32話 謁見
高窓の向こうでは、灰色の空を細かな雪が舞っていた。
雲越しの淡い光が、謁見の間に差し込んでいた。
磨き上げられた床には深紅の絨毯がまっすぐに延び、その先の数段高くなった場所に、二つの玉座が並んでいた。
リラはまだ誰も座っていない玉座を見つめ、籠の持ち手を握り込んだ。
エレノアが選んでくれたドレスや髪飾りも、まだ身につけ慣れなかった。
「クレマン国王陛下、セレスティーヌ王妃殿下がお入りになります」
広間の奥から響いた声に、カシウスが姿勢を正した。
壁際に並ぶ騎士たちも、一斉に身を引き締めた。
リラは足の横へ籠を置き、蓋を開けてから、周囲に倣って頭を垂れた。
指先は冷えているのに、前で重ねた手のひらにはじわりと汗が滲んでいた。
扉が開き、いくつかの足音が広間を進んだ。
リラは絨毯の模様を見つめたまま、足音が止まるのを待った。
「カシウス。久しいな」
落ち着いた低い声が、前方から届いた。
「道中の襲撃については聞いておる。よくぞここまで送り届けてくれた」
「無事にお連れでき、安堵しております。負傷者はオルディナで治療を受けております」
「皆の働きに感謝する。負傷者には十分に養生するよう伝えてくれ」
「承知いたしました」
リラは重ねた手をそっと緩めた。
自分を守ってくれた人たちが、こうして認めてもらえるのが嬉しかった。
「アルノ。そなたもよく務めた」
「恐れ入ります」
「ルーガル王国の西の魔境でも、見事な働きだったそうだな。グレンともども大きな傷を負わずに帰還したと聞いている」
「共に戦った者たちのおかげです。今回も同じです」
いつもの穏やかなアルノの声だった。
リラは思わず振り向きかけ、慌てて目を伏せた。
道中、何かと気遣ってくれたアルノが、それほどすごい人だったとは知らなかった。
やがて、広間に静けさが戻った。
リラは重ねた手に力を込めた。
次は、自分だろうか。
「顔を上げよ」
リラはゆっくりと顔を上げた。
先ほどまで空いていた玉座には、クレマン国王とセレスティーヌ王妃が並んで座っていた。
国王は、こちらへ穏やかな眼差しを向けていた。
そのそばには二頭のヒョウがいて、一頭は前脚を伸ばして伏せ、もう一頭は尾を身体へ寄せて座っていた。
隣の王妃は背筋を伸ばし、膝の上で両手を重ねていた。
足元には、一頭のサーバルが静かに座り、こちらを見ていた。
あの人が、母の姉なのだ。
リラは王妃を見つめかけたが、すぐに教わった挨拶を思い出した。
「リラと申します。お目にかかれて、光栄です」
ドレスの裾を摘み、膝を折った。
急いで立ち上がらないよう、足元を確かめてから身体を戻すと、国王が頷いた。
「リラよ、長い道のりだったな。慣れぬ旅で、恐ろしい思いもしたことだろう」
「はい。でも、皆さんが助けてくださいました」
「そうか。昨夜は休めたか」
「はい。ありがとうございます」
国王の口元がわずかに緩んだ。
リラも少しだけ肩の力を抜いたが、国王が玉座へ座り直すと、次の言葉を待って背筋を伸ばした。
「ここからは国王として、そなたに問わねばならぬことがある」
肘掛けに置かれた手は動かず、眼差しがまっすぐに向けられた。
「自分がどこに生まれたのか、聞いているか」
「はい。フェリシテ王国で生まれたと、カシウス様から伺いました。父が、今の国王だということも」
「では、フェリシテへ帰りたいか。父のもとで暮らしたいという望みはあるか」
リラはすぐには答えられなかった。
帰る、と言われて思い浮かんだのは、森の家だった。
暖炉のそばに皆が集まり、自分の座る場所もその中にあった。
「……父がどんな人なのか、私は知りません。私を育ててくれたのは、ここにいる猫たちです」
そばにいる六匹と、足元の籠へ目を向けた。
「ずっと一緒に暮らしてきました。私にとっては、みんなが家族です。だから、父のところへ帰りたいとは、思いません」
国王はしばらくリラを見ていた。
「……では、もう一つ。なぜフェリシテがそなたの命を狙うのか、その理由はどう考えている」
リラは指先を握り直した。
カシウスから聞いた話以上のことは、何も知らなかった。
「私は、生まれてすぐ死んだことになっていると聞きました。だから、生きていると分かったら困るのだと……」
「なぜ、亡くなったことにされたのかは?」
「……分かりません」
国王の視線が、一度だけカシウスへ移った。
カシウスは口を開かず、静かに頭を下げた。
「予言については、何も聞いておらぬのだな」
「予言……ですか?」
リラが聞き返すと、国王はわずかに間を置いた。
「古くから伝わる予言がある。そなたにも、知っておいてもらわねばならぬ」
広間に響く声へ、リラは耳を傾けた。
「始祖王の面影を宿す白銀の子現れし時、再び生者と死者は結ばれん。命の理は乱れ、世界は終焉へ傾くであろう」
リラは肩にかかる髪を見下ろした。
いつもと変わらない白銀の色だった。
「……それが、私なんですか?」
「そう受け止めた者がいる。そなたの父も、その一人だ」
世界は終焉へ傾く。
その言葉が頭から離れなかった。
皆と暮らした森も、あの家も、自分のせいでなくなってしまうのだろうか。
