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白銀のリラ~猫に選ばれた王女~  作者: 鈴白澪
第2章 ヴァレリウス領
23/37

22話 整え

 朝の光が薄いカーテン越しに差し込む頃、リラはベッドの上でゆっくりと目を開けた。

 侍女の手でドレスに着替え、髪を整えてもらうと、寝室には焼きたてのパンの香りが満ちていた。

 皆と朝食を済ませて一息ついた頃、侍女からエレノアとアルノの来訪を告げられた。

 リラはドレスの裾を整え、七匹とともに隣の居間へ移った。


 やがて扉が開き、リリアを伴ったエレノアと、灰褐色の毛並みをしたコヨーテを連れたアルノが入ってきた。


「おはようございます。ヴァレリウス辺境伯夫人、アルノ様」


 リラは昨日教わった作法を思い出しながら礼をした。

 エレノアは穏やかに頷き、リリアもリラへ首を下げた。


「おはようございます、リラ様。こちら、相棒のグレンです」


 アルノが礼をして紹介すると、グレンは大きな耳をぴくりと動かし、彼の傍らで静かに腰を下ろした。


「では、少し昨日のおさらいをいたしましょう。その前に——」


 エレノアは、室内でくつろぎ始めた猫たちへ視線を向けた。


「相棒たちの毛並みを整えておきましょうか。侍女に湯浴みを任せてもよろしいかしら」


 リラは一瞬考えたあと、静かに頷いた。


「……お願いいたします」


 エレノアの合図で、準備を整えた侍女たちが居間へ入ってきた。


 最初に動いたのはセナだった。

 嫌がる様子もなく侍女のそばへ歩み寄り、促されるまま部屋を出ていった。

 しかし、セナを見送ると、部屋の空気は一変した。


「……嫌だ」

「オレもパスで」

 

