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この社会には、私の居場所なんてない。
外の社会にはないのだ。
唯一、精神病患者という認定を受けて、母の庇護を受ける実家にしか、私の居場所はないのだ。
ならば、それこそいっそのこと、包丁で手首でも切ってしまおうか?
これまでだって、母を刺して私も死のうと思ったことも、何度かある。
でも、痛いだろうな、とか思ってしまう。
痛いのが苦手な私は、ワクチンも打っていない。
母は無料のときだけ、嬉々として打ちに行ったのだけれど。
他にも、あとのことが面倒臭いな、とか、死ねなかったらどうするんだ、とか、色々思ってしまう。
どうしても、私は行動するより先に、頭が動いてしまうのだ。
突発的にとんでもないことをやらかす人が、羨ましく思えたりもする。
でも、こんなこと考えちゃいけないな、とか、また逆の考えが現れて、今した思考にブレーキをかける。
いろんな考えが、まとまりもなく、グルグルグルグルと、頭の中で高速回転するものだから、ちっとも勉強が進まない。
「今年の恵方は南南東なんだって。喋らずに一気に食べるのよ」
夕飯の食卓に恵方巻きが出てきて、初めて私は、今日が節分であることに気づいた。
もう、とっくに季節の感覚も、日付の感覚もなくなってしまっている。
あ、そういや、今日のテレビで母が作っていたっけ。
あれ、どうだったろう?
番組の内容なんて、ほとんど覚えていない。
この人がどんな料理を作ろうと、私はそんなところに関心なんかないのだろう。
でも、あれは収録だから、実際に恵方巻きを作ったのは、もっと前のはず。
この恵方巻きは、どこから来たのだろう?
わからないまま、私は恵方巻きにかぶりついた。
あ、そうか。
今日は料理教室だと言っていたな。
だとしたら、これはそこで作ったのだろう。
この人は、仕事で作ったものを子供に食べさせるのだ。
だから、これもモデルだ。
卵焼きやら、干瓢やらをお腹に巻いて、海苔のドレスを着せられた、栄養のないモデルなのだ。
ここで、はたと気づいた。
そうだ。
あの重箱のお弁当も、仕事で作ったものだったのだ。
だから、あんな豪華なお弁当を、食べる人のことも考えずに、持ってこれたのだ。
きっと、テレビの収録で作ったものを、ありったけ詰め合わせたに違いない。
お喋りな母のことだから、おそらくテレビ局の人と雑談でもしているときに、私のことを喋ったのだろう。
北海道で一人暮らしをしている娘が、怪我で歩けないとなれば、その同情が母に向く。
娘を心配しつつも仕事を頑張る母親を演じて、人々の同情を集めることができる。
私は、あくまで母を輝かせるための道具なのだから、そんなチャンスを母が人に黙っているとは思えない。




