23話 旅路
準備は滞りなく整い、翌朝には出立の時を迎えた。
リラは旅装の上に紺色のローブを羽織って、ルナたちと共に玄関の外へ向かった。
風輪車のそばでは、アルノを含む五人の騎士が、それぞれ相棒を伴って待機していた。
銀色の鎧に、毛皮の襟と紺の飾り布をあしらった揃いの冬用マント姿だ。
腕に鷹を止まらせた騎士と、別の騎士の傍らにいるチーターには見覚えがあった。
一方、金髪の騎士は初めて見る顔で、相棒の姿はマントの陰に隠れてよく見えない。
女性騎士の頭には、縞模様の長い尾を背へ垂らした小さな動物が乗っていた。
風輪車の先頭には、騎士たちの一団が出立を待っており、その中から、レグルスを伴ったカシウスがこちらへ歩いてきた。
「王都までは四、五日の旅になる。リラ殿はルナ殿たちと風輪車に乗ってくれ。周囲の護衛はアルノが指揮する」
「お任せください、リラ様」
アルノが短く応じ、リラたちを風輪車の後部へ案内した。
開いた扉からレオが真っ先に乗り込み、皆もその後に続いた。
リラも客室へ入ると、左右に長椅子が並び、窓には厚手のカーテンが備えられていた。
座席の上には、ルナが入るための籠も置かれていた。
腰を下ろして扉の方を見ると、外にはエレノアとリリアの姿があった。
「道中、困ったことがあれば遠慮せず伝えるのですよ」
「はい。色々教えてくださり、ありがとうございました」
座ったまま頭を下げかけ、リラは慌てて立ち上がろうとした。
「そのままで結構ですわ。お気をつけて」
エレノアの口元がわずかに緩んだ。
扉が閉じられると、窓のカーテンも引かれ、外の様子は分からなくなった。
外でカシウスの出発を告げる声が上がると、ほどなく風の唸る音が聞こえ、風輪車が動き始めた。
「おぉ……乗ってると、こんな感じなのか」
レオが踏ん張っていた前脚の力を抜くと、テトも座席へ飛び乗った。
「あたしも初めて。レオの背中より、ふかふかだね」
「貴族の方々がお使いになる車でございますから」
ネロの言葉に、レオがリラを見た。
「そういや、リラは王女なんだよな。まだ変な感じだな」
「ちゃんと練習したんだからね。挨拶だって、もうできるよ」
リラは背筋を伸ばし、膝の上で手を重ねた。
「でも、こうすればいつものリラだよ」
ルナがリラの膝へ飛び乗ると、胸元をよじ登って肩まで上がり、そのまま頬へ顔をすり寄せた。
「ちょっと、ルナ……」
「ぼくも!」
思わず姿勢を崩すと、それを合図にしたようにトウカが脇へ潜り込み、テトやセナも身を寄せた。
レオまで膝へ身体をすり寄せて、リラは笑いながら身をよじった。
「もう、くすぐったいってば」
昨日洗ってもらった皆の毛は、指がするりと通るほど滑らかだった。
ルナの頭へ頬を寄せると、ほのかにいい匂いがした。
「みんな、毛並みがきれいになったね」
「これからは、これくらいが普通よ」
セナが前脚の毛を舐めて整えた。
「身だしなみは大切でございます。ただ、毎度の湯浴みとなりますと……」
ネロが言い淀むと、トウカは耳を伏せた。
「うげーっ! 毎日水浴びだけは勘弁してね!」
「せっかく王都へ行くんだもの。きれいにして、華やかなお店も見てみたいわ」
セナの言葉に、足元のノエルが顔を上げた。
「僕は森が恋しいな。でも、王都にもあの庭園みたいな場所があれば、落ち着けそう」
「着いたら、みんなで探そうね」
リラはノエルの背を撫で、座席へ身体を預けた。
皆とこうしてのんびり話すのは、なんだか久しぶりな気がした。
最初の休憩で風輪車が停まると、リラはローブのフードを被り、ルナを籠へ入れた。
ほどなく金髪の騎士が後ろの扉を開けると、レオたちが次々に飛び降りていった。
彼は一歩脇へ退き、その様子を見送った。
「おっと、皆さん、お待ちかねでしたね。リラ様は、足元にお気をつけて」
騎士が気さくに笑って手を差し出した。
リラはその手を借り、風輪車を降りた。
「ルークです。乗り心地はいかがでした?」
「ほとんど揺れなくて、びっくりしました」
「それは良かった。ラッセル、聞いたか? 褒められたぞ」
マントの襟元から、茶褐色のマングースが細長い顔を覗かせ、リラへ鼻先を向けた。
ルークは、ラッセルの小さな頭を指で撫でると、風輪車の前へ戻っていった。
その後も何度か短い休憩を挟みながら、風輪車は走り続けた。
日が傾き始めた頃、一行は再び川沿いで足を止めた。
荷が下ろされ、騎士たちが天幕を張り始めた。
「ナディア、リラ様のそばに」
「はい」
朝に見かけた女性騎士が、リラの傍へやってきた。
「野営の準備が整うまで、こちらでお待ちください」
