27話 調薬
風輪車が停まったのは、街道脇の木々が途切れた、平らな草地だった。
扉が開くと、ルークが真っ先に運び出された。
敷かれた毛布へ横たえられても、額には汗が浮き、呼吸は浅かった。
「周囲を警戒しろ。街道側と林側、どちらも目を離すな」
カシウスの声に、騎士たちが散っていった。
リラもルナの籠を抱えて風輪車を降りると、すぐにアルノを呼び止めた。
「アルノ様、森から持ってきた荷物を降ろしてもらえますか? それと新鮮な水も――」
「水なら私が行きます」
リラが言い切るより早く、ナディアが声を上げた。
「お願いします」
リラの足元には、セナ、トウカ、テトも集まっていた。
「薬を作るなら、焚火がいるよね!」
「薪、あたしたちで持ってくるから!」
トウカとテトが続けて駆け出した。
すぐにアルノが風輪車から荷物を持ってきてくれた。
リラはそれを受け取るとセナのそばへしゃがみ込み、近くにルナの入った籠を置いた。
荷物を解き、月見草と凪葉草を取り出し、乳鉢、小鍋、濾すための布も順番に並べていった。
近くに置いた籠の蓋が少し持ち上がり、ルナが隙間からじっとリラを見つめていた。
「リラちゃん」
呼ばれて顔を上げると、コレットがそばへ膝をついた。
「始める前に、何を作るのか教えて」
リラは並べた薬草を示した。
「月見草を土台にして、凪葉草で薬の強さを整えます。それから、ノエルが持ってきてくれるモリュエラの花を使います」
「それが、蜜房花の代わり?」
「はい。蜜の成分が似てるから、同じ量では弱いと思うんですけど、多めに使えば毒が回るのを抑えられるかもしれません」
コレットの表情が曇った。
「でも、モリュエラって毒に作用する薬草ではあるけど、そんなに強くないでしょう?」
「はい。なので、凪葉草で整えて、月見草と一緒に――」
「その組み合わせで、前にも作ったことはあるの?」
リラの手が止まった。
「……この三つで作るのは、初めてです」
「作ったこともない薬なの?」
「森で、蜜房花をマドイ蔓の袋に入れたことがあるんです。そのとき、袋がしぼむのを見ました。だから、似た成分があるモリュエラでも――」
「袋がしぼむのと、人に飲ませるのとは違うわ」
急に強くなった声に、リラの肩がびくりと揺れた。
「ルークの命がかかってるのよ。理屈だけで飲ませるわけにはいかない」
そのとき、草地の向こうからグレイドに乗ったナディアが戻ってきた。
ナディアが降りると、汲んできた水の入った桶をリラの近くへ置いた。
セナがすぐに近づき、桶の縁へ前脚をかけた。
「……これ、あの川と同じだわ」
リラははっとして、水桶へ顔を向けた。
「前に言ってた、あれ?」
「ええ。やっぱり変なの。汚れてるわけじゃないし、何かが混ざってる感じとも違う。でも、この水は使わない方がいいわ」
水は澄んでいて、リラには何が違うのか分からなかった。
セナはミレーヌへ顔を向けた。
「風輪車に積んである飲み水、少しもらえないかしら。薬にはそっちを使った方がいいと思うの」
ミレーヌから聞いたナディアは、風輪車から飲み水を持って戻り、小鍋へ注いでくれた。
「こっちは大丈夫よ」
「ありがとう」
リラが顔を上げると、コレットはすでにカシウスのそばへ移っていた。
「この薬をルークに使うことには反対です。リラちゃん自身も、作ったことがないと言っています」
「リラ殿、その薬を作るのは初めてなのか?」
リラは膝の上で手を握った。
「……はい。効くとは言い切れません。でも、毒が回るのを抑えられる可能性はあると思います」
「コレット。ほかに手はあるか」
コレットはすぐには答えなかった。
「……マドイ蔓の毒が使われているなら、確実な解毒法はありません。医院まで連れていけたとしても、助けられる保証はないです。でも、この薬だって安全とは言い切れません」
カシウスはしばらく黙っていた。
やがて、リラのそばに置かれた籠へ目を向けた。
蓋の隙間では、ルナが静かにカシウスを見返していた。
ルナは何も言わなかった。
「ほかに手がないなら、今はこれを試そう。ルークの容態を見続けてくれ」
「……分かりました」
コレットは唇を結び、それからリラへ向き直った。
