Episode18
……もう夜か。
部屋を蠟燭の火が照らしている。
キリは良くないがそろそろ寝たい。
もはや摩訶不思議の術という印象は薄れつつある。
この世のありとあらゆる現象を発現できる分、得られる知識は膨大だ。
魔法に付随した知識には神学も含まれている。
同時進行で勉強するのもいいだろう。
本を戻し、燭台を持ち自室に帰った。
火が消えると一層部屋の闇が深くなる。
ベッドに潜ると、ふとため息が出た。
今朝の出来事が脳裏をちらつく。
また失敗。
考えればいい、という反省を忘れていたような失敗。
バカみたいな正論だ、何が「庶民だから」だ。
そんなこと言われなくたって分かっているに決まっている。
ここでなら何故、と考えていればよかった。
何故、敬語を止めてほしいのか。
そんなの相手との距離を縮めたい以外に何がある。
レイブンは端から立場の違いなんて考えていなかった。
ただ、人間関係を良好にしようとしていただけ。
そんなこと、考えなくても分かっただろう。
なぜそんな簡単なことに思い至らないのか。
……いや、違う。
分かっていたんだ。
分かっていたうえで、私は立場を理由に遠ざけたんだ。
自分の心配を優先して、彼の好意を切り捨てた。
あぁ、そういうことか。
私は根本から自分を一番に考えている。
人付き合いが苦手、なるほど違いない。
間違っていたのは思考の癖ではない、深層の人間性だ。
だから人を無意識のうちに傷つける。
だから反省が機能しない。
……いや、それは別か。
私はそもそも反省などしているのだろうか。
過ちを犯し、後悔し、二度と繰り返さないようにすることが反省だというなら私は出来ていない。
後悔すらしていないかもしれない。
私は所詮、人として間違ったことをしたことに対して、修正を図り人間関係を円滑にしようとしていただけなのではないのか。
レイブンに本気で負い目を感じていたのだろうか。
分からない。
例え感じていたとして、それをヨハネの記憶の影響でないとどう証明できる。
……何考えているんだ、私は。
こんなこと考えて何になる。
無駄だ、何の解決にもならない。
これからどうするか、それが大事だ。
レイブンは親しくなろうと取り計らってくれている。
ヨハネだとか立場だとかを言い訳に使うのは、それこそ失礼だ。
私は私として、イデアとして彼と向き合うべきだ。
……あぁもう、なんだか眠気が薄れてきた。
ベッドから這い出て、何となくカーテンを開け空を見上げてみる。
星がよく見える雲一つない夜空。
少し窓を開けると、薄らと涼しい風が入ってきた。
こうしてぼーっとしていると、猶更さっきまでの考え事が馬鹿に思えてくる。
単純なんだろう、無性に活力が湧いてくる。
……明日はレイブンを朝食に誘ってみよう。
お昼も夜も、出来る限り一緒に過ごす時間を探そう。
出来る限り、彼のために尽くしてみよう。
仲良くできるならそれに越したことはない。
――嫌な予感。
違和感のある風。
何か来る。
まさか……ベルカナ?
急いで窓から離れ、唯一の出口へ走った。
そして、音もなく何かが侵入してきた。
「逃げないでください。話をしに来ました」
……聞き覚えのある声だった。
命の危険を感じる気配。
ベルカナとは違う……あぁ、間違いない、あの少女だ。
どうしてここにいる?
ベルカナに捕まったはずじゃ……。
「話って……なんですか」
オスアラは……少し遠い。
相変わらず丸腰だが……恐らく魔法を使えるはずだ。
「座ってください。ちゃんと説明しますから」
そう言うと、ソファに腰を下ろし私も座るよう促した。
ドアを開けて、助けを呼ぶ。
一秒もかからない。
呼ぶこと自体は可能。
だが、大声を挙げようものならたちまち制圧されるだろう。
……少女は対話を望んでいる。
あの時は違う。
葛藤の後、扉から少しずつ離れ、少女の前に座った。
テーブルを蹴り飛ばせば時間を稼ぐこともできる。
オスアラも見えている。
「ここに来た理由はあなたに頼みがあったからです」
頼み?
あの少女が?
「私を殺したいんじゃなかったの?」
「……あの時は気が立っていました。話し合うべきだったと思っています」
少女は初対面の時とは見違えるほど穏やかに見える。
所作においてまるで敵意を感じない。
どういう心境の変化なんだ……。
「本題の前にこれだけは教えてください。どうして、あの場に来なかったんですか?」
僅かに息が詰まった。
教会での問答がよぎる。
素直に答えて良いのだろうか。
確かに今は無害に見える。
しかしいつ牙を剥くか分からない。
魔法を使われてみろ、抵抗できる自信がない。
かといって嘘をつくことも難しい。
……腹を括ろう。
正直者のほうが見栄えが良い。
「……ごめん、記憶がないから答えられない」
「…………また、ですか」
「……また?」
またってなんだ。
まるで前回があったみたいに言うじゃないか。
……え?
