Episode15
人の声がする。
空が青い。
……生きている。
あぁ、終わったのか。
……疲れた。
二度とごめんだ。
「……様………じい様………」
遠くで誰かが呼んでいる。
誰だろう……。
上手く聞き取れない。
体を起こそうとしたが、疲労なのか全身が鈍い。
「誰か、早く医者を!」
レイブンだ。
……レイブンが、医者を……?
一体何が……。
いや、そんなこと決まってる。
終わりなんかじゃない。
ベルカナを、あいつをどうにかしなければ。
……あんな化け物に何が……いや、考えるのは後だ。
起きなければ。
何のために目を覚ましたんだ。
「おじい様、しっかりしてください!」
おじい、様……?
そこかしこで怒号が聞こえる。
……まさか。
そんなはずがない。
勘違いだ。
四方から叫びが聞こえている。
聞き間違いだろう……。
そんな……はずがない。
あぁもう、この体はどうしてこうなんだ。
「フィアト……」
不調な身体を起こそうと体を捻りうつ伏せになった。
……どうして……。
……どうして、自分の顔が見えるのだ。
いや、水の反射なのはわかるけれど……どうして。
……水……だよね……。
生暖かい。
僅かに……知ってる臭いが漂っている。
……あぁ、知っている。
……違う。
知っている。
いや違う。
そんなはずがない。
ここにあるはずがない。
あれは夢だった。
……でも……でも、この気持ち悪さは……。
「……ぁ、……ぁあ……」
私はおかしくなったのだろう。
水は……鮮やかな赤色ではない。
頭でも打ったかな……きっとそうだ。
気絶した拍子に……打ち所が悪かったんだ。
……そう……。
「フィアト……フィアト……」
泥水のように濁った血溜りに手をついて、震える手でようやく起き上がれた。
……いた。
レイブンの傍で横たわっている。
……赤い。
赤黒い染みは刻一刻と這うように輪郭を広げていっていた。
「フィアトっ……!」
ふらつく足で駆け寄ろうとしたが、すぐにバランスを崩してしまった。
……痛い。
すごく痛い。
なんなんだ。
ただ寝てただけのくせに……使えない。
本当に……なんなんだ。
何が起きているんだ。
フィアトは……あぁもう、ここからじゃわからない。
「立てないのか、イデア」
「っっ……!」
息が止まった。
急激に周りの音が小さくなった。
全身の神経が、背中のソレに集中した。
……あいつだ。
……ベルカナが……隣に……。
足先しか見えないが、間違うはずがない。
この邪悪な気配、生殺与奪を手玉に取られているような悪寒。
悪魔の囁きに匹敵する不信感。
「いくら記憶がないとはいえ、ここまで落ちぶれるのか」
……どうする。
何をされる?
逃げられない。
ここには多分、フィアトとレイブンしかいない。
だがフィアトは……。
……ぁれ……。
レイブンは……どこだ。
いない……いなくなった。
……ぁ…………ぁぁ。
そこに……いた。
家の瓦礫の上に、額から血を流して無残に倒れている。
微動だにしていない。
……地獄だ。
家々が原型を留めず倒壊し、火の手が彼方此方から上がっている。
阿鼻叫喚、死屍累々の様相。
あの夢の続きだ。
終わってなんかいない。
「いいのか、もうすぐ死んでしまうぞ。看取ってやったらどうだ?」
……は?
いや……ぇ?
今……こいつ……。
なんて……言って……?
お前が……お前が、やったんだろ。
なんでそんなこと……。
……人間じゃない。
狂ってる。
こいつは……命をなんとも思っていない。
「ほら、これで動けるだろう。お前の十字架をその目に焼き付けてこい」
「ぇ……なん……」
……痛みが消えた。
邪魔な枷が外れた。
……フィアト。
「フィアト!」
走った。
ベルカナのことなんて頭にない。
彼の元へがむしゃらに駆け寄った。
「なに…………これ……」
お腹が……お腹が……。
血が……止まらない。
レイブンが止血した跡はあるが……。
「だれか……だれか……」
見渡したところで、人っ子一人いなかった。
……運ばなきゃ。
まだ助かるはず。
助けなきゃ。
友達が……私を拾ってくれた、恩人が……。
死なせない。
あの時、何もなかった私を助けてくれた人を……こんなところで死なせてたまるか。
まだ私は何も返せていない。
……違う……これは…………私の記憶じゃない。
これは……ヨハネ……?
