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大学時代、やっと自由になれたはずの私に、意外な躓きの石が待っていた。
それは思いもよらなかったもの。
食だった。
一人暮らしを始めた私は、当然のことながら自炊をすることになった。
同じような境遇にある大学生にとって、誰もが通る一種のハードルであるかと思う。
私はこのハードルは楽勝で乗り越えられると思っていた。
何も心配していなかった。
だって、私はそれまで、母の料理するところを一番近くで散々見てきたのだ。
レシピも頭にあった。
もちろん、母は過剰な心配をした。
一人でご飯は大丈夫なのかと。
「いいこと、菜々ちゃん?ご飯だけは、ちゃんと食べるのよ。いい加減にしちゃダメよ。コンビニなんかで済ませちゃダメだからね。朝食もちゃんと食べて。お母さん、レシピをファックスで送るからね」
ファックス?
意外な言葉に驚いた私が注意深く部屋を見回すと、勉強机の端に、ちんまりとした四角い箱が置いてあった。
私は不吉な予感がした。
案の定、その機械は、私がその部屋で生活している間中、一日も休むことなく動き続けた。
母は毎日欠かさず、その日に食べる分のレシピを書いて送ってきたのである。
それは、まあ、私にとってもありがたいことだった、と、最初のうちは、私もそう思うことにした。
何といっても、初めての一人暮らしである。
健康を維持するのに食事は大事だし、そのためにはレシピが必要なのであるから。
予想通りに、母のレシピはしっかりと手の込んだものだった。
こんな料理が私に作れるかな、という若干の不安はあったが、私はこれまで母が料理するところを見てきたわけだし、何の心配もしていなかった。
だが、その一枚何グラムなのかわからないが、風が吹けばすぐに飛んでいってしまうようなペラペラの感熱紙は、すぐに私の重荷となってしまう。
こんなの作れないや……。
重いビニール袋を両手に下げて近所のスーパーから帰ってきて、意気揚々と健康的な食事作りに取り組んだ私を待っていたのは、有り余る食材を前にして途方に暮れる絶望感であった。
あれ、おかしいな、と思った。
どうしてなの、とも思った。
レシピを見直してみた。
どこかで手順を間違えたのだろうか?
だから、うまく作れないのだろうか?
でも何度もやっても、一人暮らしの狭いキッチンが汚くなっていくばかりだ。
私は、ファックスの紙を穴が開くほど何度も見つめた。
だがそれは、見れば見るほど、誰も解けない数学の問題が書いてある紙のように思えた。
私は愕然とした。
これはなかなかのショックであった。
だって、それまで一番近くで母が料理するのを見てきたのだ。
それより何より、私は料理家の娘なのだ。
当然のことながら、料理の才能を受け継いでいるものだと思っていた。