その頭の上では、猫を思わせる細身の小動物が、縞模様の長い尾を揺らしていた。
「その子、なんていう動物なんですか?」
「ジェネットです。名前はミレーヌ」
「ずっと、そこに乗ってるんですか?」
「気に入っているようで」
ミレーヌはナディアの頭から肩へ移ると、そこから軽やかに地面へ飛び降りた。
リラがしゃがんで目線を合わせると、テトとトウカも興味深そうに寄ってきた。
やがて三匹が何やらやり取りを始めると、リラもその様子を眺めながらナディアと言葉を交わした。
そうして過ごしているうちに、辺りには天幕が立ち、野営の準備も整っていた。
リラたちは皆の待つ焚き火へ向かった。
鍋からは湯気が上がり、食事が並べられていた。
夜は、天幕に敷いた毛布へ七匹と身を寄せた。
外で見張りの交代を告げる声がする中、リラは皆のぬくもりに触れたまま眠った。
旅に出て二日目の朝、風輪車の扉の前では、昨日見かけた黒髪の騎士が鷹を腕に止まらせていた。
リラが近づくと、彼は手を差し出した。
「足元にお気をつけください」
風輪車の前方から、出発の準備を終えたルークが顔を覗かせた。
「ハロルド、こっちは準備できたぞ」
「分かった。アーヴィン、先を頼む」
腕の鷹が短く鳴き、空へ舞い上がった。
二日目の昼、休憩場所でリラが食事を終えると、同行者たちの間を回っていた女性が近づいてきた。
肩には、赤褐色の毛をした小柄なフサオマキザルが乗っていた。
「リラ様、失礼いたします。お加減はいかがでしょう。何かお困りのことはございませんか?」
顔を上げたリラを見て、女性は「あ」と小さく声を漏らした。
「申し遅れました。私は衛生兵のコレットです。こちらは相棒のエンバーリーフ。エンバーと呼んでください」
「エンバーリーフって、燠葉草のことですか?」
コレットの目がぱっと輝いた。
「そうなの! あっ……燠葉草を知っているんですか?」
「はい。赤橙色の筋がある葉っぱで、水に沈めてから、茎の節のところで折らないと、灰になっちゃうんですよね」
コレットはますます目を輝かせた。
「採り方まで知ってるのね! ねえ、リラちゃんって呼んでもいい?」
「はい。私もコレットさんって呼んでいいですか?」
リラが答えると、コレットは嬉しそうに笑った。
「もちろんよ! じゃあ何かあったらすぐ言ってね」
立ち去ろうとしたところへ、すぐ近くから声がかかった。
「コレット、俺もちょっと疲れたな。回復薬を一本くれよ」
赤茶色の髪をした騎士がリラの隣まで来ると、肩をほぐすようにぐるりと回した。
頬には傷跡があったが、口元は笑っている。
「ランドルフ、さっきまで元気にお代わりしてたでしょう」
「食った食った。でも、その分ちゃんと働いただろ?」
「その元気があれば十分よ。水でも飲んでなさい」
コレットがそのまま歩いていくと、ランドルフはしゃがみ込み、足元のチーターへ顔を向けた。
チーターは大きくあくびをすると、そっぽを向いて少し離れていった。
「フレデリック、お前までそんな態度取るなって……」
ランドルフは困ったようにリラを見た。
「ひどいだろ? みんな俺の扱いが雑なんだ」
レオが堪えきれず愉快そうな声を漏らすと、リラもつられて笑った。
周りの猫たちも、楽しげに声を重ねた。
昼休憩を終えると、一行は再び街道を進んだ。
午後、何度目かの休憩で、風輪車は川沿いの開けた場所に停まった。
リラも皆と外へ降りた。
レオが大きく身体を伸ばす傍らで、セナは流れる水音へ耳を向け、そのまま川岸へ歩いていった。
浅い流れへ前脚を入れたところで、セナの動きが止まった。
片方の前脚を持ち上げ、落ちる雫を見つめてから、水面へ鼻先を近づけた。
「リラ。ちょっと待って」
「どうしたの?」
「水が……」
リラはルナの籠を提げたままそばへ寄り、セナの隣へしゃがんだ。
覗き込んでも、水底の石の間を砂が流れていくばかりだった。
「どうしました?」
アルノに声をかけられたが、リラはセナの様子を窺った。
「セナ、水がどうしたの?」
「気のせいかしら……今までの川では何ともなかったのに、この川だけ何か違うの」
「この川だけ? 何が違うんだろう……」
アルノはリラの言葉を聞き、水際へ目を凝らした。
グレンも周囲を見回したり、鼻先を動かしながら川を覗き込んだ。
リラももう一度川を見るが、陽の光が水面に散り、細かなきらめきとなって下流へ流れていくだけだった。
セナはもう一度だけ川へ前脚を伸ばした。
けれど、水面へ触れる直前で止め、そのまま静かに引いた。
「……やっぱり。この川、何か変よ」




