Episode14
痛い。
……痛い。
…………いたい。
身体が思うように動かない。
なんで……こんなことに苦しいんだろう。
…………あぁそうだ、倒れたんだった。
倒れた弾みにぶつけたんだっけ……。
……違う、頭痛はそういうやつじゃない。
あれだ……夢から醒めた時の、いつもの。
いや、なんでもいい。
まだしばらく寝ていたい。
なんだか体が熱っぽい。
汗もすごいし、何か病気にでも罹ったのだろうか。
……なんでもいっか。
寝ていれば治るはずだ。
………………いや、だめだ。
寝てる場合じゃない。
起きなくちゃだめだ。
泥を被っているように重い身体を持ち上げ、呼吸を整えた。
頭がハッキリしない。
世界がぼんやりして見える。
………早く立たなくちゃ。
寝てる場合じゃない。
でも、本当に疲れた。
…………立たなくちゃ。
手で地面を押しのけて勢いをつけ、初めて立つ赤ちゃんのような不安定さで立ち上がることができた。
縛られているように痛む頭を抑える。
…………そうだ、ベルカナ。
あいつが何か………魔法を……?
そして私が倒れて……あれ……。
あのあと……どうしたんだっけ。
思い……だせない……。
……いや違う、何も起きていない。
私はあの時意識を失った……はずだ。
あぁ、段々はっきりしてきたぞ。
冴えてきた目を巡らせる。
「……またか」
私がいるのは、もう裁判所ではなかった。
既に二度は見た、あの息の詰まる森。
この背中がぞわぞわする感じ、間違いない。
となれば現実の私は倒れてたままだろう。
……フィアトやレイブンは無事だろうか。
そうだ、あの二人が危ない。
現実ではベルカナが何をしでかしているか想像がつく。
一刻も早く目覚める必要がある。
私の肉体が安全だとも思えない。
なら、やることは一つだ。
まだ頭痛は治まらないが、出来る限り走るしかない。
夢を終わらせる光を求めて、私は小走りを始めた。
……そういえば今回はあの声は聞こえないのだろうか。
「来ないで」とか「どうして」とか。
訳の分からない囁きはまだない。
……まぁいい、今はそんなものに思考を巡らせている場合じゃない。
走っていくうちに、頭痛は弱まっていった。
それだけじゃない。
さっきまでの不調が嘘のように、身体が軽くなってきた。
走る速さも比例して加速する。
体も更に熱くなってきた。
何故か湧き上がる力が足に籠り、景色は目まぐるしく変わっていく。
爽快さすら感じ、実に気分が良い。
だが、いくら走れどもあの光を見つけることは一向にできないままだ。
……もしや、あの声だけじゃなくて光すらも消えてしまったのだろうか。
だとすれば脱出する糸口を失うことになる。
……いや、そもそもあの光に近づくことが夢を終わらせる条件だとは限らないじゃないか。
たった二回同じ終わり方だっただけで、三度目も同じとは限らない。
しかしならどうすればいい。
一度足を止めて周りの変化を求めたが、やはり奇形の木々が乱立しているだけだ。
……というか、夢の中の出来事がきっかけで目が覚めることはあるのだろうか。
あの忌々しい頭痛がそれにあたりそうだが、今回は再現することは出来ない。
いっそ木に頭をぶつけてみるか……?
他に何も思いつかなかったらそうしよう。
ただ他と言ったってもう自傷以外にやることは……。
――突然、背後から強烈な威圧感を感じた。
慌てて振り返ってみると、そこは森ではなくなっていた。
赤い空、彼方まで広がる薄暗い荒れ果てた広陵。
そして、丘陵には無数の死骸が倒れていた。
どの肉体も身体が大きく損傷、欠損している。
それはまるで猛獣に弄ばれたよう。
この骸の丘を越えた先に、何かがいる。
誘われている。
行ってはいけない。
……分かっているけれど、夢の中の行動が目覚めるきっかけになるなら避ける訳にはいかない。
ふと後ろが気になり見てみると、ものの見事にあの森は消えていた。
もはや引き返すこともできない。
鉄臭い風に顔をしかめながら、私は再び歩き出した。
進んでいくにつれ、死体の数は増えていった。
ただ不幸中の幸いか、明りの乏しいおかげでそれらの顔や傷口を見ることはなかった。
しかし夢の中とはいえ、こんなところに長居はしたくない。
私は足元に気を付けながら、足を速めた。
やがて、一番背の高い丘の足元まで来た。
腐敗した臭いなのか分からないが、一層強烈になった風に運ばれるソレに吐き気がする。
鼻を摘まみながら、丘の上を睨んだ。
表情一つ見えない人影が二つ、私を見下ろすように立っている。
あいつらがこの惨状を作ったのだろうか。
赤褐色の空と輪郭が混じり、背景の一つと見間違えそうだ。
しかし、どうもピクリとも動かない。
せめて顔くらいは見ておきたいが……。
