10話 波紋
町を抜け、森の境界へ戻ると、ノエルが道の脇で待っていた。
「リラ、おかえり。レオ、約束通りだよ」
ノエルはそう言うと、右の前脚で地面を軽く踏んだ。
その途端、ノエルの背後にあった土壁が音を立てて崩れ、向こう側から巨大な薪の山が姿を現した。
薪は何本もの蔓で固く束ねられ、手前には引いて運べるよう大きな輪が作られていた。
「わぁ、すごい。ノエル、ひとりでこんなに集めたの?」
リラが感心しながら頭を撫でると、ノエルは気持ちよさそうに目を細め、それからレオへ金緑色の瞳を向けた。
「うん。レオが競争だって言うから、負けたくなくて」
「げっ……お前、魔法使ったな?」
「帰りは全部運んでくれるって言ったのはレオだよ。ちゃんと引けるようにしておいたからね」
「おいおい……これ全部、オレ一匹で運べってのか?」
レオは薪の山を見上げて低く唸った。
蔓の輪へ身体を通し、前へ進もうとしたが、薪の束は地面をわずかに擦って動いただけだった。
「……待てよ。オレも風を使えばいいじゃねぇか」
レオが薪へ目を向けると、巻き起こった風が巨大な束を包んだ。
一度はふわりと浮き上がったものの、すぐに地面すれすれまで沈み、レオの足取りも重いままだった。
「ぜっ……全然軽くならねぇ……っ」
「レオ、頑張ってね」
「お前も持てよ……っ!」
涼しい顔で歩くノエルと、必死に薪を浮かせながら進むレオがおかしくて、リラは帰り道で何度も笑ってしまった。
家へ着く頃には、レオは肩を上下させながら何度も荒い息を吐き、家の裏で薪を下ろすと、その場にべたりと伏せた。
家の中へ入ると、保存の利く食料や木の実があちこちに並んでいた。
「これ、みんなが集めたの?」
「うん! リラたちが出かけてる間に、ぼくたちも冬支度してたんだよ」
トウカが嬉しそうに答えた。
その夜の食卓には、セナが獲ってきた川魚の塩焼きや、トウカが拾ったクルミを使った香ばしいパン、テトが仕留めた獲物の煮込みが並んだ。
皆が今日の出来事を話す中、リラは思い出したように深い紺色のローブを籠から取り出した。
「そうだ。これ、キャラバンの人にもらったの。レオの話を聞かせてほしいって言われて、それで」
食事をしていた皆の動きが、わずかに止まった。
「話をしただけで、これをくださったのですか?」
ネロがローブを見つめる。
「うん。最初は買えないって言ったんだけど、話を聞いたら、私に持っていてほしいって」
ルナはしばらく黙ったまま、ローブへ青い瞳を向けていた。
やがて目を細め、表地から夜空のように輝く裏地まで確かめるようにじっと見つめた。
「リラ。少し羽織ってみてくれるかい?」
「うん」
リラはローブを肩へ掛け、前を合わせた。
「どう?」
最初に首を傾げたのはセナだった。
「……なんだか変ね」
「うん。リラの魔力が少なくなったみたい」
トウカも不思議そうに鼻先を動かした。
「少なくなったわけじゃないよ」
ルナはリラから目を離さないまま答えた。
「そこにある魔力を、外から感じ取りにくくしているんだ。ネロ、お前はどう感じる?」
「意識して探れば捉えられますが……何も知らずにすれ違えば、見落とすやもしれません。周囲の魔力に紛れるようでございます」
リラは驚いて自分の胸元へ手を当てた。
「魔法のローブなの?」
「そのようだね。リラ、今度はフードを被ってみて」
ルナに言われた通り、リラは深い紺色のフードを頭から被った。
「あれ?」
テトがぱちりと目を瞬いた。
「リラじゃない子に見えるよ!」
「ぼくも!」
トウカが身を乗り出した。
「でも……よく見たら、ちゃんとリラだね」
ノエルがじっとリラを見つめて言った。
「姿そのものを変えているわけじゃないみたいだ」
ルナはようやく視線を緩めた。
「周りから姿を認識されにくくする力もあるんだろうね。フードを被ることで、その効果が現れるようだ」
「すごい……」