「使う量も、作り方も全部見せて。できた薬は、私に渡してね」
「はい」
戻ってきたテトとトウカが、集めた薪を草地へ落とした。
「これくらいあれば足りる?」
「うん。ありがとう」
トウカが薪の前へ座り、火をつけた。
テトが小さく風を送ると、火はすぐに薪へ燃え移った。
リラは月見草を乳鉢へ入れ、粗く砕いた。
コレットが手元を見ているのを感じながら、慎重に量を確かめた。
小鍋の水が煮立ったあと、月見草を入れた。
湯気とともに、甘い草の香りが立ち上った。
リラは煮汁の色を見ながら待ち、次に凪葉草の若葉を手に取った。
「これは、このくらいです」
コレットにも見えるように数えてから、小鍋へ加えていった。
葉が湯の中でゆっくりと沈んでいった。
あとはモリュエラがあれば――。
そのとき、草を踏む音が聞こえ、リラが顔を上げた。
街道脇の林から、青灰色の猫が姿を現した。
「ノエル!」
ノエルの口には、細かな紫の花をいくつもつけた茎が、横向きにいっぱいくわえられていた。
一歩進むたび、顔の両側に広がった花がわさわさと揺れている。
リラは思わず立ち上がった。
ノエルはそのままリラの前までやってくると、広げていた布の上へ茎を下ろした。
「花が多いところを選んできたよ。傷んでるのがあったら取ってね」
リラはしゃがみ込み、持ち帰ったモリュエラを確かめた。
それは、使うつもりだった量より、少し多かった。
「ありがとう、ノエル。これなら足りそう」
ようやく、必要なものが揃った。
ノエルと一緒に、モリュエラの花を選り分けていると、草を踏むいくつもの足音が聞こえてきた。
リラが顔を上げると、街道の向こうからレグルスが歩いてきた。
その後ろには、風輪車を追っていた相棒たちの姿が続いていた。
最後に姿を見せたのは、グレンとレオ、それにネロだった。
レオがリラを見つけると、少しだけ歩調を速めた。
ネロもその隣からまっすぐこちらへ向かってきた。
皆が無事に追いついたことに、リラはほっと息を吐いた。
「おかえり」
声をかけてから、リラはもう一度モリュエラへ手を伸ばした。
蜜房花より作用が弱い分、花は多く必要だったが、蜜にある性質を損なわないよう煮込むわけにはいかなかった。
小鍋を火から下ろしてから、量っておいた花を加え、蓋をした。
「あとは、少し蒸らします」
コレットは頷き、ルークのもとへ戻った。
リラは散った花を片づけながら、ときおり蓋の縁から漏れる湯気を見た。
そばではルナとノエルが、静かに待っていた。
十分ほど経ってから蓋を開け、布をかけた器へ煮汁を濾した。
飲める温かさになるまで冷まし、器を持ち上げようとしたところで、手が止まった。
これをルークに飲ませるのだと思うと、ふとあの笑顔が浮かび、さっきまで確かめていた草の量まで急に心もとなく思えた。
「……本当に、これでよかったのかな。もし、もっと悪くなったら……」
ルナたちにしか届かないような声になった。
肩をぽんと一度だけ叩かれ、リラが顔を上げると、ナディアと目が合った。
ナディアは何も言わずに一度だけ頷いてから、周囲を見張る騎士たちの方へ戻っていった。
リラはその背中を見送り、ひとつ息を吸ってから、器を両手で持ってコレットのそばへ運んだ。
「できました」
コレットは薬を受け取ると、ルークの上体を支えた。
「ルーク、少しずつ飲んで。ゆっくりでいいから」
器を唇へ寄せ、飲み込むのを確かめながら少しずつ飲ませていったが、薬を飲み終えても、ルークはぐったりと目を閉じたままだった。
コレットが額の布を替え、何度か脈を確かめる間も、リラはそばを離れずにその様子を見ていた。
しばらくして、毛布の下でルークの手がわずかに動いた。
「……寒い」
「寒いの?」
コレットが尋ねると、ルークは小さく頷いたあと、掠れた声でもう一度口を開いた。
「ラッセル……」
毛布の脇にいたラッセルがすぐに身を寄せ、伸ばされた指先を何度も舐めた。
そのまま手の甲へ鼻先を押しつけると、ルークの指がかすかに動いて茶褐色の毛に触れた。
コレットはその様子を確かめてから、もう一度ルークの脈を取った。
「……効いているようね」
その言葉に、リラはようやく詰めていた息を吐いた。




