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白銀のリラ~猫に選ばれた王女~  作者: 鈴白澪
第2章 ヴァレリウス領
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25話 毒

 矢羽がまだ震えているうちに、テトがリラの足元を駆け抜けた。

 車輪を蹴り、風を巻いて屋根へ跳び上がった。

 その前脚から放たれた小さな風の刃が、幾筋にも分かれてカラスへ走った。


 黒い翼が開き、飛び立ったかと思った瞬間、その身体が黒い霧のように崩れた。

 風の刃は何もない空間を通り抜け、屋根際には羽の一枚も残らなかった。


「闇の魔法です!」


 ネロの鋭い声が飛んだ。

 金色の目は、霧散したカラスではなく周囲の木々へ向けられていた。


「術者が別にいる恐れがございます。どこから見られ、狙われているか分かりません。皆様、周囲にもご注意を!」


 屋根のテトが身体の周りへ風を巡らせ、低く身構えた。

 トウカとセナも車体を駆け上がった。


「リラちゃん、早く!」


 コレットに手を引かれ、リラは籠を抱えたまま踏み段を上がった。


「そこに座って!」


 空いていた座席へ腰を下ろした直後、外からアルノの声が飛んだ。


「出せ!」


 扉が閉まり、風輪車が動き出した。


 隣には脚を負傷した騎士、向かいにも手当てを受けた二人が座っていた。

 足元ではフレデリックが横たわり、コレットがその傍らで処置を続けていた。


「鎮静剤は打ったわ。エンバー、回復薬を」


 エンバーリーフから受け取った薬を、コレットがフレデリックへ少しずつ飲ませた。


 リラは膝の上の籠を抱きしめた。

 扉に矢が突き刺さった音は、まだ耳に残っていた。


「カァ」


 同じ鳴き声が、今度は前方から響いた。


「いつの間に――!」


 テトの声に重なって、男の短い呻きが上がると同時に、車体が大きく横へ振られた。

 リラの肩が壁へぶつかり、向かいの騎士も座席の端を掴んだ。


「ルークが射られた!」


 ハロルドの切迫した声が聞こえた。

 頭上で風が唸り、屋根を駆ける足音と水の弾ける音が重なり、カーテン越しに赤い光が一瞬走った。

 すぐにトウカが叫んだ。


「またどっか行った!」

「ハロルド、一人では無茶だ! 出力を落とせ!」


 カシウスの声が響く間にも、風輪車は反対側へ揺れた。

 コレットがフレデリックの身体を支え、エンバーは小瓶を胸へ抱き込んだ。

 リラは籠を片腕で抱え直し、空いた手で座席の縁を握った。

 

「アーヴィン、矢が来た方を探れ!」


 外で鷹の鳴き声が響いた。

 続いて、窓のすぐ外からネロの叫び声が届いた。


「リラ様、私もアーヴィンと参ります!」

「ネロ、気をつけて!」


 言い終えるのとほぼ同時に、車輪が何かを踏み、身体が座席から浮きかけた。

 風の音が弱まり、車体が何度か左右へ振れたあと、風輪車はようやく止まった。

 リラは座席を掴んだ指を、すぐには離せなかった。


「車の周囲を固めろ!」


 カシウスの指示に、外でいくつもの声が応じた。

 矢の刺さった右扉が少し開き、アルノが顔を覗かせた。


「リラ様、ご無事ですか」

「はい……大丈夫です」


 リラが頷くと、開いた扉の外に、グレイドに乗ったカシウスが姿を見せた。

 コレットがすぐに立ち上がった。


「ルークの容態はどうなんですか?」

「芳しくない。呼びかけへの反応も鈍い」


 カシウスが言い終える前に、コレットは傍らの鞄を掴んで外へ降りていた。

 エンバーリーフもその肩へ飛びつき、そのまま車体の陰へ消えた。


「リラ、平気?」


 屋根からテトが身を乗り出し、トウカとセナも続いて上からリラの様子をうかがった。

 扉の隙間からはレオが顔を上げ、その隣へノエルもやってきた。


「うん。みんなは……」


 答えかけたリラは、ノエルが扉をじっと見ていることに気づいた。

 ノエルは踏み段へ飛び乗ると、扉に刺さった矢へ鼻先を近づけた。

 矢の根元では、裂けた木肌に何かが薄くこびりついている。


「ノエル、どうしたの?」

「さっきのも、同じ相手だよね。これ、毒が塗ってある」

「毒……?」


 リラは矢とノエルを見比べた。

 ルークに同じ矢が当たっていたら——。


 リラは籠を抱えて立ち上がり、扉の外のアルノを見た。


「この矢、毒が塗ってあるそうです。コレットさんに伝えないと……」

「分かりました。そばを離れないでください」


 アルノは前方を確かめて手を差し出した。

 リラがそれを借りて踏み段を降りると、ノエルも続いた。

 アルノは街道側につき、グレンとともにリラを車体の前方へ導いた。



 右前の車輪のそばでは、ルークが車体に背を預けていた。

 左肩の鎧は外され、矢もすでに取り除かれていた。

 ナディアが傷口を細い水で洗い流していた。


 ルークの足元では、相棒のマングース、ラッセルが落ち着かない様子で行き来していた。


「もう少しよ。飲み込める?」


 コレットがルークの口元へ小瓶を当てた。

 ナディアが息をついて手を下ろすと、代わるようにミレーヌの水が傷口へ伸びた。


「コレットさん、扉の矢に毒が……」

「こちらの矢にも塗られていたわ。今、解毒薬を飲ませているところよ」


 ルークの喉仏がゆっくりと上下した。

 リラが近づいても、ルークはどこを見ることもなく目を開けていた。


 少し遅れてレオたちも集まったが、ランドルフとハロルドは木立を警戒し、カシウスはアルノと短く言葉を交わしていた。


 ミレーヌの水が細くなったところで、セナがそのそばへ進んだ。


「私が代わるわ。傷口を洗い流しても大丈夫かしら」


 エンバーリーフがコレットへ声をかけ、頷きが返ると、ミレーヌと入れ替わるようにセナの水がルークの左肩を包んだ。

 薄くまとわりついた水の内側を細かな流れが巡り、血で濁った水だけが下へ流れていく。


「……すごい」


 ナディアは小さく零しながら、傾きかけたルークの背を支え直した。

 

 コレットは体温計に目を落とし、ルークの手首へ指を当てた。

 しばらく脈を確かめると、わずかに眉を寄せた。


「脈は少し落ち着いてきたけど……」


 そのとき、ルークの唇が動いた。


「暑い……これ、脱がせてくれ……」


 弱々しい右手が、肩に掛けられたマントを引いた。


「ルーク、もう雪が近い季節よ。どこにいるか分かる?」

「何、言ってんだ……こんな、炎天下に……」


 吹き抜ける風は冷たく、袖口から入り込んだ空気が肌を刺した。

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