リラは手を握り締めた。
国王の目を見ることができなかった。
「予言が必ず現実になると、決まったわけではない。だが、私はこの国を預かる者として、その可能性を見過ごすこともできぬ」
短い沈黙があった。
リラがそっと顔を上げると、国王は口元を引き結び、こちらを見据えていた。
「そなたが予言に記された白銀の子だとすれば、世界を脅かす存在にはならぬと、ここで言えるか」
リラは唇を開きかけた。
そんなことはしないと言いたかった。
世界を壊したいと思ったことなど、一度もない。
けれど、予言が何を意味するのかも、自分の力がどんなものなのかも、分からなかった。
「私は……」
それきり、言葉が続かなかった。
国王は黙って返事を待っていた。
分からないまま大丈夫だと言ってよいはずもなく、リラは重ねた手に目を落とした。
「ここからは僕が話すよ」
足元の籠から、声がした。
壁際で、甲冑の触れ合う音がした。
リラがそちらへ目を向けると、何人もの騎士が剣の柄に手をかけていた。
「控えよ」
国王が片手を上げると、騎士たちは動きを止めた。
ルナは籠の縁に前脚をかけた。
白い身体がひらりと床へ下り、リラの半歩前へ進んだ。
玉座のそばでは、座っていたヒョウも床に伏せた。
二頭とも前脚の間へ深く頭を下げ、サーバルも前脚を折って額を床へ近づけた。
それを見た騎士の一人が、剣から手を離して胸に拳を当て、片膝をついた。
ほかの騎士たちもそれに続いた。
国王は玉座から立ち上がり、ルナへ深く頭を下げた。
リラは思わずルナを見た。
見慣れた小さな白い背中が、国王の礼を静かに受けていた。
「古き縁の祖よ。お話をお聞かせ願いたい」
ルナはリラを一度見上げてから、国王へ向き直った。
「この子にリラという名を与えたのは、僕なんだ。生まれて間もない頃にね。そのとき、予言に縛られず、一人の子として生きられるよう、在り方を定め直した」
リラはわずかに眉を寄せた。
名付けのことは知っていたが、その先は初めて聞く話だった。
「ただ、それで予言が消えたわけじゃない。これから何も起きないと、僕にも保証はできないよ」
国王は顔を上げ、黙って耳を傾けていた。
「でも、十一年間そばで見てきたことなら話せる。リラは一度だって、世界を壊そうとしたことはない。君の立場も分かるよ。だからこそ、予言だけでこの子の未来を決めないでほしい。今ここにいるリラを見て、判断してくれないかな」
ルナが話し終えると、広間は静まり返った。
国王はしばらく口を開かなかったが、やがて玉座に腰を下ろし、リラへ目を向けた。
「リラ」
名を呼ばれ、リラは顔を上げた。
「もし、そなたが本当に予言に記された子であるならば、そなた自身はどうする。予言の示す道を変えようとする意思はあるか」
リラは足元のルナを見た。
ルナは何も言わず、ただこちらを見上げていた。
その首に結ばれた深い青緑と紺色の編み紐に目が留まった。
リラも袖口の下で、自分の手首の紐にそっと触れた。
「……どうすればいいのか、今は分かりません。予言のことも、自分の力のことも、知らないことばかりです」
リラは一度息を吸った。
「でも、みんなを傷つけたくありません」
襲撃で傷を負ったルークの姿が、脳裏をよぎった。
「だから、自分に何ができるのか知りたいです。予言のとおりになるのを待つんじゃなくて、これからのことは自分で決めたいです」
編み紐から指を離し、国王を見つめた。
国王はしばらくリラを見つめ、静かに頷いた。
「そなたの意思は聞き届けた。予言への懸念は残る。その力がどのようなものか、またどう用いるのか、今後も見極めねばならぬ」
リラは小さく頷いた。
「だが、まだ起きておらぬ災いだけを理由に、そなたの生きる道を閉ざすつもりはない」
一拍置いて、国王は告げた。
「リラ。そなたを、レオパルド王国の庇護下に置く。ここで学び、自分の歩む道を見つけるがよい」
「……ありがとうございます」
リラはドレスの裾を摘み、深く礼をした。
身を起こすと、ようやく深く息を吸うことができた。
足元ではルナが戻ってきて、裾のそばに腰を下ろした。
カシウスに目を向けると、静かに頷いてくれた。
「リラ、こちらへいらっしゃい」
初めて聞く王妃の声だった。
王妃は膝の上に重ねていた手をほどき、リラへ片手を差し伸べていた。
リラは戸惑いながらも、カシウスのそばを通って段差を上がった。
慣れないドレスの裾を踏まないよう、足元を確かめながら進んだ。
近くまで来ると、王妃はリラの顔をじっと見つめた。
何か言われるのかと待っていたが、なかなか言葉がなかった。
挨拶をし直した方がよいのだろうか。
そう迷っていると、王妃の表情がふわりと和らいだ。
「エステルに、よく似ているわ。……あなたのお母様に」
リラは思わず自分の頬に触れた。
王妃の瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。
お読みいただきありがとうございます。
毎週火・土の20:10更新となります。
引き続きお楽しみいただけましたら嬉しいです。