リラはフードの縁を指先でつまみ、裏側に広がる夜空のような輝きを見上げた。
「でも、どうしてあの人がこんなものを私に……」
誰も、すぐには答えなかった。
————
リラが眠りについたあと、居間にはルナとレオ、ネロが残っていた。
暖炉にはまだ赤い火が残り、三匹の影が壁に揺れていた。
「レオ。あの牛とは何を話したんだい?」
ルナが尋ねると、レオは前脚を伸ばしてから答えた。
「あいつら、ガルディアから旅に出て、ずっと各国を回ってたらしい。今は国へ戻る途中だとよ」
「各国を、ですか。なら、耳にしている話も多そうですね」
「ああ。異国じゃ王族と顔を合わせたこともあるってよ。フェリシテの事情も知ってた。主はリラを見て、何か察したんじゃねぇかってさ」
ネロが傍らに置かれたローブへ視線を落とした。
「その人物が、このような品を迷いなくリラ様へ渡したとなれば、偶然で片づけるには出来すぎておりますな」
「何をどこまで知っているのかは分からない」
ルナは静かに答え、しばらくローブを見つめていた。
「少なくとも、リラへ危害を加えるためのものではなさそうだ」
「だろうな。あの牛からも妙な感じはしなかったぜ」
「それでも用心はしておこう。ネロ、今夜は町へ続く道を見てきてくれるかい?」
「承知いたしました」
ネロは一礼すると、足元の影へ溶け込むように姿を消した。
————
同じ頃、よろず屋では、店主が帳簿を前に何度もため息を吐いていた。
カウンターの上には、その朝リラから買い取った黎明の雫が置かれており、薬瓶の中では青白い光が暗がりの中で静かに瞬いていた。
カラン、カラン。
不意に、扉へ吊るされた真鍮の鈴が鳴った。
入ってきたのは、仕立ての良い外套を羽織った男だった。
外套の隙間からは腰に下げた剣の柄が覗き、肩の上では一匹のフェレットが落ち着きなく動き回っていた。
「こんな夜更けにすまない。少し、珍しい魔石を買い取ってほしくてね」
男は穏やかな笑みを浮かべ、小さな袋をカウンターへ置いた。
「ついでに、この辺りで採れる質の良い薬草でも教えてもらえると助かる。土産にしたいのだが、おすすめはあるかい?」
「薬草なら、そこの棚だ。今の時期なら、その辺りがいいだろう」
店主が壁際の棚を指差すと、男はそちらへ目を向けた。
だが、その視線はすぐにカウンターの端へ移った。
「……ほう。見事な黎明の雫だ。これほどのものを持ち込める採集人がいるとはね」
店主は答えず、袋から魔石をひとつ取り出して光にかざした。
「どんな人物なんだい?」
店主の手がわずかに止まった。
穏やかな口調は変わらなかった。
それでも、男が何かを探っていたことだけは分かった。
下手な嘘をつけば、かえって怪しまれる——店主はそう直感した。
「……深翠の森に住んでる薬草採りの娘だよ。まだ若い。とんでもなくでかい猫を連れてたな。最初は豹かと思ったくらいだ」
「そうか」
男はそれ以上尋ねなかった。
店主は魔石を鑑定して値を告げると、男が選んだ薬草をいくつか包み、その代金を差し引いた分の硬貨と共に差し出した。
「ありがとう。良い買い物ができたよ」
「深翠の森はやめときな。あんたも知ってるだろうが、あそこは酔うぞ」
男は薬草の包みを受け取り、扉へ向かった。
手を掛けたところで足を止めると、静かに振り返る。
「ご忠告、痛み入るよ」
そう言って首元から細い鎖を引き出した。
その先で揺れた銀の飾りに刻まれた紋章を見た瞬間、店主は息を呑んだ。
ヴァレリウス辺境伯家の紋章だった。
男は店主の反応を確かめると、ネックレスを外套の内側へ戻し、そのまま店を出ていった。
扉が閉じると、店主は力が抜けたように椅子へ腰を落とした。
「……クソが」
ヴァレリウス辺境伯家が、あの娘を探していた。
この土地を治めるあの家なら、深翠の森へ入る備えもあるだろう。
見つかるまで、そう時間はかからない。
店主は窓の向こうに広がる夜の森を見つめた。
「逃げるなら、急ぎな」




