Episode16
フィアトは助かった。
失血は酷かったものの、レイブンの応急処置が早かったおかげで一命を取り留めたらしい。
今は自室で寝込んでいる。
レイブンも、軽く頭を打っただけで大した怪我は負っていなかった。
二人とも無事、生きている。
……だというのに。
この気持ちは何なのだろう。
いや、分かっている。
ヨハネだ。
この体の前の宿主。
彼女の記憶が、私の意識と混同していた。
あの時、確かに私はフィアトが死ぬことを心の底から拒絶していた。
でもきっと、それは私の本心ではない。
ヨハネが願ったのだ。
目の前の大切な人を助けたいと。
……私じゃない。
私じゃなかった。
……私は、何を感じていたのだろう。
廊下から見えた惨状。
広間で医師を探す途中、瓦礫の下敷きになっている人、火傷で髪がなくなってしまった人、身体の一部が欠けてしまった人、大勢見かけた。
私の顔が、ガラスに映る。
変化はない。
やはり気分が悪くなる面だ。
野暮ったい目、それを隠すように伸びる髪。
……ぁ、白髪増えてる。
ストレスか……病気だろうか。
まぁ、どうでもいいか。
窓から離れ、ソファに腰をかける。
……いろいろなことがあった。
知らない場所で目を覚ましたかと思えば記憶がない。
かと思えば、喋る刀に出くわして……あ、オスアラ。
法廷を最後に声が聞こえることはなくなった。
今も部屋の隅に立てかけてあるが、呼びかけても返事はない。
ベルカナは役に立つとかほざいていたが、あれの言葉を信じる理由はない。
……いや、違う。
信じるかはオスアラの態度次第だ。
少なくともベルカナよりは私に友好的だ。
屋敷から脱出できたのも、オスアラがいたからだ。
……いや、本当にそうだろうか。
ベルカナの仲間だ、友好の裏に狂気があっても不思議はない。
もしかしたら、昨日の事件ですら自作自演の可能性がある。
……いや、けど理由が……。
……いや、もう考えるのはよそう。
いずれ本人が口を開くだろう、そのときに聞けばいい。
今は……そうだ、書斎に行きたい。
考える基盤、知識が必要だ。
知らない単語は多い。
私が忘れているだけで、他にも多くのことを忘れているかもしれない。
思い返してみればたった二日に人生の不幸を濃縮したような時間だった。
けれど、それも終わりにしなければ。
またいつベルカナが来るか分からない。
「自分と向き合い、答えを出せ……」
ベルカナの言葉。
まだ戦いは終わっていないんだ。
これから始まる。
それに……言われなくとも、私は私を知りたい。
全てが、私の過去に繋がっている。
立ち上がり、部屋を出る。
しばらくは本を読むことに心血を注ごう。
……と、扉がノックされた。
応答すると、今朝の侍女が現れた。
夕食の準備ができたらしい。
私は彼女の後に続いて、食堂へ向かった。
――――――――――
夕食を食べ終えた。
フィアトが来るとは思っていなかったが、レイブンも顔を出さなかった。
当然一緒に食べる者などいない。
召使いたちに囲まれての食事は肩身が狭かった。
出来ればフィアトには明日からでもこの場にいてほしい。
食器が瞬く間に片付けられていくのを尻目に、書斎へ足を運んだ。
執務室としても使われているらしく、部屋の中央には窓ガラスに背を向けるようにデスクが備えられている。
さて、何を読もうか。
魔法に関する本が欲しいところだが……。
壁一面の本棚が部屋の両側にある。
端からそれっぽいものがないかしらみつぶしに見ていくしかないか。
……実務的な本や、書類のまとめが多い。
適当に取った紙の束の表紙には、財政に関する記録一年分の表記。
他も領地経営の記録が多数。
どれもよくわからない。
……あ、これ。
「理心学発展のための大学建設予算確保に関する会議 議事録」
理心……フィアトが言っていたものだ。
試しに引っ張り出し、パラパラめくってみる。
……と、魔法という単語が見え手を止めた。
……あぁ、やはりそうだったか。
魔法という言い方は旧称のようだ。
信仰やらの都合で、今は理心術という呼び方が主流。
なるほど、だからフィアトは言い直したのか。
曖昧だった概念が解消できたが、この資料からはもう欲しい知識は得られなさそうだ。
棚に戻し、物色を再開した。
「ミカヅキ聖戦によって発生した暴徒の対策・防止案」
「第六次異界調査資料」
「ワイナリア領との葡萄酒・毛織物貿易協定」
どれも面白そうだ。
けれど魔法についての本が見つかるまで後回しだ。
片側の本棚は目を通し終え、反対側の物色を開始。
これまで魔法という単語は一度も出てきていない。
中まで確認すればそうでもないかもしれないがこの量だ、正直気が滅入る。
侍女の話では何冊か蔵書されているらしいが……。
執務室というだけある、記録や調書が大半だ。
と、魔法教本と書かれた本を見つけた。
教本、求めていたものに違いない。
中々分厚いそれを手に取り、フィアトのデスクに腰を掛けた。
オスアラの言っていたことは正しかったようだ。
あの説明は意外にも的を射ていた。
大体何でもできる、それが魔法。
ただ、使える人間は極々少数らしい。
知る限りベルカナとオスアラも使えている。
身近に二人もいると、その表記が正しいものなのか怪しく見える。
曰く、運と遺伝と才能があって初めて扱える代物。
酷い話だ。
きっと私にはないんだろう。
運に見放されている自覚はある。
そもそも使えたのなら記憶なんて取られない……あぁ、そういう訳でもないんだった。
作用を打ち消すことが出来ない魔法もあるらしい。
食らったら終わり、理不尽にもほどがある。
これが魔力とかいうエネルギーを消費するだけで実現させられるのだから猶更恐ろしい。
と、不意に扉がノックされた。
侍女だ。
扉越しに寝るように促され、背後を振り返るともう真っ暗だった。
もうそんなに経っていたのか。
元あった棚の空きにすっぽり収めて、自室に帰った。
集中が切れると、どっと眠気に襲われる。
いつの間にか整頓されていたベッドに飛び込む。
……疲れた。
今日も……本当に疲れた。
「ん……寝なきゃ」
とはいえ、得られるものは多かった一日でもある。
理解に要する時間が長く、教本もまだほとんど読めていない。
結局、オスアラの声も聞けず終いだ。
話したいことは多いというのに……。
でもまぁ、そのうち呑気な声で脅かしてくるだろう。
そのときが来るまで、私はできることを続けていこう。
本もそうだが、やはりフィアトやレイブンに話を聞きたい。
でも……二人は忙しいだろう。
何せフィアトは領主、この街がこの状況では私に構う時間などないだろう。
そもそも、いつ目を覚ますかもわからない。
かと言ってレイブンとは上手く話せる自信がない。
ただでさえ気まずいのに、ヨハネの話をしてみろ、悪化するに違いない。
聞くならフィアトだ、そうしよう。
どのくらいの時間がかかるか分からないがやむを得ない。
一先ず、明日も本だ。
……今日はあの夢見ないといいな。




