9話 備え
靴屋を出る頃には、町にも少しずつ人が増え、賑わい始めていた。
すれ違う人々は、先日レオと共に町へ出たときと同じように、驚いた様子でこちらへ視線を向けていた。
リラたちは新しい靴のほか、鞄や採取用のナイフを買い揃え、途中で保存の利く食料や皆への土産も買い込んだ。
けれど、外套だけは気に入るものが見つからなかった。
良さそうな店はないかと周囲を見渡していると、向こうから小さな猿を肩に乗せた男が歩いてきたので、リラは思い切って声をかけた。
「すみません。丈夫なマントやローブを扱っているお店を知りませんか?」
男が答えるより早く、肩の猿がリラたちを見て鋭い声を上げた。
「キキキッ!」
「うわっ、どうした?」
猿は男の腕へしがみつき、身を縮めた。
男は戸惑いながらその背を撫でると、広場の方を指差した。
「ローブなら、今ちょうどキャラバンが来てるぜ。あっちへ行ってみるといい」
「ありがとうございます」
礼を告げると、男は猿を宥めながら足早に去っていった。
教えられた広場の端には、ひときわ大きな荷車が停まっていた。
荷車というより、小さな家をそのまま車輪の上へ載せたような造りだった。
入口のそばで桶の水を静かに飲んでいた大きな角を持つ灰角牛が、リラたちに気づいてゆっくりと顔を上げた。
牛はしばらくレオを見つめたあと、リラへ視線を移した。
「モォ」
低く一声鳴くと、再び桶へ鼻先を下ろした。
町で出会った動物たちとは違う落ち着いた反応に、リラはわずかに肩の力を抜いた。
「ようこそ、お嬢さん」
扉が開き、中から年配の男が姿を現した。
見たこともない刺繍が施された重厚な外套を羽織り、白髪の混じった髭を短く整えていた。
男はリラを見ると、フードの隙間から覗いた白銀の髪へ目を留めた。
一瞬だけ目を見開き、そのまま隣に立つレオへ視線を移した。
「驚いたな。そちらの連れは……猫、か?」
「はい。レオと言います」
男は顎に手を添え、しばらくレオを眺めてからリラへ向き直った。
「それで、お嬢さん。何かお探しかな?」
「丈夫で、長く使えるマントやローブを探しているんです」
「それなら、ひとつ見てもらいたいものがある」
男はそう言って荷車の中へ戻った。
リラとレオが男に続いて中へ入ると、思わず足が止まった。
外から見た車体よりも、明らかに奥行きがあった。
壁際には見たことのない布や道具、乾燥した香草や薬瓶が所狭しと並んでいた。
「わぁ……外から見たときより広いね!」
「おぉ。こりゃ見た目じゃ分かんねぇな」
レオも興味深そうに辺りを見回した。
その間に、男は奥から深い紺色の布を抱えて戻ると、リラの前で一着のローブを広げた。
落ち着いた紺色の表地とは対照的に、覗いた裏地には青白い光が細かく揺らめき、夜空に散った星々のように瞬いていた。
「これは、旅人の身を守るために仕立てられたものだ。丈夫で雨風にも強い。君には、きっと役に立つだろう」
「素敵……でも、こんなに立派なもの、私の手持ちじゃとても」
リラが鞄から革袋を取り出すと、男はそれに目も向けず、わずかに笑った。
「それなら、代わりにひとつ話を聞かせてもらえないか」
「話、ですか?」
「ああ。猫と共に歩む者の話を、ぜひ聞いてみたい」
レオは退屈そうに耳を動かすと、入口の方へ顔を向けた。
「じゃあ、オレは外であいつと話してくるぜ。ここなら大丈夫そうだしな」
「え? 分かった」
レオはそう言うと外へ出て、先ほどの牛の方へ歩いていった。
リラは少し戸惑ったものの、男の穏やかな眼差しに促され、口を開いた。
「レオは、とっても頼りになるんです。ちょっと口は悪いけど、すごく優しくて」
思い浮かべるだけで笑みが零れた。
リラは、森で獲物を追いかけたことや、危ないときには必ず自分の前へ出てくれること、大きな身体に似合わず意外なところで子どもっぽい一面があることを楽しそうに話した。
男は時折相槌を打ちながら、リラの話に熱心に耳を傾けていた。
「レオだけじゃなくて、うちには食いしん坊さんが何匹もいるから、今日もたくさん食料を買って――」
男の表情が、わずかに変わった。
「……何匹も?」
その呟きとほとんど同時に、鞄の中でルナがぴくりと動いた。
「あっ」
リラはようやく何かまずいことを口にしたのだと気づき、慌てて口を噤んだ。
男はそれ以上問いかけなかった。
ただ、先ほどまでとは違う眼差しでリラを見つめると、その視線を左右で色の異なる瞳へゆっくりと移した。
「……あの、お話はこれくらいでいいですか? そろそろ帰らなくちゃいけなくて」
居心地の悪さを覚えて身を引くと、男は我に返ったように瞬きをした。
「ああ、すまない。あまりに興味深い話だったものでね」
男は深い紺色のローブを丁寧に畳み、リラへ差し出した。
「ありがとう、お嬢さん。これは大切に使いなさい」
「でも、本当にいただいていいんですか?」
「ああ。話を聞いて、これは君が持つべきものだと思ってね」
「……ありがとうございます。大切にします」
頭を下げ、リラは荷車を出た。
扉のすぐ外では、レオが大きな牛と向かい合っていた。
「お前の主、何か知ってんのか?」
牛が低く「モォ」と答えた。
その声を聞いたレオは、何か納得したように目を細めた。
「やっぱりそうか」
「レオ?」
リラが呼びかけると、レオはすぐに振り返った。
牛へ軽く尾を振って別れを告げると、リラの足元へ寄ってきた。
「終わったか?」
「うん。ローブいただいちゃった」
「そりゃよかったな。これで用が済んだなら、帰ろうぜ」
「そうだね。みんなも待ってるし」
リラはローブを畳み直して籠の中へそっと収めた。
夜空のような裏地が、一瞬だけ青白く瞬いたように見えた。