そうか……助けたいのか、私の知らない私は。
大切、だもんね。
だからこんなに胸が締め付けられて苦しいんだ。
「ヨハネか……。悪いな、手に力が入らなくてな…………握ってやれんわ」
「そんな……こと……」
声は途切れ枯れ、弱々しい。
これほど頼りない顔を見たくなかった。
近くに血の付着した剣が投げ出されていた。
「何……気にするな……。腹に、穴が空いただけ……。ふん、これで……樽いっぱいの酒が飲めるわ」
血で汚れた頬を緩ませてはいるものの、虚勢にしか見えない。
……運ばなきゃ。
私だけじゃ何もできない。
誰か探さなければ。
レイブンの言う通り医者がいる。
……ベルカナさえいなければ、一人で行けるというのに。
時間がない。
……武器はある。
やらなきゃ守れない。
救えない。
「いいぞイデア。元より死んでいるのと大差ない無能共に意味を与えるのは、お前の根源的な拒絶だ」
「黙れ、喋るな」
剣を拾い上げ、人ではないソレを睨んだ。
大丈夫……勝算はある。
「今すぐここから消えろ。私が死んだら、お前も困るだろ?」
「……ほぉ、考えたな」
刃を自分の首に当てると、ベルカナも予想できなかったようで感嘆の声を上げた。
この反応ならいける。
「何を企んでいるかは知らないけど、私が必要なんだろ? だから私を殺さない、いや、殺せない。お前はそう思わせるようなことを散々口走ってきた」
オスアラもこいつも、私の過去を知っている。
過去に接点もあったはずだ。
だが、まともな関係ではなかっただろう。
あの屋敷で目覚めたのは偶然じゃない。
二人は利用価値の一点のみで私を見ている。
そしてその使い道は計画。
計画は大幅にずれている、それは私の行動が予測と遥かにずれてしまったから。
私が中心に存在するから、そうなってしまう。
法廷の宣言も、あの屋敷での別れ際の言葉もそうだ。
特別な存在だからこそ、私は人質になれる。
「……元よりこれ以上何かする気はなかったんだがね。まあいい、ではこれだけ伝えて消えるとしよう」
拍子抜けするくらいあっさり成功した。
だが油断はできない。
言葉を鵜吞みにしたら負ける。
「猶予をやる。己と向き合い、答えを出せ。次の再会で、お前の意思を問う。それまでに必死になることだ」
「……分かってないの? あなたに私を従わせる力はない、早く消えて」
……違和感だ。
これは……そうだ、法廷でも感じた違和感。
すれ違っているような、主導権を取り切れていない感覚。
……まさか、魔法で人を操れる?
いや、そんなことができるならこうはなっていない。
だというのに、彼の涼しい顔を砕くことができない。
「持っていろ、お前の役に立つ」
……と、彼は何かを私の足元に投げた。
オスアラだった。
「命拾いしたなフィアト公。老い先短い余生、イデアのために使え」
――ベルカナは消えた。
破壊の限りを尽くして、爪痕を残して消えてしまった。
……いや、もういい。
フィアトを助けなきゃ。
出血は止まっているが安心はできない。
……そうだレイブン。
「レイブン様、大丈夫ですか?」
仰向けに空を仰ぐ彼を覗き込んだ。
意識はあるようだった。
「大丈夫だよ。僕のことはいい、それよりもおじい様を」
分かりました、と一言残して私は瓦礫の散乱する広間から出た。
……いや、違う。
街中、多くの建物が破壊されている。
昨日の事件と比べ物にならないほど凄惨だ。
……早く見つけなきゃ。
私の体じゃフィアトは運べない。
というよりあまり体は動かさない方が良いだろう。
出来る限り人が集まっていそうな場所に絞って探さなければ。
幸い遠くにフィアトの宮殿が見えた。
まずはあそこだ。
不自然なほど調子が良い身体を急かし、あの夢のように全力で走った。




