18話 問い
食堂を出たリラは、皆を伴って静かな廊下を進んだ。
書斎の前まで来ると、カシウスは控えていた使用人へ短く視線を向けた。
「人払いを」
使用人は黙って一礼すると、その場を離れていった。
それを見届けたカシウスが扉を開いた。
開かれた扉の先は、高い壁を埋め尽くすような本棚に、背表紙の擦り切れた分厚い本がぎっしりと並ぶ書斎だった。
窓際には大きな執務机が据えられており、その上にはいくつかの書類の山と、開きかけの本が乱雑に置かれていた。
その手前には長いテーブルを挟むように、革張りの長椅子が向かい合わせに置かれていた。
カシウスに促され、リラはその片方へ腰掛けた。
ルナが隣へ飛び乗り、向かい側ではレグルスがカシウスの傍らへ伏せた。
レオたちもそれぞれ落ち着けそうな場所を見つけ、思い思いに身を休めた。
皆が落ち着いたのを確かめると、カシウスが口を開いた。
「さて……リラ殿から聞きたいことはあるかね」
「私から?」
「あぁ。何でも構わない」
リラは膝の上で指を組み、少し考えた。
やがて頭に浮かんだのは、あの日のことだった。
「どうして、私を探していたんですか?」
突然現れた人たちに追われ、住み慣れた家を離れることになった。
どうして自分たちが追われなければならなかったのか、ずっと分からないままだった。
「始まりは、町から届いた報告だ。猫によく似た生物を連れた少女を見た者がいる、と」
「猫によく似た……」
リラは少し離れた場所で横になっていたレオへ目を向けた。
レオは気にした様子もなく毛づくろいを続けていたが、耳だけがぴくりと動いた。
「レオのことですか?」
リラがカシウスへ視線を戻すと、彼は静かに頷いた。
「おそらくは」
「でも、それだけで私を探したんですか?」
「それだけで十分だった。猫が人と行動を共にしているなど、今ではまずあり得ないことだからな」
思ってもみなかった答えに、リラは首を傾げた。
「どうしてですか?」
「かつては、猫が人と特別な縁を結び、共に生きていた時代もあった。だが、それも遠い昔のことだ」
「今は、いないんですか?」
「あぁ。そうした記録は、もう何百年も前に途絶えている」
リラはルナたちを順番に見た。
いつも傍にいる皆との暮らしが、外の世界では当たり前ではなかったらしい。
「だから、私たちのことを探していたんですね」
「そういうことだ」
ひとつ分かると、今度は別の疑問が浮かんだ。
「でも、どうして私が森にいるって分かったんですか?」
「町で調べた。君の行きつけの、よろず屋にも話を聞いている」
「よろず屋に……?」
「手荒な真似はしていない。そこは安心してくれ」
リラはほっと息をついた。
「私たちは訓練などで、これまでにも深翠の森へ入っている。あの辺りにも何度か足を運んでいるが、以前は人の住む家などなかったはずなのだ」
「なかった?」
「そうだ。だが、今回森を進んだ先には家があった」
リラは咄嗟に、扉の近くの壁際に座っていたネロへ目を向けた。
視線に気づいたネロは、何も言わずにゆっくりと瞬きを返した。
「中はすでにもぬけの殻だった。勝手ながら立ち入らせてもらったが、複数の猫が暮らしていた痕跡が残っていた。毛や足跡、それに匂いもな」
「それで、私たちがいたって分かったんですか?」
「あぁ。ただ、その時点では、町で目撃された少女が本当に猫たちと特別な縁を結んでいるのか、それとも何らかの方法で無理に従わせているのかまでは分からなかった」
森で騎士に向けられた疑いを思い出し、リラは眉を寄せた。
「無理に……?」
「もし不当な方法で従わせているのであれば、猫たちを保護する必要がある。相手が少女だと分かっていても、放置するわけにはいかなかった」
あの日、森を囲んでいた大勢の人たちを思い出し、リラはようやくひとつの答えに辿り着いた。
「……だから、あんなに大勢で囲んだんですか?」
「そうだ」
カシウスは胸元へ片手を添えると、リラへ深く頭を垂れた。
「結果として、リラ殿と皆を追い詰めることになった。申し訳なかった」
「……顔を上げてください。もう、理由は分かりましたから」
カシウスがゆっくりと顔を上げた。
「そういえば、カシウスさんが私を見たときのことを思い出したんですけど、この髪色って何か意味があるんでしょうか?」
リラは自分の髪へそっと触れた。
「ルナたちにも、ずっと人には見せない方がいいって言われていて……気になっていたんです」
カシウスはしばらくその白銀の髪を見つめていた。
「白銀の髪そのものについては、古い伝承にも残されている。だが、私があのとき驚いたのには、別の理由がある」
「別の理由……?」
カシウスはリラを見つめたまま、しばらく答えなかった。
やがて静かに視線を外すと、ゆっくりと立ち上がり、窓辺へ歩み寄った。
外を見つめたまま背中で両手を組み、短く息をついた。
「十一年前、フェリシテ王国で一人の王女が生まれた。だが、出産に伴い王妃と王女の双方が亡くなったと公表された」
リラは窓辺に立つカシウスの背中を見つめながら、黙って続きを待った。
「我が国の王妃殿下は、その報せを鵜呑みにはされなかった。改めて調査したところ、フェリシテの王妃とその相棒が王城ではなく森で亡くなっていたことが分かった」
「森で……?」
「あぁ。だが、そこには王女が亡くなった痕跡はなかった」
リラはわずかに眉を寄せた。
「じゃあ……王女が亡くなったっていうのは?」
「フェリシテ王国の発表と、我々が確認した事実には相違があったということだ」
カシウスは窓の外へ目を向けたまま、続けた。
「それ以来、我々は王女が生きている可能性を捨てずに探してきた。そして十一年後、白銀の髪と左右で異なる瞳を持つ少女が現れた。その特徴は、当時の王女のものと一致している」
そこでカシウスが振り返り、まっすぐに向けられた視線にリラは息を呑んだ。
「リラ殿。あなたが、その王女だ」
リラはしばらく何も言えなかった。
王女と言われても、すぐには自分のことだと思えなかった。
それよりも、先ほど聞いたことの方が気になった。
「……お母さんは、亡くなっているんですね」
顔も、声も覚えていない。
けれど、もう会うことはできないのだと思うと、胸が少しだけ痛んだ。
隣にいたルナが、そんなリラを見上げた。
「その人は、最後まであきらめなかったよ」
「……え?」
「君を守ることをね」
リラは目を見開いた。
ルナが母のことを話したのは、これが初めてだった。




