17
だが、元々母は大学のことなど良く知らないのと、志望校が全国的に良く知られた国立大学ということもあって、娘がそんなところに入ってくれれば母の株も上がるのではないか、という淡い期待もあったのだろう。
現役で合格する、という条件付きで、なんとか了承を得ることができた。
実際は、水産を学ぶにしたって別に北海道でなくてもいいし、私としては母の元を出られればどこでも良かったのだけれど。
とはいえ、方向性は決まったのだから、私はより一層受験勉強に励むこととなった。
とにかく出口は見えたのだ。
あとはそこに向かって努力するだけ。
母は仕事のキャリアが順調に行っているし、兄も帰ってきた。
もう私が母を支える必要はない。
私は今まで我慢してきた。
幼い頃は父に抑圧され、両親が離婚してからは、兄に心を痛め、母の力になってきた。
遊びたいのを我慢し、母をがっかりさせまいと、自分を犠牲にしてきた。
もう十分だ。
私はもう十分、家族に尽くしたはずだ。
そうだ、これからは私の人生が待っている。
自分のために生きよう、そう思っていた。
その結果、努力した甲斐あって、私は見事、現役で志望校に合格することができた。
ああ、良かった。
これで自由になれる。
もう母の干渉から逃れられる。
私は意気揚々と海を渡って、希望の大地へと降り立ったのである。
「四年だけだもんねえ」
合格が決まったとき、母はポロッとそんなことを言ったけど、もちろん私にはそんなつもりはなかった。
入学式に母は付いてきた。
私としては、本当は来てほしくなかったのだけれど。
そのぐらいは我慢しようと思った。
これを乗り越えれば、あとは自分の人生が待っているのだから。
もう母にコントロールされる時間はおしまいだ。
ただ、少し詳しく言うと、ここまでの道のりは相当ストレスの溜まるものだった。
見知らぬ土地で一人暮らしを始める娘を以上に心配して、母は私が住むマンションから、入学式に着る着物から、何から何まで、一人で差配したのである。
当然の如く、そこに私の意思が入る余地はなかった。
ちなみに、もちろん受験のときにも母は付いてきた。
全部終わって東京の空港に着くや否や、彼女は私と別行動で、タクシーでテレビ局に向かったのだけれど。
でも、ここまでだ。
これだけ我慢したのだから、もう私は籠の中の鳥ではない。
自由に羽ばたいていっていいのだ。
だが、それは甘い考えだった。
私が想像するより、母の支配力ははるか遠くまで及んでいたのである。
母は、それまでの18年間、コツコツと私にある呪いを仕込んでいたのだ。
それはまるで、私の骨の髄に仕込まれた、時限爆弾のようであった。




