泥の味、神の欠伸
泥の味、神の欠伸
空は、死んだ魚の腹のような色をしていた。
慶安、三年。
日の本は飢えていた。
江戸の喧騒は遠く、
この「九地無」の地には、
ただ湿った土の臭いと、
死を待つ者の重苦しい沈黙だけが満ちている。
私――
当時はまだ
「事代」という名すら定かではない、
麻の浄衣を纏った一介の観測者に
過ぎなかった私は、里の入り口にある
古びた社で、一人の少女を待っていた。
足元には、飢えに耐えかねて
自分の指を噛みちぎった男が転がっている。
彼が最期に吐き出したのは、
神への祈りではなく、
この世のすべてを呪う
ドロリとした黒い言葉だった。
私はその言葉を、
懐から取り出した小さな石の壺へと、
目に見えぬ霧のように回収する。
「……重いですね。
今日の『負債』は、少々質が悪い」
私は独りごちた。
この国は、美しすぎるのだ。
四季を愛で、詩を詠み、秩序を尊ぶ。
だが、その華やかな表舞台の裏側には、
必ず「清算しきれない排泄物」が溜まる。
報われぬ者の怨嗟、不条理な死への怒り、
そして、満たされぬ飢え。
それらを放置すれば、国は内側から腐り、
徳川の天下とやらも一息に崩れ去るだろう。
ゆえに、私が必要だった。
負債を、一箇所に閉じ込め、
無害化するための「器」を管理する装置が。
その時、鳥居の向こうから、
泥にまみれた小さな影が現れた。
役人に引きずられるようにしてやってきたのは、
まだ十にも満たない少女だった。
「……ハク、と申すか」
私の問いに、少女は答えなかった。
いや、答えられなかった。
彼女の家は、飢饉で全滅した。
最後に残った彼女は、
親の死肉を食って生き延びたと聞く。
その罪悪感、その絶望、
その「言葉にできぬ業」。
彼女こそが、この四百年続く地獄の、
最初の「フィルター」にふさわしい___。




