26話 糸口
リラが足元へ目を落とすと、ノエルがじっとこちらを見上げていた。
「リラ、後ろの扉に刺さった矢、持ってきた方がいいかも。あっちなら、塗られたものがまだ残ってる」
リラは頷き、コレットへ向き直った。
「扉に刺さった矢なら、毒が残っていると思います。見れば分かりますか?」
「……持ってきてもらえる?」
「俺が行く」
ハロルドは、ランドルフと目を合わせると、車体の後ろへ向かった。
リラの腕の中で籠の蓋が持ち上がり、ルナが隙間から顔を出した。
その目は、ルークへ向けられていた。
戻ってきたハロルドは、布で矢柄を包んでいた。
コレットは受け取った矢を広げた布の上へ置き、先端についた木屑を小さな器具で払い落とした。
そのまま矢先の表面をなぞり、手を止めた。
「……変ね。ひとつの毒を塗った感じじゃない」
コレットは矢先とルークを見比べた。
「どんどん悪くなっているように見えるよ」
腕の中の籠から聞こえたルナの声に、ハロルドとランドルフは、思わずそちらへ顔を向けた。
コレットも籠へ目を向けると、ルークの様子を確かめた。
「解毒薬は効き始めてるはずです。それなのに……やっぱり、別の毒も混ざっているのかもしれない」
炎天下――。
さっきのルークの言葉を思い返したとき、リラの頭に森で見た蔓が浮かんだ。
「あの、もしかして、マドイ蔓の毒が混ざっていませんか?」
コレットがリラへ目を向けた。
「蔓に小さな袋がいくつもついていて、ないものが見えたり聞こえたりする毒があるんです」
「マドイ蔓……確かに、今の症状とは合う。でも、あれには専用の解毒薬がないはずよ」
リラは少し考えてから口を開いた。
「蜜房花を入れると、袋がしぼむのを見たことがあります」
「蜜房花?そんな花、聞いたことがないわ」
「森にはあったんですけど、持ってきてなくて……」
リラは足元のノエルへ顔を向けた。
「蜜房花は、なかったよね」
「うん、持ってきてない」
ノエルは前脚を地面へ押しつけ、しばらく目を閉じた。
やがて何かを思いついたように、街道脇の林へ顔を向けた。
「……モリュエラなら、代わりにならないかな」
「蜜の成分が似てるから?」
「うん。まったく同じじゃないけど、近いものがあったはずだよ」
細かな紫の花をつけるモリュエラが、リラの頭に浮かんだ。
「蜜房花ほどは効かないと思う。でも、毒が回るのを抑えるくらいなら……」
「僕がモリュエラを探してくるから、リラは月見草と凪葉草を用意しておいて。モリュエラは最後に蒸らそう」
カシウスが一歩近づいた。
「リラ殿、治せるのか?」
リラはすぐには頷けなかった。
「……治すのは難しいと思います。でも、毒が回るのを抑えられるかもしれません。薬を作るための場所と、少し時間が必要です」
カシウスは短く頷いた。
リラの足元で、ノエルはもう街道脇の林へ身体を向けていた。
「一匹で行くの?」
「まずは街道に近いところを探してみるよ。遠くまでは行かない。見つけたら採って、みんなを追うから」
リラはルークへ視線を戻した。
苦しそうに浅い息を繰り返す姿に、胸の奥がぎゅっと縮んだ。
「……気をつけてね。必ず追いついてきて」
リラはしゃがみ込み、ノエルの頭から背中へそっと手を滑らせた。
触れたところから、自分の中の力が少しずつ流れていくような感覚がした。
ノエルは目を細めると、尻尾をふわっと揺らした。
「行ってくるね」
青灰色の背中が草の間を抜け、やがて木々の陰へ見えなくなった。
そのとき、リラの足元から伸びる影の中から、黒い塊がゆっくりとせり上がった。
地面の影を残したまま、それは次第に厚みを増し、丸みを帯びていく。
やがて、頭と耳、四本の脚が形を取り、黒猫の姿へ変わった。
カシウスとアルノが即座に剣を向けた。
外側にいたランドルフとハロルドも振り返り、黒い姿へ剣先を据えた。
「大丈夫。ネロからだ」
籠から聞こえたルナの声に、リラは改めて黒い姿へ目を向けた。
ネロによく似た黒い猫が、前脚を揃えて座った。
「リラ様、先ほどのカラスは仕留めました。射手にはアーヴィンが牽制を加え、追撃を阻んでおります」
声は間違いなくネロのものだった。
「すぐの襲撃はないかと存じます。ただし、援軍にはご警戒を。まもなく合流いたします」
言い終わると、その身体は足元へ沈み始めた。
尾や耳の輪郭が薄れ、もとの影へ吸い込まれていった。
ネロの姿が影へ消えるころには、レグルスとグレンも、それぞれの主を見上げて鳴いていた。
カシウスは頷き、剣先を下げた。
「追手が来る前にここを離れる。この先に野営できる場所があるから、薬はそこで作ろう」
コレットへ向き直り、短く尋ねた。
「ルークを動かせるか」
「はい。先に傷を覆います」
コレットが布を手に取ると、セナは傷口を包んでいた水を引かせた。
エンバーリーフから包帯を受け取り、コレットが手早くルークの肩を包んだ。
セナはそのまま車体を駆け上がった。
処置が終わると、ランドルフとハロルドがルークの背と脚を支え、風輪車の後部へ運び始めた。
ラッセルも、その足元を離れずについていった。
ルナが頭を引っ込めるのを待って、リラは籠の蓋を閉め、皆のあとを追った。
アルノが両方の扉を開くと、車内の騎士たちは片側へ詰めて場所を空けた。
床では、鎮静剤と回復薬が効いたのか、フレデリックが壁際で身体を丸めて寝ていた。
空いた座席へルークを座らせ、コレットとリラが両脇についた。
リラはルナの籠を足元へ置き、傾きそうになる身体を支えた。
「操縦を代わってくれ。ハロルドは引き続き魔力を」
カシウスに指名された騎士が頷いた。
ハロルドは車体へ片手をついて一度息を整えると、その騎士とともに前方へ向かった。
ランドルフは腰のケースからグレイドを取り出し、足元へ置いた。
扉が閉じる間際、レオが車体のそばを走り出すのが見えた。
やがて風が唸り、風輪車がゆっくりと動き出したが、先ほどのようには速度が上がらなかった。
小さく車体が揺れるたび、ルークの身体が傾きそうになり、リラは支える腕に力を込めた。
それからしばらく、風輪車は速度を抑えたまま街道を進んだ。
ノエルは、もうモリュエラを見つけただろうか。
ネロたちは、いつ頃追いつくのだろう。
リラは窓の外へ目を向けた。
レグルスを先頭に、グレンやレオたちが風輪車を追っていた。
けれど、その距離は少しずつ開き始めていた。
「レグルス! グレンと一緒に、みんなを頼む!」
カシウスの声が、車内まで届いた。
「無理に追わせるな! 休みながら来てくれ! 先の野営地で合流する!」
リラはその姿を目で追った。
レグルスたちの姿は、少しずつ遠ざかっていった。
隣でルークが苦しそうに息を吐いた。
リラは支える腕に力を込めた。
――今は、私にできることを。
風輪車は速度を抑えたまま、先の野営地へ向かって進んでいった。