いや……いやいや。
…………あった?
「十年くらい前にもそんなことを言ってましたよ」
「……え? ちょ、ちょっと待って」
大事なことをさらっと……十年前も記憶がなかった?
何なんだそれ。
十年前にも同じことが……?
二回目?
……いや、もしかしたらそれ以上……。
……記憶を消された経験が、複数……?
それこそありえないだろう。
誰が、何の目的で……記憶を消す必要がある。
同一犯?
それとも別人?
相当な恨みを買ったのか?
……ベルカナならやりかねない。
何を考えているか分からないあいつなら、あるいは……。
私は目線を落とした少女に詳しく話すよう求めたが、黙るよう手を振るわれた。
逸る私を焦らすように、やがて少女は口を開いた。
「あなたの記憶を消した人、残念ですが既に亡くなっています」
「……はっ? ……ぇっ……? 死ん……知って、るの?」
既に……亡くなっている?
……ベルカナじゃない……のか。
「私のお師匠様です。人間にそんな魔法使えませんから」
「ちょ、ちょっと待って。一旦整理させて」
記憶を消されることはこれが初めてではない上に、肝心の犯人は既に死亡。
急展開すぎる。
それに、あまりにも知りすぎている。
誰の口からも語られなかった情報が続々と……いや嘘の可能性も…………ないか。
もしかするとフィアトやレイブン以上に私に詳しいんじゃないのか?
元より私の過去を知る人間として記憶していたが、思った以上に重要人物かもしれない。
「なんで記憶を消したのか分かる?」
「……たしか、十年前は「可哀そうだったから」とか言っていた気がします。ですが、今回のことは見当もつきません」
「か、可哀そうって……」
そんな馬鹿みたいな話……。
まるで善人の真似をするベルカナのようだ。
「どうやったら思い出せると思う?」
「……ご自身の過去に触れ続ければ可能性はあります。人体操作に関する魔法は詳しくないので断言はできませんけど」
可能性はある。
……あまり期待できなさそうに聞こえる。
というか人体操作って……まるで神のようだ。
いや、神の力なんだっけ。
大昔に神、母から人に与えられた権能。
本に書かれていたことを身をもって感じる。
同時に……狂気のようなものも垣間見える。
「可哀そう」というただの感情で人間を破壊する。
まるでベルカナと同じ、倫理に反している。
気味が悪い。
「そろそろ本題に入ってもいいですか?」
あぁ、そういえばそうか。
私にとってはこれこそが主題と言える話なだけに忘れていた。
「あいつを殺すことに協力してください。ただし、これの返事はあなたが記憶を取り戻した後で構いません」
あぁ、やはりそれか。
あの時の少女の顔が思い起こされる。
改めてその喉の奥に秘められている憎悪の形が見えた。
しかし取り戻した後というのはどういうことだ。
いまいち真意が見えない。
問うてみると、答えは単純ながらも複雑であった。
記憶さえあれば、きっと協力するだろうと。
「記憶を取り戻すための協力は惜しみませんので」
……どんな理由であろうと人を殺すことに加担する気はない。
ただ、少女は確証を持っているかのような口ぶりだ。
私も少女と同じようにベルカナを憎んでいたのだろうか?
だとしても、ありえない。
……いや、今考えるべきはそれじゃない。
決断を遅らせてくれたおかげで、私は無償で過去を手繰る手掛かりを得られる。
……本当に無償なのか?
そうだ、落ち着け。
少女の言葉を信用できるのか?
随分丸くなり誠実に受け答えしているからと惑わされてはいけない。
「言いづらいんだけど……あなたのこと、あまり信用できてない」
顔色を伺いながら、なるべく神経を逆撫でしないように言ったつもりだ。
少女は顔色一つ変えることなく応答した。
「明日、今朝庭園で一緒にいた男性に「暁に会いたい」と伝えてください。会っていただけたら、またここに来ます」
「あかつき……誰なんですか?」
「多分、生きている人の中でなら一番あなたのことを理解している人です」
一番?
レイブンやフィアトじゃないのか……?
というか、なんで今朝のことを知ってるんだ。
見てたのか、全く気付かなかった。
いやそうじゃない、レイブンを介さなきゃ会えないその暁って人何者なんだ。
聞き馴染みのない名前だし……外国の偉い人だとか?
少女に尋ねると「偉くはないですよ、むしろその逆です」と言い、立ち上がった。
逆って……なんだ?
乞食だとか……?
背を向けて窓枠に足をかけていた。
「なるべく早く決めてください。いつ彼に会えなくなるか分かりませんから」
そう言い残し、白い外套を靡かせ夜闇に消えていった。
暁……慎重に検討しよう。




