21
学友たちは非常に悪びれていたし、これからの生活に助けとなってくれる、と申し出てくれた。
私の方も、こういったことは当然起こり得ることだし、別に彼らを恨んではいないし、誰が悪いということもない。
しばらく不自由ではあるが、そんなに深刻なことだと捉えてはいなかった。
だが、一応、母には連絡を入れておいた。
別に心細さなんてものは毛頭ないし、不安になってもいない。
松葉杖をつけば外を出歩くことはできたのだから、心配になることもなかった。
私はその程度の困難を乗り越えるだけの強さは、十分にあった。
ただ子供の義務として、母に知らせておいた、それだけだった。
だが、このことは私の想像を超えて、母にとって一大事であったらしい。
彼女は毎日、何度も電話をしてきた。
「大丈夫か」
「一人でやっていけるか」
「ちゃんと食べているか」
最初は心配の言葉だった。
私は、学友たちも助けてくれるし、問題ない。
何も心配することはない。
そういったことを繰り返し説明した。
だが、そもそも私の意見になど耳を貸そうとしない母に対しては、馬の耳に念仏に等しかった。
心配の言葉は、すぐに非難の言葉に変わっていく。
「だから北海道になんて行くのは反対だったのよ」
「あなたを怪我させといて、何なの、その子たちは。そんな連中とは縁を切ってしまいなさい」
と、どんどん感情的に過激になっていった。
私は、その度に大丈夫だと、よくあることだ、私の不注意だと、何度も繰り返した説明をし、諭し、ときに弁護までした。
だが、こんなやり取りを一日に何度も繰り返すうち、私の精神はすり減っていく。
ただでさえ、怪我をして気が滅入っているというのに、ヒステリックな更年期女性の精神的安定にまで寄与しなければならない。
この世界が自分を中心に回っていると思っている女帝の、気分を損ねないように、傷付けないように、わかるように噛み砕いて教える方法はないものか。
怪我のことなど、生活のことなど、ちっとも心配していないが、親子関係の悩みは手負いの私を容赦なく鞭打つのであった。
まるで地球の大気が鉄の重みを持って、私を押し潰さんとするかのようであった。
「お母さん、心配で心配でたまらないわ。お仕事がなかったら、今すぐ菜々ちゃんの元に駆けつけてあげるのに」
電話を繰り返す度に、母の声が狂乱の色を帯びていく。
もう一番痛い時期は過ぎたのだし、大丈夫だから、しばらく不自由なだけだから。
北海道の冬にも慣れたし、学業の方だって遅れてはいない。
もう何度も何度も繰り返した言葉で説得を試みる。
今まで数限りなくしてきて、本当に嫌になるが、このときは非常事態だからと、折れそうになる心と喪失しそうになる精神を松葉杖で支えて、必死で母を宥めた。




