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白銀のリラ~猫に選ばれた王女~  作者: 鈴白澪
第2章 ヴァレリウス領
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24話 追手

 あの川を離れたあとも、近くに流れがあれば、セナは水へ前脚を浸して確かめていた。

 野営地でも、翌朝の休憩でも、リラに返ってきたのは「ここは何ともないわ」という言葉だった。



 三日目の昼、一行は再び川沿いで食事を取った。

 食べ終えて皆と水際へ寄ると、セナは浅い流れの中を歩き、前脚の雫を振り払った。


「あのときだけだったのかしら。ここも、何ともないわ」


 少し上の街道では、騎士たちが出発の支度を始めていた。

 リラが川岸へ籠を置いて蓋を開けると、ルナも外へ出て、皆と並んで水を飲み始めた。

 アルノとグレンは、その様子を近くで見守っていた。


 それまで思い思いに水を飲んでいた猫たちとグレンが、ほとんど同時に動きを止めた。

 少し上の街道から甲高い金属音が響き、何かがぶつかる音に怒声まで重なる。

 猫たちは水際を離れ、リラの周囲へ集まった。


 風輪車の方で、何かが起きている。

 ルナを急いで籠へ戻さなければ――。


 リラが屈んで手を伸ばしかけた、その肩に重いものがぶつかった。


「危ねぇ!」


 身体が横へ弾かれ、リラは草の上へ倒れ込んだ。

 すぐ傍で、硬い音が響いた。


 顔を上げると、つい今まで自分がいた場所のすぐ脇で、一本の矢が木の幹へ深く食い込んでいた。


 レオはもう身体を起こし、川へ向かって歯を剥いていた。

 その先を追うと、対岸の木陰に弓を持った男がいた。

 こちらへ顔を向けたまま、矢筒から次の矢を抜いている。


「私を……?」


 声が掠れた。

 レオが押してくれなかったら、あの矢は自分に刺さっていた。

 幹から突き出た矢羽を見つめるだけで、背筋が冷えた。


 アルノがリラと川の間へ踏み込み、右手に剣を構えた。

 空いた左腕の前で土がみるみる固まり、厚い岩の盾となって、飛んできた次の矢を弾いた。


 一方で、グレンはリラの後方へ回り、木立との間へ身体を滑り込ませた。

 