 ノエルがローテーブルの下へ潜り込み、レオはソファへ前脚をかけたまま、踏ん張っていた。

 テトは侍女たちを躱しながら駆け回り、ネロは部屋の隅の影へ身を寄せていた。

 中でも、トウカの拒否は際立っていた。


「ぼ、ぼくはお水が嫌いなの。絶対に困る! 来ないで!」


 耳を伏せ、足元から小さな火花を散らしながら家具の隙間へ滑り込んだ。

 侍女たちは慌てずに近づき、しゃがんで手を差し入れた。


「あっ、待って、離して! リラ、助けてー!」


 トウカはあっという間に抱き上げられ、廊下の向こうへ運ばれていった。


「僕は、行かなくてもいいよね」


 当然のようにリラの隣へ座ったルナを見て、エレノアが少し困ったように微笑んだ。


「古き縁の祖であっても、身だしなみを整えることは必要ですのよ」

「ルナ、みんなと一緒に行ってきて。きれいにしてもらってきてね」

「……わかった」


 ルナも侍女に預けると、居間はようやく静けさを取り戻した。


「水が苦手ですと、なかなか手がかかりますわね」


 リラは苦笑するしかなかった。



 猫たちを湯浴みへ送り出したあと、そのまま居間で作法の復習が始まった。

 歩き方や姿勢、礼の仕方を確かめ、エレノアは必要なところだけを短く正した。


「午後は、私に付き従う侍女として出かけてもらいます」

「侍女……ですか?」

「現時点では、あなたの存在を公にするのは危険なのです。今日はアルノもおりますから、落ち着いて私についていらっしゃい」


 リラがアルノへ視線を向けると、彼は穏やかに微笑み、ゆっくりと頷いた。

 エレノアは、主人より先に口を開かないことや、呼ばれるまでは控えていることなどを簡潔に伝えた。


「では、昼食にいたしましょう。その後は目立たぬ装いに着替えて、森から持ってきたあの紺色のローブを羽織ってきなさい。髪もきちんと隠すのですよ」

「はい」


 昼食を終えると、リラは寝室へ戻り、外出の支度を整えた。

 目立たない服へ着替え、結い上げた白銀の髪を紺色のローブのフードへ丁寧に収めてもらった。


 玄関ホールへ向かうと、そこには数名の侍女とともに、一足先に身支度を終えたルナが待っていた。

 磨き上げられた白い毛は、いつも以上に柔らかく見えた。


「ルナ、すごいふわふわにしてもらったね!」


 ルナは少し疲れたように耳を伏せた。


「……出かけるなら、僕も行くよ」


 リラが一人の侍女から肩掛け鞄を受け取ると、ルナは自然な動作で中へ収まった。



 ルナの入った鞄を肩に掛けて外へ出ると、玄関前に停められた風輪車のそばでアルノとグレンが待っていた。


「アルノ様も、一緒に乗るんですか?」

「いえ、護衛ですからね。グレイドで車の外からついていきます」


 アルノは腰のケースから板状の道具を引き抜き、リラへ見せた。

 中央に青い魔石がはめ込まれたそれは、森で王都へ向かった騎士が乗っていったものと同じだった。


 リラがアルノたちと待っていると、エレノアが玄関から姿を見せた。

 リラは彼女に続いて風輪車へ乗り込んだ。


 やがて風輪車が風を纏って走り出すと、アルノはグレイドで斜め後ろにつき、周囲へ目を配りながら同行した。



 街へ入ると、窓越しに見えた景色に、リラは思わず息を呑んだ。

 森の近くにあった町とは、何もかもが違っていた。

 整然と敷かれた石畳の大通りに立派な店が並び、行き交う人々の服装も、店先に並ぶ品々も華やかだった。

 街全体が、洗練された賑わいに包まれていた。


 風輪車を降りると、エレノアが先に立ち、リラは侍女らしく半歩後ろについて歩いた。


 最初に立ち寄った衣類店では、リラが動きやすい服を望むと、エレノアは仕立てのよい上着と細身のズボンを組み合わせて選んだ。

 そのほかにドレスを数着、色を合わせた髪飾りや小物も揃えた。

 エレノアの見立てには迷いがなかった。


「道中は、この動きやすい服を着なさい。王都へ着いたら、こちらのドレスへ着替えるように」

「はい」


 新しい服を手に取るたび、これからさらに遠くへ行くのだという実感が少しずつ強くなった。


 店を出る前に、エレノアがリラの肩掛け鞄へ目を留めた。


「その鞄のままではいけませんね。旅は長くなります。中で楽に休めるものを選びましょう」


 続いて入った店で、エレノアが選んだのは、丸みを帯びた上品な手提げ籠だった。

 上部は格子状になっていて風が通り、その内側には目隠し用の柔らかな覆いがついていた。

 籠の中はふっくらとした詰め物で覆われ、底には厚みのあるクッションが敷かれていた。


「これなら、長旅でも楽に過ごせるでしょう」


 エレノアが蓋を開けて中を確かめると、リラも中へ手を入れ、ふかふかとした感触を確かめた。


「ルナが苦しくならないといいんですが」

「そのための作りですわ」


 エレノアが代金を支払うと、リラは新しい籠を大切そうに受け取った。


 最後に、ルナたちの食料を補うため、保存の利く品を扱う店へ立ち寄った。

 棚には乾燥させた肉や魚、穀物などが並んでいたが、ところどころ空いている場所が目についた。


 エレノアは店内を見回し、荷を整えていた店主へ声をかけた。


「いつもより品が少ないようだけれど、何かあったのかしら?」


 店主は手を止め、エレノアへ向き直った。


「はい、辺境伯夫人。ここ最近、仕入れが安定していないんです。西から来る便がずいぶん減っておりまして」

「ガルディアから?」

「はい。それに、雪が本格的に降り始めれば、さらに荷が入りにくくなって、今より品揃えも悪くなるかと」

「そう。それは困りましたね。七匹分の食料を、五日分ほど用意したいのだけれど、差し支えない範囲でお願いできるかしら」


 店主は棚を見渡すと、すぐに頷いた。


「分かりました。近くの店にも声をかけて集めてきます」

「お願いできる?」

「もちろんです。少々お待ちください、エレノア様」


 店主は奥へ声をかけると、足早に店を出ていった。



 買い物を終えて屋敷へ戻ると、玄関前には見覚えのある男が立っていた。

 風輪車から降りたエレノアが、その姿に目を留める。


「エドガー。戻ったのですね」


 呼ばれた男はすぐに姿勢を正し、拳を胸に当てて頭を下げた。


「はい。王都から戻りました。辺境伯閣下はご不在と伺いましたので、まずは奥方様へご報告を」

「ご苦労さまです。中で伺いましょう」


 エレノアがそう答えると、リリアが屋敷の入口付近にある石の支柱へ近づいた。

 埋め込まれた魔石へ鼻先を触れると淡い光が灯り、その身体が光の粒となって消えた。


「ルナ。先に戻っていてね」

「うん」


 リラが肩から下げていた鞄を開くと、ルナが中から飛び降りた。

 リリアのあとを追って魔石へ前脚を触れ、白い姿が光の中へ消えていった。

 それを見届けてから、リラもエレノアたちと屋敷へ入った。


「王都からは、できるだけ早くリラ様をお連れするようにとのお返事をいただきました」

「王都側も、受け入れの準備を進めているのですね」

「はい。道中の手配についても、確認を取っております」


 エドガーの報告を聞いたエレノアは、リラへ向き直った。


「今日揃えたもののほかに、運ぶ荷物はどのくらいありますか」

「森からこちらへ来たとき、荷物は騎士の方に預けたきりで、その後どうなったかは分かりません」

「そうでしたか。では確認しておきましょう」


 エレノアはアルノへ視線を向けた。

 彼が小さく頷くのを確かめると、再びリラへ向き直った。


「順調に準備が整えば、明日には出立することになるでしょう」


 王都へ向かう旅が、いよいよ現実のものになった。

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