Episode8
やけに背筋が良く、身なりから貴族階級を思わせる老人だ。
立場を裏付けるように、彼の側に武装した護衛が複数立っている。
とっさにオスアラを後ろに隠そうとしたが、既に見られてしまったらしく強烈に睨まれている。
特に若い護衛は剣の柄に手を添えている。
主の前に帯刀している奴がいて剣が抜かれないだけましだ。
「……私ですか?」
「もちろんだとも。ふん、さては私のことなんて忘れた、とでも言うつもりじゃないだろうな?」
体格も良く、目を合わようとすると顎が上向いてしまう。
私は背が高い方ではないが、それにしたってこの差だ。
「しかし何年ぶりだ? 私は見ての通り老いぼれてしまったわ」
「は、はぁ……」
彫り深い顔は笑みを浮かべている。
しかしまぁ返す言葉が見つからない。
何分記憶がないのだ。
何年振りと言われても……ん?
まさか……初対面じゃない?
「しかしまぁ、羨ましい。どうやら本当に年を取らんらしいな」
「あの、昔どこかでお会いしましたか?」
「はっはっは。冗談も言えるようになっておったか、見ないうちに成長したようだな」
なるほど、やはりそうか。
口調から察するに関わりがあったのは確かだ。
……いや、そう思わせようとしている?
いやいや、何のために。
と、私の態度を見てか老人の顔からだんだん笑みが消えていった。
「……まさか、本当に忘れたのか? この私を?」
その声は心なしか覇気が失われていた。
「ごめんなさい……。その、どうも記憶がなくて」
「……何? 記憶がない? それも冗談か?」
彼は酷く困惑している。
まぁ……それもそうか。
久しぶりに会った知人が自分のことを忘れていた、なんて悲しいにも程がある。
申し訳なさを感じながらも、私は言葉をつづけた。
「本当なんです。今朝起きたらもう何が何だか……」
フィアトに詳しく話すよう促され、私はオスアラの話を除いて詳細を話した。
ベルカナの家で目覚めたこと。
教会に逃げたら女の子に殺されかけたこと。
すると老人は喉を唸らせ、何か考え込み始めた。
「……なるほどな、話が見えてきたわ。よし、今からベルカナの野郎を殴りに行くぞ」
「はい?」
突然、何か閃いたのか知らないが突拍子もないことを宣言した。
野郎……殴る……?
「私はウィシーヌ領公爵、フィアト・フォン・ルクス。女性のエスコートは任せたまえ」
「えぇっと……本気ですか?」
「無論。近いうちに殴る予定だったが、思い立ったが吉日よ」
殴る予定って……。
口ぶりから今回の事件が発端という訳でもなさそうだが……ベルカナは何をしたんだ?
いや、それは後で考えよう。
……と、フィアトは手を差し伸べた。
えぇっと……取ればいいのか?
大きな手を握ると、ゴツゴツした感触が手のひらから伝わった。
「孫娘ができたような気分だ。これだからまだ死ねないというものよ」
孫娘って……まぁいいか。
ベルカナみたく危ない人ではないだろう。
何かあれば逃げればいい。
私はオスアラを抱えて老人の付き添いを受けることにした。
気のせいでなければ、護衛たちの視線がより厳しいものになった。
「その刀、あいつのだろう? 捨てるなら早いうちがいい、精神が汚染されるかもしれないからな」
「っ……! っあ~、ぇ~、その……か、借りてるものなのでそういう訳には……。ど、どうしてベルカナ様のものだと分かったんですか?」
「昔、あいつがそれに向かって話してるのを見たってだけだ。あぁ、思い出したら鳥肌が立ってきたわ」
……外で話す時は人目に注意しよう。
「だが安心したわ。お前の中で私は、忘れてしまうほど下らない人間だったのかと悲しくなったわ」
そう言うとフィアトは快活に笑った。
しかし元気な老人だ。
私も年をとってもこれくらい生き生きとしていたいものだ。
……あぁ、フィアトが言うには私は年を取らないんだっけ。
よくわからない冗談だ。
――――――――――
ベルカナの屋敷が見えてきた。
使用人たちが慌ただしくも迎え入れてくれる。
襲撃で多少損傷しているかと思っていたが、目立った外傷は少ない。
しかし、彼らから見て私はどういう風に映るのだろう。
屋敷の物を盗んで逃走したと思ったら、公爵を味方につけて正門から帰宅。
言葉にするととんだ小物だ。
微妙な視線に晒されてる私たちは屋敷の中へ案内された。
客室に案内され、フィアトは護衛を入口に置いて私と入室した。
若い護衛は危険だと訴えたが、中年の護衛に静止されていた。
どっしりと腰を下ろしたフィアトの隣に私も座った。
ベルカナはすぐに帰ってくるらしいが、しばらく二人きりだ。
フィアトを見ると、髭に手を当てて何かを考えている様子だ。
話しかけ……てもいいか。
彼からしか聞けない話があるんだ、機会は逃せない。
「すみません。その……よかったら昔の私のことを教えてくれませんか?」
「……ほぉ、いいだろう」
声をかけられて意識が現実に戻ってきたようで、彼はこちらへ体を開いた。
「私の知る限り史上最強の剣士であり、人付き合いが壊滅的に下手だった子供。そんなところだろうな」
壊滅的に下手ってどういう現象なんだ。
もう会話すら出来ないとかそういうことか?
……もしかしたら今も会話が出来てると思い込んでるだけなのか?
下手なことを自覚できないから壊滅的、そういうことか?
あぁ、どうか過去の私特有の現象であってほしい。
そっちも気になるが、最強の剣士ってなんだ。
剣、と聞いてオスアラが目に入った。
「……えぇっと、兵士だったんですか?」
「少し違う、私に雇われていた傭兵だ。だから一緒に過ごした時間は数年程度だ」
違いはさておき、自分が剣を振るっているなんて想像が……。
あの少女が言っていた話……無関係とは思えない。
いや、違う。
もし少女の話が真実で、私が本当に傭兵だったのなら……。
私は……私はこの手で、本当に人を……?
「その……最強っていうのは?」
私は言葉を絞り出した。
「言葉通りだ、付け加えるなら私と孫に剣を教えた師匠でもある」
「わ、私がですか?」
刀を振るう自分がまったく想像できない。
荒唐無稽に思えるが……嘘とは思えない。
というか孫がいるのか……いや、いるに決まってるか。
「全く記憶がないってのは困りものだな。この調子なら剣の腕も落ちているんじゃないのか?」
そういって、まるで自分のことのようにため息をついた。
「お待たせしました、フィアト公」
聞きなれた声が、ノックの後から聞こえてきた。
華麗な佇まいで入ってきた薄紫の虹彩が私とフィアトを交互に一瞥した後、彼は手を差し出した。
「例の子供の処理に手こずりましてね」
子供……あの少女のことだろうか。
……あまり考えたくない話だ。
フィアトはその手を険しい目で見やると、腕を組み威圧を纏い口を開いた。
「御託も前置きも結構、そしてはっきり言わせてもらおう」
私と話している時とは打って変わって、敵意すら感じてしまう。
「ヨハネの記憶を消したのはお前だな、ベルカナ」
「ぇ?」
あまりにも唐突だった。
脈絡もなく、突き付けた問い。
いや……脈絡がないのは私の目線だからかもしれない。
彼らにとっては地続きの話で……。
……分からない。
一体何なのだ。
判断材料を持たない私にとって、それは青天の霹靂以外の何物でもなかった。




