15話 共に
家を囲んでいた騎士たちの輪が解かれていくのを見て、リラは胸に溜めていた息をそっと吐き出した。
目の前では、カシウスがまだ片膝をついたままリラを見上げていた。
その視線がしばらくリラの顔に留まり、やがてカシウスがわずかに眉を寄せた。
「どうかしましたか?」
「いや、ひとつだけ頼んでもいいだろうか」
「なんですか?」
「一度だけ、そのフードを外してもらえないだろうか」
リラは思わずフードの縁へ手を添えた。
「……どうしてですか?」
「どうにも君の顔を、はっきり捉えられなくてな。そのローブ、何かの魔導具か?」
「リラ、外していいよ。僕が見ている」
ルナの言葉に、リラは足元へ籠を置き、ゆっくりとフードを後ろへ落とした。
白銀の髪と左右で色の異なる瞳が露わになった途端、カシウスは目を見開いた。
「……そうであったか」
低く漏らすと、胸元へ片手を添え、静かに頭を垂れた。
「あの……?」
「……失礼した。もうフードを戻してくれ」
何のことか分からないまま、リラはフードを深く被った。
カシウスはそれを見届けると、ルナへ視線を向けた。
「古き縁の祖よ。フェリシテ王国以外に、警戒すべき相手はいるか?」
ルナは少し考えてから答えた。
「今のところはない。ただ、一昨日、鳥に囲まれた。恐らくロウェル王国にはもう伝わっているだろう」
「ロウェルにもか……承知した」
カシウスは立ち上がると、騎士たちへ向き直った。翻ったマントが背後で大きく揺れた。
「移動時の警護を最大限に引き上げる。前後左右を固め、周囲の異変を見逃すな」
「はっ!」
騎士たちは一斉に応じると、それぞれの持ち場へ散っていった。
「あの、どうして……」
リラが尋ねると、カシウスは振り返り、少しだけ表情を和らげた。
「詳しい話は屋敷でしよう。今は、君たちの安全を優先させてほしい」
リラは戸惑いを残したまま、小さく頷いた。
カシウスはリラの返事を見届けると、一人の騎士を呼び寄せた。
「エドガー」
進み出た若い男は、仕立ての良い外套を羽織り、肩には一匹のフェレットを乗せていた。
腰には一振りの剣と、幅広の鞘にも似た細長いケースが下がっていた。
「王都へ伝えろ――無事を確認し、保護した、と」
「御意に」
エドガーは腰のケースから細長い金属板を引き抜いた。
肩のフェレットはその動きを見るなり、慣れた様子で胸元へ潜り込んだ。
板の中央にはめ込まれた青い魔石が光を帯び、表面に刻まれた複雑な模様が淡く輝いた。
すると、エドガーが片手で支えていた板が前へ引かれるように動き始めた。
エドガーもすぐさま駆け出し、片手で板を導きながら数歩で速度を合わせた。
地面を蹴って滑り込むように両足を乗せ、青い光が一際強くなったところで、エドガーはようやく手を離した。
身体をわずかに傾けた途端、速度が一気に増し、まるで風の波に乗るように木々の間を駆けていった。
「すごい……」
リラがその姿を見送っていると、カシウスが森の開けた場所へ身体を向けた。
「我々も出発しよう」
その先には、見たこともない大きな乗り物が停まっていた。
前方には屋根に覆われた二人掛けの座席があり、その後ろには四角く頑丈そうな客室が続いていた。
四つの大きな車輪の内側には、細い金属板が中心から放射状に並んでいた。
「あの、これは?」
「風輪車だ。これで私の屋敷へ向かおう」
カシウスはピューマとともに、先に風輪車の入口へ向かった。
その背中を見送ってから、リラは自分の周りに残った皆を見回し、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「みんな、勝手に決めちゃってごめん。でも、見つかっちゃいけない人から逃げ続けるより、カシウスさんについて行った方がきっと安全だと思う。私は行ってみたい。みんなはどうしたい?」
レオがふっと鼻を鳴らした。
「何を今さら聞いてんだ。リラが行くなら、オレも行く。それだけだろ」
「私も賛成よ。安心して休める場所の方がいいわ」
セナが答えると、ノエルとネロもリラの足元へ身体を寄せた。
「僕も一緒に行くよ」
「私も異存ございません」
木の上にいたテトも枝から飛び降り、リラの元へ駆け寄った。
「あたしも行く!」
「ぼくも行くよ。……なんかお腹すいちゃった」
トウカの言葉に、リラは思わず小さく笑った。
最後にルナが穏やかに目を細めた。
「なら、行こう。森の外へ」
リラたちが風輪車へ歩みを進めたそのとき、カシウスの傍らにいた大きなピューマが、レオへ視線を向けて低く喉を鳴らした。
「あ?」
レオの耳がぴくりと動いた。
しばらくピューマを見返していた金色の瞳が、やがて楽しげに細められた。
「はっ、おもしれぇ。リラ、オレはこいつと走ってくる」
「えっ?」
「え、面白そう! あたしレオに乗っててもいい?」
リラが止める間もなく、テトがレオの背へひらりと飛び乗った。
「おい、振り落とされても知らねぇぞ?」
「大丈夫、大丈夫!」
楽しそうに尾を揺らすレオとテトを見て、リラは困ったように笑った。
近くにいた騎士へ籠と肩掛け鞄を預け、リラもルナたちと風輪車へ乗り込んだ。
席につくと、ルナがすぐに膝の上へ収まった。
やがて前方から低い風の唸りが響き、車体がかすかに震え始め、風輪車はゆっくりと動き出した。
リラが窓の外へ目を向けると、木々の高い枝に一羽の大きな鷲が留まっていた。
鷲はじっとこちらを見下ろしていた。
いつから、そこにいたのだろう。
やがて鷲は大きく翼を広げると、木々の上へ舞い上がり、そのまま森の向こうへ飛び去っていった。
鷲の姿を追っていたリラが視線を下ろすと、大きなピューマとレオが並んで地面を蹴っていた。
二匹は競うように速度を上げ、レオの背ではテトが振り落とされまいとしがみつきながら、楽しそうな声を上げていた。
その姿にリラも小さく笑い、流れていく景色へ目を戻した。
窓の向こうを、何度も歩いた森の道が次々と通り過ぎていった。
薬草を採りに出かけた場所も、皆と遊んだ場所も、どれも物心ついた頃から見慣れていた景色だった。
家の姿はもう見えなかったが、どのあたりにあるのかは分かった。
朝になれば皆で食卓を囲み、夜になれば暖炉の火の傍で過ごした。
いつだって帰ればそこにあった家へ、もう戻れないのかもしれない。
そう思うと、胸の奥がきゅっと痛んだ。
やがて木々が途切れ、今度は見慣れた町並みが窓の向こうに現れた。
何度も歩いた道や、いつものよろず屋が、今日は風輪車の窓越しに流れていった。
町へ来るたび、帰る先はいつも森だった。
けれど今日は、その町さえも通り過ぎていった。
振り返った先で、町は少しずつ小さくなり、その向こうに広がる森とともに遠い景色へ溶け込んでいった。
膝の上で、ルナは何も言わずにそっと身体を寄せ、小さく喉を鳴らした。
リラはその白い背中へ手を添え、遠ざかっていく森をもう一度だけ見つめると、ゆっくりと前を向いた。




