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母と同じ道に進み始めた兄を、彼女は急に溺愛し始めた。
「やっぱり、この子は私の血を引いているのよねえ」
やっぱりって、何だ。
よねえって、何だ。
兄は父親に似てしまったから、ダメなのではなかったのか。
その変わりようは何なのだ。
私は困惑した。
どうしてそんなに簡単に手のひらを返せるのだろうか、と。
今でこそ、少し理解ができるようになっている。
これが大衆と呼ばれる人たちの行動なのだ。
大勢が右に傾けば右、左に傾けば左の、大義を持たないその場都合の人たちの、普通の行動様式なのだと。
そして母も兄も、大衆という枠にどっぷり入ってご立派な人たちなのだと。
あるいは、母は兄のことで色々と苦労することを通して、結果的に兄とは濃密な関係を築いていっていたのかもしれない。
私と母とが通じ合っていると思っていたけれど、実際には、蚊帳の外に置かれていたのは、私だったのかもしれなかった。
さらに悪いことには、二人ともエネルギーだけは強烈なものを持っている人たちなのであった。
一躍、テレビの中の人になり、母はますます忙しくなり、持ち前のバイタリティに一層磨きがかかったようになった。
そのことが、当時既に籠の中の鳥になってしまっていた私に、より悪い変化をもたらす。
私はそれまで以上にご立派ないい子を求められるようになった。
今度はご近所の評判を上げ、大学に入るためではなく、より広範囲な目に見えない世間体のためだ。
「週刊誌とかうるさいみたいだから、菜々ちゃんも外を出歩くときは、行動に気を配ってね。ご近所の人に会ったら、自分からにこやかに挨拶するのよ。感じ良くね」
どうしてこの人は、臆面もなくそんなことを我が子に向かって言えるのだろう?
これでは私が感じの悪い、出来の悪い娘みたいではないか。
今でこそ言える。
この人にとって、私は道具。
いや、私だけではなく、この世の全てのものが、この人という主人公を引き立たせるための、道具にしか過ぎないのであり、脇役なのであった。
あるいは、あの無茶苦茶な男と結婚したのも、今現在の、不幸な結婚生活を乗り越えて成功を収めた女性という、彼女のキャラクターを形作るための伏線だったのではないだろうか。
母はそのためにあんな男と結婚したのではないだろうか?
この人だったら、十分にあり得ると思う。
計算して、計算して、自分の人生を演出したのだ。
でも、当時の私にとっては、やっぱり困惑の方が大きかった。
まるで、突っかい棒を外されたみたいだった。
今までのは、何だったのか。
母を支えるのは私だ、という信念が、急に行き場を失った。
行き場を失って彷徨うこととなれば良かったのだが、しかしそれは彷徨うこともできず、ただただその場に漂い、沈殿することになった。