 対岸から怒声が上がり、剣を手にした襲撃者たちが、相棒らしき動物とともに浅瀬へ踏み込んできた。

 それを見たノエルが、アルノよりさらに前へ出た。


「リラには近寄らせないよ」


 ノエルが強く前脚を踏み込んだ。

 その先で地面が割れ、鋭く尖った岩が次々とせり上がった。

 岩の棘はノエルの前から左右へ大きく広がり、正面の進路を塞ぐように、斜めにも互い違いに突き出した。

 水底の石が押し上げられ、白い飛沫が上がる。


 襲撃者たちは一瞬たじろいだが、岩の切れ目を求めるように左右から回り込もうとしていた。


「セナ、右を頼む!」

「ええ。そっちは任せたわ」


 レオが左へ駆け、セナは右の水際へ進んだ。


「リラ、大丈夫?」


 すぐそばまで駆け寄ってきたルナを、リラは無言で抱き上げた。

 木の幹へ手をつき、どうにか立ち上がった。


「……おかしいですね」


 すぐ隣から聞こえたネロの声に、リラは顔を向けた。

 ネロは対岸へ顔を向けており、足元では影だけが水面のようにゆらめいていた。


「人間の数に対して、相棒が足りません。まだどこかに隠れている者がいるようでございます」


 リラは川の向こうへ目を凝らした。

 襲撃者たちをよく見ても、水飛沫や岩に隠れて、数まではとても分からなかった。


「あたし、周りを見てくる」


 テトが木の幹を駆け上がり、枝葉の中へ消えた。

 リラはその姿を追おうとしたが、右手の水際から水音が響き、そちらへ顔を戻した。

 セナの前で流れがせり上がり、近づいていた男の膝を水の鞭で打った。

 男はよろめきながらも踏みとどまり、剣を持ち直していた。


 そのとき、左手の少し離れた木立の枝が大きく揺れた。

 見上げると、枝の陰から灰色の鳥が躍り出た。


「見つけた!」


 テトが枝を蹴った。

 鳥の周りで小さな風の渦が次々と巻き起こり、広げた翼を左右から煽った。

 風に向きを乱された鳥は片翼を枝へぶつけ、羽を散らしながら地面へ落ちた。

 傷めた翼では飛べず、そのまま地面を跳ねるように逃げていった。


「くそっ……!」


 茂みから男が飛び出した。

 川から来たのではなく、リラたちと同じ岸に隠れていた。

 抜き放った刃を前へ突き出し、そのままこちらへ走ってきた。


「こっちにこないで!」


 リラのそばにいたトウカが、男の足元へ駆け込むと、男は踏みとどまって刃を低く振った。

 横へ身をかわしたトウカは、男の懐へ飛び込み、炎を纏った前脚で男の袖口をかすめた。


 男は移った火を叩き消しながら、もう一度刃を突き出した。

 トウカは身を低くかわすと、炎を纏った前脚を男の顔へ叩き込んだ。


 男は刃を取り落とし、悲鳴を上げながら顔を覆って地面へ倒れた。

 トウカは刃をその手が届かないところへ蹴り飛ばし、背中を丸め唸り声を上げた。


 リラは、トウカたちから目を離せなかった。

 あれほど近くに潜んでいたのに、自分は何ひとつ気づかなかった。


「まだ、合いません」


 ネロの声に、リラはルナを抱える腕を強めた。

 テトとトウカが周囲へ目を走らせた、そのときだった。


「グレンの方から、大きな振動が近づいてる! 何か来るよ!」


 ノエルは岩の棘を維持したまま後方を振り向いた。

 木立からグレンの鋭い吠え声が響き、アルノがリラの脇を抜け、グレンの横へ回り込む。

 左腕の岩盾がさらに厚みを増した。


 茂みを割って大きなイノシシが現れ、そのまま盾へ激突した。

 アルノの身体が押し戻され、盾の縁が砕ける。

 それでも踏みとどまった隙に、グレンが盾の横から飛び出し、イノシシの後ろ脚へ噛みついた。


 イノシシが身をひねるより早く、グレンは飛び退いた。

 イノシシは傷ついた脚を引きながら盾から離れると、そのまま茂みの中へ飛び込んだ。

 枝葉が激しく揺れたあと、巨体は見えなくなった。


「グレン」


 アルノは短く呼ぶと、剣を鞘へ収めた。

 空いた右手も岩盾へ添えると、欠けた縁へ土が重なり、全身を覆うほどの大盾へ広がった。


 グレンは茂みを睨みながら唸った。

 耳を忙しなく動かしたあと、左の水際で戦うレオへ顔を向けた。


 その視線の先では、ノエルの岩の棘を迂回してきた襲撃者が、レオへ剣を振り下ろしていた。

 レオは軽い足取りでかわすと、前脚を鋭く振るった。

 巻き起こった風を受けた男が、浅瀬で大きくよろめいた。


 そのとき、グレンが短く吠えた。


「え、オレ?」


 振り向いたレオへ、グレンが茂みを示すように鼻先を向けて低く唸った。

 レオはそちらへ目をやり、すぐに頷いた。


「分かった。テト、トウカ、こっち頼む!」

「あたしたちに任せて!」

「気を付けてよ!」


 テトが左の水際へ駆け、トウカもその後を追った。

 二匹が持ち場へ入るのを確かめると、レオは大きく回り込むように茂みの方へ駆け、その陰へ姿を消した。


 リラがアルノたちへ目を戻すと、グレンは大盾の横で身体を低くし、アルノも腰を落として構えていた。


 けれど、茂みの奥からイノシシは出てこなかった。

 枝が揺れる音さえしない。


 どこから来るの――。


 グレンの耳がぴたりと止まり、斜め後ろへ顔を向けた。

 アルノが大盾をそちらへ向け直す。


 その先の茂みが大きく弾けた。

 飛び出した巨体が大盾へ激突し、土が砕けてアルノの片膝が沈んだ。


 グレンはすぐに盾の陰から駆け出し、先ほど傷つけた後ろ脚へ噛みついた。

 イノシシが振り向くより早く、グレンは大きく横へ飛び退いた。

 怒ったイノシシも、それを追って向きを変える。


 その進路の先で、茂みに伏せていたレオが飛び出した。

 鋭く振るわれた前脚から風の刃が走り、イノシシの肩を斜めに切り裂いた。

 巨体がよろめきながらも、牙をレオへ向ける。


「レオ……!」


 リラは思わず一歩出かけたが、ネロが脚へ身体を寄せ、そこで止まった。


 イノシシの注意がレオへ向いた隙に、アルノが岩盾を消した。

 すぐさま剣を抜き、イノシシの後ろへ踏み込む。

 振り下ろされた刃が巨体を捉え、イノシシは前脚から崩れて横倒しになった。


 レオは近づかず、頭を低くしたまま様子を見ていた。

 リラが胸へ詰まっていた息を吐きかけた、そのときだった。


「リラ様!」


 ネロの叫びに、リラは顔を戻した。


 目の前で、黒い球が膨らんだ。

 横合いから飛んできた矢が、その中へ吸い込まれる。

 矢羽まで完全に沈んだ直後、少し離れた水際にもう一つの黒い球が開いた。


 尖った岩を右から迂回してきた襲撃者が、セナへ剣を振り上げていた。

 その斜め後ろに開いた黒い球から、消えたばかりの矢が勢いを落とさず飛び出した。


「あら、助かったわ」


 セナがネロへ短く視線を向けた。



 左の水際では、テトとトウカも襲撃者を牽制しながら応戦していた。


「増援が来る前に離れるぞ!」


 街道からカシウスの声が響いた。


 リラが木々の向こうへ目を向けると、数人が傷ついたチーターの巨体を、風輪車の中へ慎重に運んでいた。


「フレデリック、もう少し耐えてくれ」


 聞こえてきたランドルフの声は、わずかに震えていた。


「風輪車へ戻ります。急いで!」


 アルノは剣を手にしたまま、周囲を警戒していた。

 リラは木の根元へしゃがみ、ルナを籠へ戻して蓋を閉じた。

 籠を抱え、アルノとグレンの後に続いて走り出す頃には、猫たちも次々と風輪車へ向かい始めていた。


 風輪車へ近づくと、ランドルフとハロルドが中から降りてきた。

 二人が離れると、左側の扉が閉められ、右側だけが開いたままになった。

 開いた扉から、コレットが身を乗り出した。


「リラちゃん、相棒たちも怪我はない?」

「はい、ありません」

「怪我人を乗せてるから、リラちゃんだけ乗って! 急いで!」


 コレットが狭くなった入口から手を伸ばしてくる。

 リラは籠を片腕で抱え直し、その手を取ろうとした。


「カァ」


 すぐ頭上から、低い鳴き声が落ちてきた。

 リラが顔を上げると、風輪車の屋根際に一羽のカラスがいた。

 いつからそこにいたのか分からない。

 黒い羽をぴたりと畳み、じっとリラを見下ろしていた。


 直後、左から、何かが顔のすぐ前を横切った。

 硬い音とともに、一本の矢が、開いていた右側の扉へ深く突き刺さった。

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