あまり近づきたくはない。
もはやただ人の形をした染みだ。
人かすら怪しい。
だがこのまま去る訳にも……。
少しだけ、ほんの少し覗くだけだ。
危なくなったら逃げればいい。
高鳴る心臓を鎮めるために深く呼吸し、恐る恐る一歩踏み出した。
「なに、これ…………ひっ!」
違和感があった。
それはおおよそ土の感触とは程遠い。
裸足だったせいもあるだろう。
湿っぽく妙に柔らかい感触がはっきりわかった。
足元すら影のように暗いせいで、それが何なのか分からなかった。
そのせいだ。
そのせいで。
……あぁ、最悪だ。
受け入れたくない。
足裏が直接脳に吐き気を訴えかけてくる。
……いや、きっと気のせいだ。
間違いだ。
そうだ、間違いなんだ……。
「ぁあ……」
丘だと思っていたそれは、何かの死骸の山だった。
本当に、本当に最悪だ。
……逃げなきゃ。
今すぐ。
「あっ!」
足が滑りこけた。
何かの液体に両手と下半身に浸かった。
……さっきまで、液体なんてなかった。
妙に暖かい。
水とも違う。
歯が震えた。
息が詰まり、心臓が跳ねる。
嫌でも想像がつく。
……いや、見る必要はない。
そうだ、分かっているのにわざわざ見る必要なんて……。
「ぁ……ぁあ……」
黒く、僅かに粘り気を感じる液体が手から滴りこぼれた。
なぜ、見てしまったのだろう。
……気持ち悪い。
手が震える。
……ここにはいられない。
これ以上はダメだ。
転がるように立ち上がり、丘から背を向けて足を動かした。
「こっちに来て、イデア」
……あの声だ。
間違いない、奴だ。
あの丘の上の、人ならざる影。
人間じゃない。
あれは人じゃない。
私の夢を、頭を巣食う化け物だ。
今まで聞いたどんな声よりも、私の肝を凍り付かせた。
幸い、追いかけてきてはいないようだ。
……と、遠くに青白く光る何かがあった。
安堵のため息が出た。
間違いない、いつものだ。
また頭が痛くなるかもしれないがそんなのはどうでもいい。
さっさと起きなければ。
光目掛けて走り、随分経った。
今までにないほど近くまで来ている。
頭痛もない。
このままいけばあの光の正体を確かめることさえできそうだ。
……すぐそこまで来たというのに。
私は足を止めざるを得なくなった。
落ちぬよう慎重に、その底の見えない崖を覗いてみた。
落ちたらひとたまりもない。
思い切り飛んだとしても、対岸には全く届きそうにない。
それが、まるで世界を断っているかのようにどこまでも続いている。
諦めるしかないのか……?
「死んじゃえ、イデア」
声すら出なかった。
全く体が動かない。
……いるんだ。
そこに、そこにナニカが……。
どう……すれ、ば……。
逃げ……られるか?
いや、いや……それよりもまず……動いても……。
平気……なの、だろうか。
「ッ……!」
「イデアァぁあ?」
突然、信じられない程強い力で私の肩は鷲掴みにされた。
早く、どうにかしなきゃ……。
振り払えるか?
一歩間違えれば奈落、上手くやらなきゃ……。
……あぁ出来ない、怖い。
どうする、何をすれば。
もう早く目が覚めてくれ……!
……ぁれ。
私……いつの間に剣なんか……。
オスアラじゃない。
助言はもらえない。
……いや、違うだろう。
これは、剣だ。
何をするべきなのか、一目瞭然だ。
……いや、そんなこと……。
何を躊躇うことがある。
やらなきゃ、私がやられる。
置かれた手を掴み、そのまま思い切り押しのけた。
やはり、あの黒い影だ。
……やれ。
所詮人じゃない。
人の形をした化け物だ。
それに夢の中……なんの問題もない。
柄頭に手を添え、目標を睨んだ
……大丈夫、やれる。
足に力を込めて、思い切り踏み込んだ。
剣を突き出し、影の腹部を貫いた。
……軽い。
枕を突いたような、浅い手ごたえだ。
反応はない。
……いや、違った。
影は力を失くしたように私の肩に倒れた。
ここまで近づいても影に隠れた顔が見えない。
ぼんやり人の顔らしきものは見えるが、判別は難しい。
……まぁいい、一先ずこれで危機は去った。
さっさと目が覚める方法を探さねば。
……あ。
足が地から離れた。
何故……あぁ影に押されたのか……。
……失敗した。
私の体はすぐに落下を開始した。
あぁ、死ぬのか、私。
あの化け物に滅茶苦茶にされるよりずっと良い。
これで夢から覚めることもできるだろう。
ようやく終わる。
……長かった。
「ちゃんと、いっぱい殺してね。たくさん殺して、自分の心が滅茶苦茶になるまで殺して。殺すことがあなたの生きる意味なんだから」
身体がバラバラにひしゃげる数秒前、そんな声が聞こえた。
どういう意味か考える前に、意識は途切れた。




