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この人には、ただ、不慣れな土地で一人寂しく苦しんでいる娘を思って、仕事の合間を縫ってわざわざ飛行機に乗って駆けつける、情の深い母親の姿を演じることしか頭にないのだ。
それが子供にとってありがた迷惑だなどということは、これっぽっちも思わないのだ。
ただ、この人はこの人の人生を演じていれば、それで満足なのだ。
「本当だったら、お母さん、夕方の飛行機に乗って東京に蜻蛉返りしなくちゃならないのよ。ごめんね、ゆっくりしてあげられなくて。これ食べて元気つけてね」
「私は元気。元気。元気だよ」
私が片方だけの松葉杖で、狭い部屋の中を行ったり来たりしていることなど、この人の目には映っていない。
ちょっと前までは、両方の松葉杖をついていたのだ。
順調に回復していて、もう一人で十分やっていけるのだ。
「お湯沸かすけど、コーヒーあるかしら」
「私、コーヒー飲まないから」
「あら、やっぱり買ってきておいてよかったわね」
母は買い物袋の底から、インスタントコーヒーの瓶を取り出した。
そんなもの飲まないって言ってるのに。
しばらく、私はコーヒーを間に挟みながら、母と二人で北海道の定番土産を食べることになった。
なんで、何が悲しくて、北海道に住みながらそんなものを食べなくてはいけないのか。
本当、この人はもらう人のことなんて、これっぽっちも考えていない。
私が俯いて、物思いに耽っている上を、空虚なお喋りが何度も通過して、戻っていった。
母は私の反応になどお構いなく、テレビの番組のことなどをひっきりなしに喋り続けた。
コーヒーが減り、土産物が消費されていった。
何を食べても、泥のような味しかしなかった。
私は今まで学校で過ごした時間のことを考えていた。
過去にもときどき、怪我をして、松葉杖をついて学校に来ていた子たちがいた。
その子たちのことが、順番に頭をよぎっては過ぎていった。
彼らは痛々しく、だが同時に誇らしげに見えた。
しばらくハンデを背負っていたが、雄々しくその時期を乗り越え、松葉杖を必要としなくなったときには、一回り大きくなったように思えたものだった。
そんなとき、あの子たちの母親はどうしていたのだろう?
もし私が中学生とか高校生のときに怪我をしていたら、母は学校まで着いてきたかもしれない。
いや、今だって、仕事がなければ、大学まで一緒に行くと言いかねない。
この母親だったらやりかねない。
怪我の痛みよりも遥かに痛い時間は、やがて過ぎ去った。
「お母さん、本当はここでご飯作ってあげたいけど、時間がないから、家で作ったのを持ってきたのよ」
と言って、母は大きな鞄ら、三段重ねの重箱を出した。
「じゃあね、ちゃんと食べるのよ」
今まで何度も聞かされてきた言葉を言って、とうとう母は帰っていった。




