2話 残滓
木立を抜けて家の近くまで戻ると、木々の影に溶けていた家の輪郭が、少しずつ浮かび上がった。
庭では、トウカ、セナ、テトがリラたちを待っていた。
「おかえり! あたし、いいものたくさん見つけたから、こっちに来て!」
「待ってよ、テト。リラには、ぼくが獲ってきた大きなウサギを先に見てもらうんだ!」
「私が捕まえた魚、かなり脂が乗っているわ。ほら、おいしそうでしょう?」
「あーっ、セナずるい!」
「ふふ、分かったから。順番に見せてね」
三匹の賑やかな声に包まれながら、リラは胸の奥に残る違和感を振り払うように笑った。
家の扉を開けると、暖炉の火がぱちぱちと穏やかな音を立てていた。
室内に満ちた暖気が、冷えた体と心に残るざわつきを少しずつ和らげていった。
リラの足元をすり抜けたノエルは、そのまま暖炉の前に身を落ち着け、食卓の上ではネロがゆっくりと尻尾を揺らしていた。
「おかえりなさいませ、リラ様。月見草は採れましたか?」
「ただいま、ネロ。見て見て、こんなにたくさん採れたよ!」
リラは背負っていた籠を食卓の脇へ下ろし、ネロにも中が見えるようにそっと傾けた。
そこへレオが、トウカの獲ってきた野ウサギを庭から運び込み、籠の傍らへどさりと置いた。
「今日は途中から、森の空気が妙だったぜ。それに——」
ノエルの耳がわずかに動き、その視線が一瞬だけレオを捉えた。
レオはその先を飲み込み、ふいと鼻先を逸らした。
「レオはまだ、この辺りに慣れていないからね。少し気が張っていたんじゃないかな」
「そうなの?」
リラが二匹を見比べると、レオは答えず、後ろ脚で耳の後ろを掻きながらそっぽを向いた。
「でも……私も森で、誰かに見られているような気がしたの」
その言葉を聞いたルナは、何も言わずに鞄から抜け出し、窓辺へ向かった。
ネロはその背を見つめ、わずかにうなずいた。
「分かりました。注意しておきましょう」
そう告げると、ネロもルナの隣へ歩み寄り、窓の外へ目を向けた。
一息ついた頃には、窓の外はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
リラはノエルと共に暖炉の前へ座り、採取したばかりの月見草を床に広げて仕分けていた。
ぱちぱちと爆ぜる薪の光に照らされ、月見草の甘い香りが部屋に満ちていった。
「ノエル。たくさん採れたから、町に持っていった方がいいかな?」
「うん。今年の月見草は特に質が良いから、よろず屋の主人も喜ぶと思う。明日なら鮮度も保てるし、きっと高く買い取ってもらえるよ」
「明日は町に行くの? あたしも行きたいけど……リラ、お土産買ってきてくれる?」
テトがリラの肩へひょいと飛び乗り、耳元で甘えるように喉を鳴らした。
「いいよ。テトはお留守番だもんね。いつもの干し肉でいい?」
「やったー! あたし、あれ大大大好きなの!」
リラの頬へ擦り寄ると、テトは軽やかな足取りで台所へ消えていった。
「町かぁ、久しぶりになっちゃったね。一か月ぶり?」
リラが仕分けの手を止めると、窓辺で外を眺めていたルナが、青い瞳をこちらへ向けた。
「そうだね。あの魔力の残滓が、もう消えていればいいけど」
わずかに表情を曇らせたものの、ルナはリラの隣で丸まっているレオへ目を向けた。
「でも、今はレオがいる。僕は人前では姿を見せられないから、町で何かあったら頼んだよ」
「おう、任せとけ。町ってところへ行くのは初めてだが、用心棒ならオレの出番だ。羽虫一匹、寄せつけねぇよ」
レオは片目を開け、鋭い牙を覗かせながら不敵に笑った。
「お肉焼けたよ! リラ、早く早く!」
台所からトウカの元気な声が響き、肉の焼ける匂いが漂ってきた。
リラは急いで台所へ入り、出来上がった料理を器に盛り付け、食卓に並べていった。
野ウサギの香草焼きと、森のキノコをたっぷり使ったスープが並び、今夜の夕食はいつもより少し豪華だった。
「いいなー、リラ。ぼくも町についていけたらいいのになぁ」
トウカは悔しそうに尻尾を揺らしながら、大盛りの肉に食らいついた。
「トウカの分も、おいしいお肉を買ってきてあげるからね」
リラが笑ってなだめると、隣で魚を少しずつ口にしていたセナが、くすりと笑った。
ノエルは器の前に座り、温かなスープを舌でゆっくりとすくっていた。
やがて顔を上げ、隣に座るレオを見つめた。
「レオ、リラから絶対に離れないで」
「分かってるって。ノエルは心配性だな」
レオは豪快に肉を引きちぎると、太い尻尾でノエルの背中を軽く小突いた。
食事が終わると、リラは空になった木製の皿を重ね、台所の流しに運んだ。
セナがそれに続き、ふわりと流しの縁へ飛び乗った。
「リラ、下がっていて。私がやるわ」
「ありがとう、セナ。いつも助かるよ」
セナが前脚を流しの縁に添えると、透明な水が音もなく湧き上がり、渦を巻いた。
水は生き物のように皿を包み、残った油や食べかすを洗い流していった。
そのとき、背後でわずかな気配がして、リラが振り返るとネロが姿を現した。
「リラ様、私はこれより周囲の巡回へ向かいます。戸締まりは厳重に」
「気をつけて行ってきてね、ネロ」
「かしこまりました。闇は私の友ですから、ご心配なく」
金色の瞳をわずかに細めると、ネロは裏口の影へ溶けるように姿を消した。
夜が深まる頃、リラは戸締まりを確かめ、暖炉の前に目を向けた。
残り火のそばではトウカとテトが丸くなり、窓辺ではセナが月明かりを浴びながら静かにまどろんでいた。
「おやすみ、みんな」
眠たげな声に見送られ、リラはノエルとレオ、ルナを連れて二階へ上がった。
寝室に入り、リラがベッドへ潜り込むと、ノエルとレオもいつもの場所で体を丸めた。
足元から聞こえる静かな寝息に包まれるなか、ルナだけが高い窓の縁に座り、森の闇をじっと見つめていた。
その姿を見て、リラは昼間の森で感じた違和感をふと思い出した。
やがてルナが窓辺から音もなく飛び降り、枕元へ歩み寄ってきた。
「おやすみ、リラ」
ルナが首元で丸くなると、その心地よい温もりに包まれ、リラはゆっくりと目を閉じた。




