表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の皇太子の仮面の下は、没落婚約者への狂愛で満ちている  作者: 迦陵れん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/16

第二話

 建国記念夜会を数日後に控えた、ある日の午後。


 アネットは後宮の自室で、一人ひっそりと刺繍糸の整理をしていた。


「夜会には出席しなくていい」というローレンツの冷徹な宣告は、今も胸の奥底に鋭い破片となって突き刺さっている。けれど、彼が実家を救い、自分をこの城に置いてくれたのは紛れもない事実だ。


(これ以上欲張ってはいけない。私はただの没落令嬢なのだから。日陰で静かに息を潜めているのが、今の私が彼に返せる唯一の報恩なのだわ……)


 そう自分に言い聞かせ、アネットは小さく息を吐いた。その瞬間、部屋の扉が静かにノックされ、皇太子側近のディミトリが姿を現した。その腕には、豪奢なビロードの木箱が厳かに抱えられている。


「アネット様。ローレンツ殿下より、お届け物でございます」

「殿下から、私に……?」


 不思議に思いながらもアネットが箱を受け取り、そっと蓋を開ける。


 ──その瞬間、アネットは思わず息を呑んだ。


 白絹のクッションに鎮座していたのは、見たこともないほど大きく、深く澄んだ、最高級のサファイアの首飾りだった。窓から差し込む陽光を浴びて、まるで磨りガラス越しの海のように、神秘的でどこか哀しい青い輝きを放っている。


「まあ……なんて、綺麗な青……」


 アネットの瞳から、一瞬だけかつての公爵令嬢としての輝きが戻る。彼女の瞳の色と、寸分違わぬその青。それはあまりにも美しく、アネットの凍りついた心を一瞬だけ温めるかのように思えた。


 しかし、そのささやかな喜びは、直後に部屋に現れた「贈り主」の言葉によって、無残にも奈落へと突き落とされることになる。


「……受け取ったようだな」


 低い足音とともに、ローレンツが部屋に入ってきた。


 流れる金髪に、相変わらずの彫刻のような美貌。だが、その表情はどこか硬く、不機嫌そうにすら見える。アネットを見つめるその双眸には、冷たい光しか宿っていないように思えた。


「ローレンツ殿下……。あの、この素晴らしい首飾りは……」

「来週の夜会、君は欠席だが」


 ローレンツはアネットからふいっと視線を逸らし、組んだ腕に力を込めながら、冷淡な声で言い放った。


「我が国の皇太子の婚約者が、碌な宝飾品も持たずに部屋に引き籠もっているとあっては、外聞が悪い。私からの『施し』だ。大人しく持っておけ」


(……施し)


 その単語が、アネットの耳の奥で鋭く、残酷に弾けた。


 アネットの視界から、みるみるうちに色彩が失われていく。


(ああ、やっぱり、そういう意味だったのね……)


 彼にとって、今の私は「可哀想だから飼ってやっている哀れな没落令嬢」なのだ。そしてこのサファイアは、夜会に出られない私への同情、あるいは「これで満足して、目立たないよう大人しくしていろ」という口封じの金。


 何より、私の存在そのものが、彼の「外聞」を悪くしているのだと、これ以上ないほど冷酷に突きつけられた気がした。彼を愛しているからこそ、その「施し」という言葉が、アネットのプライドと心をずたずたに引き裂いていく。


「……お心遣い、恐れ入ります、ローレンツ殿下」


 アネットはすっと表情を消し、人形のような完璧な淑女の笑みを浮かべた。震えそうになる指先を隠すように、サファイアの箱を静かに閉じる。


「没落した私にはいささか分不相応な品でございます。身の程を弁え、大切に、箱の奥に仕舞っておきますわ。二度と日の目を見ることはないでしょうけれど」

「……仕舞っておく、だと?」


 ローレンツの声音が、低く険しく響いた。


「ええ。殿下の面汚しにならぬよう、この部屋から一歩も出ず、大事に保管いたします」


 深々と頭を下げるアネットを前に、ローレンツはしばらく沈黙していた。その沈黙が、アネットにはひどく重苦しく、責め立てられているようにしか感じられない。


「……そうか。好きにしろ」


 やがてローレンツの口から出たのは、信じられないほど突き放した一言だった。彼はそれ以上何も言わず、逃げるように踵を返して部屋を出て行ってしまう。


 残されたアネットは、静まり返った部屋で、ぽつりと呟いた。


「もう……ここにいては、いけないのかもしれないわね」


 彼女の胸の奥で、静かに、けれど決定的な「別れの決意」の芽が顔を出した瞬間だった。
















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