて、その顔を見たいです。』
リラは手紙を持ち直し、最後の一節をもう一度読んだ。
「私も返事を出したわ。万一のときは、国境近くで待たせている者たちを頼ってほしいと。でも、その手紙が届いたかどうかは分からないの」
王妃は静かに続けた。
「その後、王女が生まれ、母子ともに亡くなったと発表されたわ。どうしても信じられなくて、密かに調べてもらったのよ。その先は、カシウスから聞いているわね」
「……はい」
リラは頷き、手元の手紙を見つめた。
母は予言を恐れていた。
それでも、最初の手紙にも最後の手紙にも、自分に会う日を待ち望む言葉があった。
「あの……最初の手紙を、もう一度読んでもいいですか?」
「もちろんよ」
リラは最初の一通を取り上げた。
まだ自分の顔も知らない頃から、母は会える日を楽しみにしてくれていた。
「……嬉しいです。お母さんが、こんなふうに待っていてくれたなんて」
顔を上げると、王妃が静かに頷いた。
「あなたに読んでもらえて、よかったわ」
足元で白い尾が動いた。
リラが目をやると、ルナと目が合った。
手紙を卓へ置いて手を伸ばすと、白い頭がそっと掌に押しつけられた。
耳の後ろを撫でていると、ルナはいつものように目を細めた。
「この手紙、また読ませてもらえますか?」
「何度でも。ほかにも、あなたに聞いてもらいたい話があるの」
リラは嬉しくなって頷いた。
手紙を折り目に沿って畳み、侍女に渡した。
木箱に大切に収められるのを見届けてから、お茶に手を伸ばした。
そのとき、卓の下でレオの長い尾が動き、椅子の脚に触れた。
「皆も、ずいぶんお行儀よくしているのね」
王妃も卓の下へ目を向けていた。
レオは前脚を揃えて座っていたが、庭の方で葉が揺れるたび、そちらへ耳を向けていた。
「庭へ行ってもかまわないのよ。ここでは、そんなにかしこまらなくていいわ」
レオがリラを見た。
リラが頷くと、すぐに立ち上がった。
「アウレ」
王妃が呼ぶと、茂みの向こうで大きな耳が動いた。
すらりとした獣が小道へ姿を現し、こちらへ駆けてきた。
謁見の広間で、王妃の傍らにいたサーバルだった。
「この子はアウレリアンよ。アウレ、皆に庭を案内してあげて」
アウレリアンは王妃の手に鼻先を寄せてから、猫たちへ向き直った。
レオが前へ出て、大きな耳から長い脚まで、じっと見上げた。
「お前、なんかオレと似てんな」
並んでみると、毛並みの斑点や脚の長さが、確かに少し似ていた。
ただ、アウレリアンの方がひと回り大きく、耳もひときわ目立っていた。
アウレリアンが鳴くと、レオの尾が大きく揺れた。
「おう、走るのなら得意だぜ」
言い終わらないうちに、アウレリアンが身を翻した。
長い脚で小道を駆け出し、レオも慌てて後を追った。
「おい、まだだろ!」
声だけは不満そうだったが、その足取りは勢いがよかった。
テトもすぐに駆け出し、ほかの猫たちも思い思いに庭へ散っていった。
ルナだけは、リラの椅子のそばに残っていた。
リラが庭へ目を向けると、茂みの手前でアウレリアンが振り返り、追いついたレオへ前脚を伸ばした。
レオが身を低くしてかわすと、今度は横から飛びつこうとした。
アウレリアンはひらりと身をかわし、少し離れたところでまた振り向いた。
いつの間にかテトとトウカも加わり、四匹は互いを追いかけたり、前脚でじゃれ合ったりしていた。
少し離れた小道の脇では、ノエルがのんびりと腰を下ろしていた。
「森でも、あんなふうに遊んでいたの?」
「はい。誰かが走り出すと、ほかの子たちも追いかけて。私も一緒に走るんですけど、みんな足が速くて、すぐに追いつかれてしまうんです」
「それでは、大変だったでしょう」
「でも、木の陰に隠れると、たまに見つからないんです」
庭では、レオがアウレリアンの横をすり抜け、追いかけてこいとばかりに振り返っていた。
けれど、アウレリアンが別の方へ駆け出すと、慌ててその後を追いかけていった。
「ふふっ……案内は、どうなったの?」
思わず笑みがこぼれた。
王妃へ顔を向けると、驚いたようにこちらを見つめていた。
「……笑った顔が、一番エステルにそっくりだわ」
リラは少し照れくさくなって、目を伏せた。
顔も覚えていない母も、自分と同じように笑っていたのだろうか。
そう思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。
王妃は穏やかな笑みを浮かべ、庭へ目を向けた。
「王城で暮らす間は、この庭園を自由に使ってちょうだい。皆があなたの部屋から直接ここへ転移できるようにもしておくわ」
「本当ですか?」
「ええ。皆にも、のびのびと過ごしてほしいもの」
リラは庭を駆け回る猫たちへ目を向けた。
「ありがとうございます。きっと、みんな喜びます」
「またお話しましょうね。森での暮らしのことも、もっと聞かせてほしいわ」
「はい。私も、またお話ししたいです」
リラが頷くと、王妃も嬉しそうに微笑んだ。
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