17話 館
視界に飛び込んできたのは、見慣れた森の家の梁ではなく、白く滑らかに整えられた高い天井だった。
「……え?」
リラは慌てて身を起こした。
肌に触れるシーツは驚くほど柔らかく、部屋の隅には繊細な彫刻が施された木製の調度品が並んでいた。
昨夜、風輪車に乗って森を離れたことまでは覚えていたけれど、揺られているうちに眠ってしまったらしく、そこから先の記憶はなかった。
「リラ様、お目覚めでございますか」
すぐそばから聞こえた穏やかな声に振り向くと、ネロが静かにこちらを見つめていた。
「ネロ……おはよう。ここは?」
「ヴァレリウス卿のお屋敷にございます。昨夜はひどくお疲れのようでしたので、風輪車からこちらのお部屋までお運びいただきました」
ネロの変わらない声を聞いた途端、強張っていた肩から少し力が抜けた。
辺りを見回すと、部屋のあちこちで丸くなっていた皆も、それぞれ身体を起こし始めていた。
「ふぁ~あ……ここ、すげぇふかふかで最高の寝心地だったぜ」
大きく伸びをしながら、レオが顔を上げた。
「おはよー、リラ! ぼく、お腹空いたよ!」
トウカが元気よく飛び起きると、近くにいたセナがその背中を一瞥した。
「トウカはどこでも変わらないわね」
窓辺ではテトが身体を伸ばし、その傍ではノエルもゆっくりと身を起こしていた。そして枕元には、ルナがいつもと変わらない青い瞳でリラを見上げていた。
「おはよう、リラ。よく眠れたかい?」
「うん。みんな、おはよう」
見回せば、七匹ともちゃんと揃っていた。
昨日までいた森の家ではなかったけれど、いつもの皆が変わらず傍にいるだけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。
しばらくして、控えめなノックの音が響いた。
「失礼いたします。お目覚めでしょうか」
扉を開けて入ってきた一人の侍女は、リラの姿を確かめると、丁寧に一礼した。
「リラ様、お召し替えと身支度の準備が整っております。どうぞこちらへ」
「え、あ……はい」
促されるまま立ち上がったものの、何をされるのか分からず、リラは戸惑いながら侍女の後についていった。
用意されていた湯で身体を拭われ、新しい衣服へ袖を通した。
誰かに身支度を整えてもらうのは初めてで、何もせずじっとしていることが、かえって落ち着かなかった。
柔らかな布地が肌へ馴染み、白銀の髪を丁寧に梳かされていくうちに、慣れない身支度への戸惑いも次第に和らいでいった。
最後に、外していた深い青緑の編み紐を手首へ結び直してもらった。
身支度を終えると、皆とともに侍女の後について長い廊下を歩き、食堂へ向かった。
食堂へ入ると、大きな縦長の窓から朝の柔らかな光が差し込み、室内を明るく照らしていた。
「リラ殿、よく眠れたかね」
部屋の奥から声をかけたカシウスの足元には、昨日も見かけた大きなピューマが伏せていた。
「はい、よく眠れました。昨日は、ありがとうございました」
リラが緊張しながら頭を下げると、カシウスは穏やかにうなずき、向かいの席を勧めた。
促されて腰を下ろすと、猫たちもそれぞれ近くに居場所を見つけ、ルナはいつものようにリラの膝へ収まった。
ほどなくして、控えていた使用人たちが手際よく食事の支度を始めた。
「昨夜は冷え込んだが、部屋は寒くなかったかね」
「はい、とても心地良かったです」
昨日、森で向き合ったときとは違う穏やかな様子に、リラの緊張も少しずつ和らいでいった。
カシウスは足元へ手を伸ばし、ピューマの背をゆっくりと撫でた。
「そういえば、まだ紹介していなかったな。私の相棒で、レグルスという」
名を呼ばれたレグルスが静かに頭を上げた。
「よろしくお願いします」
リラが頭を下げると、レグルスは小さく喉を鳴らし、ゆったりと瞬きを返した。
「あっ、私もまだ紹介していませんでした」
リラは慌てて皆を見回した。
「ルナ、レオ、セナ、トウカ、ノエル、テト、ネロです。みんな、ずっと一緒に暮らしている大切な家族です」
「そうか。皆、リラ殿にとって大事な存在なのだな」
カシウスは穏やかに目を細めた。
「では、リラ殿の家族にも食事を用意させよう。何が好みか伺っても?」
カシウスが皆へ目を向けると、レオが真っ先に顔を上げた。
「肉だ。多ければ多いほど良い」
「ぼくも!」
「あたしも!」
トウカとテトも続いて身を乗り出した。
「私は、お魚がいいわ。焼き加減の良いものを」
セナがちらりとトウカへ目を向けると、トウカの耳がぴくりと動き、尾が不満そうに揺れた。
「僕は、何でも」
「温まるものを頂けますかな?」
ノエルとネロもそれぞれ希望を伝えた。
皆が希望を伝え終えると、レグルスがふいに低く喉を鳴らした。
カシウスはその声に耳を傾けたあと、最後にルナへ視線を向けた。
「ルナ殿は?」
ルナは青い瞳をわずかに細めた。
「僕はリラのを少しもらうからいいよ」
ルナが答えると、食卓の周りで動いていた使用人たちが一斉に手を止めた。
リラの前へ皿を運んでいた侍女も目を見開き、ルナを見つめていた。
突然の反応に、リラは訳が分からないまま首を傾げた。
カシウスは特に驚いた様子もなく、近くの使用人へ声をかけた。
「肉を多めに。それと焼き魚を一品。温まるものも頼む」
「は、はい。ただいま!」
使用人は慌てて一礼すると、足早に厨房へ向かった。
やがて運ばれてきた料理からは湯気が立ちのぼり、香ばしい匂いが食卓いっぱいに広がった。
リラも皆とともに、温かな食事をゆっくりと口に運んだ。
食事を終えると、使用人たちが手際よく食器を下げていった。
カシウスは手元のお茶を一口飲んでから、リラへ視線を向けた。
「さて。場所を移して、少し話そうか」
「お話しですか?」
リラは膝の上で丸くなっていたルナへ、そっと手を添えた。
「あぁ。お互いに聞きたいことがあるだろう」
カシウスが立ち上がると、その言葉にリラの背筋が自然と伸びた。
膝の上で目を閉じていたルナも身を起こし、軽やかに床へ降りた。
聞きたいことは、たくさんあった。
けれど、いざ答えてもらえるのだと思うと、何から聞けばいいのか分からなくなってしまった。
リラがルナへ目を向けると、ルナは迷う様子もなくカシウスのあとを追って歩き出していた。
リラも慌てて席を立ち、そのあとへ続いた。




